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福島県矢吹町6

一昨年の里山ハイキングで、失敬してきたフキノトウ3個
裏庭に植えてみたら、今年フキとして再現。植えた本人はすっかり忘れていた

高橋さんからのメール
『そこここで解体が進み、更地が広がって、街が様変わりしています。
反面、危険は承知でも、資金が遣り繰りできない等で、そこに住み続ける人も大勢いらっしゃいます。
復興には義援金が何より有り難いです。
これからも温かく見守っていただけたら幸いです。

自分のこれからの行く末を見つめるためにも、
5月中旬から、しばらく行けなかったインドを再訪することにしました。
知人を頼ってののんびりした一人旅ですが、デリーと北西インドのマナリーを拠点に
3週間ほど滞在する予定です。後藤住職の所へも、とは思いましたが暑さと体力を考えて断念しました。』

そうですか。心機一転の旅ですね。
横浜から戻られてまもなくの震災による運命は、おかあさまの安否を真近に見つめられた、
よき運命でもありましたね。

気をつけて行ってらっしゃい

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Wake up!

ひと雨ふた風ごとに芽ぶきが輝きます。

ウリカエデの花。これは先住木

サンショの花? これも先住木。いっこうに実にならない

苔の中から顔を出したイロハモミジの実生

イロハモミジの名は、掌状に5~7裂する葉の先を「いろはにほへと」と数えたことから命名されたとか。

ヤマモミジは 掌状に9裂

七変化と呼ばれているもみじもイロハモミジの仲間

ミズナラの実生が成長してきた

タチツボスミレが顔を出す

ヤマボウシよ、今年こそ花をつけて
 

ドイツスズランももう少し

よく似た仲間の中で一番に咲くスノードロップ

次にスノーフレーク

オダマキ。今年は大にぎわいの気配

よそでは枯れてきたというのに・・・もくれん

やっとお目ざめイカリソウ

あちらこちらで勝手に成長する木や花の雑木庭は整理整頓なし

今年の一番人気はリンゴの薪
有明山になりました

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映画「大鹿村騒動記」

大鹿村に300年伝わる、農民歌舞伎を題材にした映画「大鹿村騒動記」。
7月16日(土)全国公開です

村には行ったが、春秋の歌舞伎定期公演はまだ観ていない。

先日のテレビニュースの紹介画面から

青空会場 大磧(たいせき)神社の雰囲気

おひねりが飛び交います

撮影模様

大鹿歌舞伎に惚れこんだ主演の原田芳雄氏

特別出演?。サプリメント広告塔として忙しい三國連太郎さんも出演らしい

参考に:
信毎Webニュース

映画ガイドに:
「大鹿村騒動記」公式サイト

なんといっても、主題歌に忌野清志郎の「太陽の当たる場所」

達者な役者と清志郎・・・・

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もうひとつの「千の風」

先月22日の碌山忌
コンサート会場で聞いた三浦久さんの「千の風」

新井満氏の曲を多くの歌手が歌っている。
そして世に広く紹介された
聴きなれた「千の風になって」より納得のゆく響きだった。
東日本大震災、亡くなられた方や今なお行方不明の方々の「鎮魂歌」としてご紹介します

原詩者不詳
訳詩&補作詞・曲:三浦久

私の墓の前に立ち
涙流さないで
私はその石の下に
眠ってはいません
私は風、千の風
大空を吹き渡る
まえがどこにいようとも
おまえのそばにいるよ

春は名のみの風の中に
夏の緑の木漏れ日に
金色に揺れる稲穂の波の中に
きらめき踊る風花にも
私は風、千の風
大空を吹き渡る
おまえがどこにいようとも
おまえのそばにいるよ

私の墓の前に立ち
涙流さないで
私はその石の下に
眠ってはいません
私は光、千の光
いつもお前のそばにいるよ
どんなに暗い道を行こうと
おまえを照らしているよ

私の墓の前に立ち
涙流さないで
私はその石の下に
眠ってはいません
私は鳥、千の鳥
いつもおまえのそばにいるよ
耳を澄ませば聞こえるでしょう
おまえを呼ぶ声が

だから、私の墓の前に立ち
涙流さないで
私はその石の下に
眠ってはいません

「千の風」ノートから転載

「あの鳥が来なくなったわね」と妻が言った。母が亡くなってから数日が経っていた。母が亡くなる一週間ほど前、朝飯を食べていると、見たことのないきれいな鳥がサンデッキの塀にとまった。そして、こちらに顔を向け、家の中をのぞきこむような仕草をした。その鳥はそれから毎朝ほぼ同じ時間にきて、同じ場所にとまり、同じ仕草をした。妻のいうとおりだった。いつの間にか来なくなっていた。火葬の日に庭の柿の木にとまっているのを見たのが最後だった。

人の魂は鳥になって天に向かうという。母は痴呆で入院していた。今思えば、あのとき母は最後の別れを告げるためにやってきたのだろうか。食卓にすわり、あの鳥を見たときの穏やかな気持ちを思い出す。2003年11月12日、母は92年の生涯を終えた。波乱に満ちた一生だったが、母の最期の寝顔は穏やかで美しかった。

「千の風」は明らかに母が書かせてくれた歌である。その数年前から作者不詳の A Thousand Winds というイギリスの詩をもとにことばを書き、曲をつけようとしたが、上手くいかなかった。何とか2番までは書けたが、あとが続かない。母の死後、3番の歌詞が自然と出てきた。1番は風、2番は光。3番は、鳥以外には考えられなかった。

三浦さんの活動拠点、長野県辰野町オーリアッド
このサイトから「千の風」が視聴できます。

「碌山」「次郎」とともに↓このCDに収録されています(全4曲1000円)

CDのお求めはオーリアッド 電話:0266-41-3611 
安曇野市内なら碌山美術館のショップ 電話:0263-82-2094
穂高駅前ひつじ屋さん 電話:0263-82-3888

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愛しき庭の花々

明けぬ夜はなく、春の来ぬ冬はなし・・・

昨年秋に植え、自宅の砂地で越冬(保存)した大根

小さな寂しい庭にも春到来です。
朝夕はまだ気温低く季節はずれの大雨も続きましたが、目覚めました!

ショウジョウバカマ。今年は8本のうち6本が開花

日本スイセン。毎年咲くや否かやきもきするお嬢さんです

その点大らかな洋スイセン

シュンランは安定しており、今年も5本が見事に

ヒカゲツツジ。花は小ぶりでも存在感あり

パンジーと同居のノカンゾウ。半月樽の隙間からも芽を出して・・・

4本植えたカタクリは、今年2本が開花予定。昨年は1本だったからまあいいか!

しかし葉は場所を広げて増えてきたから、将来は群生地に。まさかね

現在ヤブレガサみたいな姿のモミジ。30センチくらいから育てているので楽しみもひとしお

七変化という名(HAMAフラワーさんが名付け親?)のモミジ

白いイカリソウ。毎年花のサイズが小さくなるのは手入れ不足ね、きっと

フサスグリは年ごとに枝ぶりも実も充実してきた。

ごくシンプルなすみれは、なかなかに繁殖力が強い

その他のツツジ類がまだ沈黙
そうそう白いナデシコも3年目。小さな花をつけました

信州の春は、冬を吹き飛ばしたくて動き出す
我が家の朝夕はまだ暖房中(弱暖)

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片倉館

永年の宿題を片付ける
諏訪湖畔にある温泉施設「片倉館」

重厚な建物は昭和3年建築の洋館。
明治6年に製糸業を興した片倉財閥の2代目社長の肝いりで完成した。

敷地内に3つの施設があり
■日帰り温泉 600円也

大正ロマン漂う日本最古の温泉保養施設片倉館の千人風呂
入口から名建築の香り

入口はいってすぐ両脇の
左:木彫「スキー像」右:「スケート像」 高さ2mほどはありそう

味のある「ゆ」 女性は赤文字

ロビー付近を見あげる

脱衣室から浴槽へ向かうドアは格子の窓ガラス

浴槽は大理石で深さ1.1m。底には庭石のような黒石が一面に敷かれ、縁に座る内段はあるが・・・
基本的には立って入浴する。
足裏の感触はいい。
千人風呂といっても、”千人くらい入れる大きな浴槽”という意味で、学校のプールくらいでしょうから、立って並べば100人くらいかな?
客が少ない時はプールの水中歩行のごとく行進している人がいるそうだ

浴室には大理石像やステンドガラスの窓もふんだんに配置
気づかなかったが、ジャグジー室があったらしい

製作年はわからないが、今で言うなら「もみもみ」? 座面はアルミです

試乗すべきでした

2階へ

食堂  テーブルも椅子も立派

「Stuff Only」

バルコニーへの窓越しから諏訪湖

平成19年に「近代化産業遺産」
今年「国重要文化財」に指定されることが決まりそうだ

温泉館の裏側(湖畔側)

■会館(娯楽や展示会などの文化活動に利用できる
駐車場誘導係のおじさんの説明では、温泉施設と会館のすぐそばまでが諏訪湖だった。
諏訪湖北側の岡谷の製紙工場の女工さんたちが、舟で行き来する船着き場だったそうで、
ここの大広間が宿舎だったとのこと。
現在は埋め立てをしてすぐそばを湖岸道路が走っている。
後に貸し会議室となった。当日は市長選の選挙事務所になっていた

諏訪湖畔側から。2階が大広間

■考古館
後に建てた考古館は、隣接する「諏訪市美術館」として、現存している。

□前庭にはタイル貼りの大きいな池があり、石像やベンチを配置。


ずっと以前イタリア/フィレンツェからピサの斜塔へ行き、たぶんその近くの田舎にあった
○○テルメの造りがこんな風景だった。
その日はクローズで、残念ながら入浴は出来なかったが。

社長はヨーロッパや中南米と世界旅行し、温泉リゾートのような福祉施設建設を思い至ったというのが、うなづける庭と建物でした。

人気施設だと聞いていたが、当日は駐車台数がすくなかった。
写真を撮り忘れたが、湖岸の桜並木も素晴らしかった

付録
よくぞこれだけ・・・・世に温泉好きは多い
おやじの温泉巡りMap

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そばの五色

山麓線”そば街道”にある「ふじもりさん」
最近はめっきり「おうちごはん」で、ひさしぶりに伺った。

新メニュー『そばの実入り焼味噌』
香ばしくそばの実の感触がのこる食感

『滋賀県の無添加白味噌に、鰹節、くるみ、ネギを混ぜ、乾煎りしたそばの実を加え
しゃもじに付けて焦がしてある』

玄そば
『カラのついたままの蕎麦の実を石臼で粗く挽いた十割そば』

変わらぬ美味しさに舌鼓

拝借したトイレの張り紙

『ひと枝の中に五色を備える植物は珍しく、そばは昔から縁起の良いものでした』
(そばの本から転載とのことでした)

私たちの人生と健康を守る、まるでトイレの神様のようなコメントです

店内はメニューも張り紙ほかもみんな、若い女将さんの手書きです。

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CD「碌山」

穂高/碌山美術館の桜

荻原碌山の没後101回目の「碌山忌」が4月22日開催された。
今回初めて碌山忌」のコンサートに出向き、そこで知ったのが三浦久さん演奏の「碌山」と「次郎」。

”う~ん、うたれた”
メロディーは決して斬新とか、歌詞が飛んでるというのではないが、うたれてしまった。
全く知らないフォーク歌手でしたが、現在は出身地の長野県辰野町でライブハウス&カフェを経営しながら、
音楽活動を続けておられます。

会場で求めたCD(2005年)

「次郎」を紹介しなければ。作品は2004年です
歌詞
元の詩は、穂高の若者教育に心血を注いだ明治の井口喜源冶。碌山美術館と井口記念館の茶けた紙に掲示されている。
歌声とギターとハーモニカを繰り返し聴いていると、万水川を小舟に揺られ静かな波音を血流に注がれているような感覚になった。

ちょっと聞いてみたい方、パソコンにiTunesアプリケーションの搭載があれば
聴いてみる
↑をクリックし→ダイアログの[開く]→[許可する]をクリックすると音楽が流れます
(操作に疑問のある方は無理しないでください)
なぜ題名が「次郎」?
繰り返し聴いていると「次郎」は万水川を指すのではないかと思った。
だとすれば、なぜ太郎でなく次郎だったのだろう?

三浦さんによると、何人かの関係者に聞いたがわからなったそうです。
『利根川のことを坂東太郎、筑後川のことを筑紫次郎と言うらしいので、的外れとはいえないかも・・・』
そして太郎でなく次郎なのは?
『長男は家督を継ぎ、次男は家を離れ異郷に暮らすのが当時の慣わしであったと考えると、詩の内容から、太郎と次郎を比較して「次郎」という名がついたという説にも一理あるように思います』

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福島県矢吹町5

穂高神社の桜。つい先日まで右横の梅が鮮やかだったのに・・・・

穂高駅前通りの鳥居をくぐると、正面に見えます。

矢吹町の高橋さんからメールがきました。
『ご無沙汰しています
そこここで解体が進み、更地が広がって、街が様変わりしています。
反面、危険は承知でも、資金が遣り繰りできない等で、そこに住み続ける人も大勢いらっしゃいます。
復興には義援金が何より有り難いです。これからも温かく見守っていただけたら幸いです』

公的機関への義援金でなく、ささやかですが矢吹町役場へコメントを記して支援金としました。
復興に目が移りはじめ、報道の影に隠れがちになる復旧。
一進一退の原発処方にも、関心が薄れてくるような気がします。
現地の自衛隊や警察、役場の職員、ボランティアの皆さまありがとうございます。

洋服に例えると
リフォームは、ほどいて縫い代が折れている端にアイロンかけて、あたらしい寸法にして縫います。
面倒ですね。
その点新品の生地に製図をあてて裁断し縫製するのは、楽だし夢にあふれる楽しい作業です。

余談
たしか数年前に「ふるさと納税制度」がはじまりましたね
これは例えば大阪出身の私が、被災地にも適用されるという制度なのでしょうかね

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独鈷山(とっこさん)

さくら国際高等学校から見えた鋸のような山。

丸窓電車の見学地から近いので寄ってみた。

比較的登りやすいというので宮沢登山口へまわったが、山裾は桜祭りでえらく賑やか。
個人や団体名で桜を植樹している千本桜山のようだ。

とりあえず登り始めたが、うっそうとした森が続く
ヒノキ、カラマツ、スギの植林のようだ

所要時間は2時間くらい・・・ということは私なら3時間
結局予習をしていなし、急斜面もあるコースらしいので引き返した。

祠なのだろうか?  

いつか仕切り直しで登ってみたい

見上げる空に

植林は昭和の初め頃、盛んに行われたと聞いたことがある

間伐したり、切り出して材木として利用されている光景はあまりみられない。
こういう植林はしっかり根がつかないので、土砂崩れの原因になるのではないかな?
と心配する

立派な樹勢の木もあるので、国産材として利用できないものか。

過去アジアのジャングルを伐採したり、カナダなどから洋材を輸入して日本の森をダメにしてゆく構図を感じる。

この国はいったい何をしているんだろう。

余談
もうずいぶん前の橋本政権の時、諫早湾干拓に関してファックス抗議作戦があった。
当時は農業や漁業に理解がなかったが、大きな水門をギロチンのように落として湾内を埋め立てる・・・
という発想に、これは将来きっとよくない事になるのではと感じ、友人の名前も借りてファックス作戦に参加した。
結局はできてしまったが、やはり今問題が起きている。
当時の漁業関係者と現在の農業関係者の両方に影を落とすことになった。

経済的効率ばかりを優先させるツケが、今国民を追い回しているんだね。