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みちのく:続五能線~信州へ

温泉へ飛び込む前に、前ページの忘れ物を追加

津軽鉄道・金木は太宰治の出身地、彼はいわゆるええとこ(大地主)のおぼっちゃまです。明治40年、日本三大美林のヒバを使い建てられた「お屋敷」は生家~旅館(当時の金木町長が私財で買い上げ)~太宰治記念館「斜陽館」(町が譲り受け)として現在に至る。ガイド青年の話では、おかげさまで入場者数はまずまずとのことでした。

この田舎町にこの建物(津島家)はやはり財力の証だった。元貴族院議員で金融業。
しかし借り手への取立ては穏やかだったと説明があり、”越後屋~”ではなかったのだ
写真左:1階土間際の美しい格子窓
写真右:西洋からお取り寄せでなく純日本製の応接セット。低い椅子は和装の女性が正座すると、通常の椅子に座る人と目線が揃うようになっている

写真左:手入れの行き届いた見事な廊下
写真右:左から2枚目の襖の前に太宰少年の勉強机があり、そこに書かれている漢詩に「斜陽」の文字を見て育ち、小説の題名になった。ユニークな欄間のデザイン

ランチを何処で・・・来る時、通りかかりの地元赤鼻3人(昔)娘に尋ねると「あややがいいべ」
ありがとう、見つけた店は「田舎路あいや」寒い体に鍋焼きうどんは美味しかったですよ
駅前商店の無残さは、斜陽館のあとに見るのは辛い

五能線乗り換え五所川原駅では吹雪となり、コートなしの地元の高校男子生徒がホームでたむろしている。期末試験中の彼等は「寒くないべ」と平気な顔で言う

   深浦へ向かう五能線の乗客になる

さあいよいよ不老ふ死温泉に浸かります
写真左:旅館内から利用の露天風呂。岩肌が粗く触れると痛いほど。
     ぬるくてぶるぶる震えるが、圧巻”(ひたすらじーーーと浸かっていれば大丈夫)
写真右:旅館の露天風呂だが海岸にもっとも近いため大荒れの波を被って、本日入浴不可
     混浴と女性用があるが、どうも脱衣場は不完備のようだよ

寒いの寒くないのって・・・・。湯船から体を出すと震えが来る。湯温はたぶん30度そこそこかな?じーーーーーと30分浸かっていても出てすぐはやはり寒い。でも後はじわじわポカポカ
荒削り浴槽なので皮膚がヒリヒリしますが、あれっヒリヒリは泉質のせいかな?

夕日の美しい海岸ってことで深浦周辺には温泉宿がいくつかある
この宿では面白企画中で(今月中?)105円×51歳からオーバーの年齢分を値引きサービスです(行ったつもりで各自計算してみて)

翌日は宿の最寄り「艫作(へなしと読む)駅」8時発で五能線の終点東能代まで約3時間の鈍行。東能代へも五所川原へでも、1日5本の発着です。
奇岩が続く海岸線で、夕日100選スポットだが
突然現われるウエスパ椿山駅から直結遊園地。昔の奈良ドリームランド風? 繁盛しているのかなぁ

  「リゾートしらかみ・くまげら」号の存在理由がここにきて判明

写真左:山の中腹を、道路と海岸線を見下ろして走る   
写真右:鯉側駅は映画ET似のシェルターつき。駅⇔陸橋⇔道路側施設を結ぶ顧客サービストンネルだ
きっと陸橋での風速が凄いのだろう

東能代駅到着、昼飯を探す。駅売店に1個残る駅弁は『鶏めし』(¥850)
写真左&中:比内鶏を使った超メジャーな駅弁だそうで、ラッキー
写真右:駅弁ついでに、先回りして仙台の名駅弁も紹介しよう

往路の売り切れ駅弁『南三陸海宝弁当』(¥1000)
秋田新幹線に乗車直後の車内販売嬢に予約できたのだ。行きの仇は帰りで・・・。今夜の夕食は駅弁ぞ
実に美味しかったです。牡蠣、いくら、鮭、アナゴがほどよい醤油味。デパートの駅弁大会で見つけたら、早めに出動して是非ご賞味あれ!幸せの太鼓判(ただしパッケージには季節限定の表示あり)
裏事情説明:フリー車内誌で写真を見つけたとき一目惚れ。帰りは必ず・・・の成果だよ

東能代駅ホームに見つけた街おこし看板

 ボールは落ちてこないから心配無用
能代工業高校バスケット部は全国大会で何度も優勝している強豪だそうだ
1時間の待ち合わせ中、(待合室の隅の壁のコンセントから)携帯電話の充電をさせていただきました。FOMA1期品で、古くなると電池の消耗が早いので困る
12時2分発秋田新幹線にむけ在来線で   よっこらしょ

帰路新幹線(秋田~盛岡~大宮)
雪たっぷりだが、安曇野の平野とは景色が違うなぁ。広すぎるのか?

角館は風景が今までとちがって、しっとりとしている。蔵も見えたし、かいま見だが駅のポスターの掲げ方もほのかに色気があった。
直感だけど角館駅~奥羽本線・鷹ノ巣駅を走る秋田内陸縦貫鉄道(JRではない)に興味がわいた
このあたりの線路図を見ると『阿仁マタギ駅』があります。信州・秋山郷のマタギはここらの出自ではないかという説があると、以前聞いたことがあった。
(後日検索:秋山郷の温泉は、江戸時代に秋田のマタギが発見したと伝えられていました)
五能線とはまた一味違う秋田内陸縦貫鉄道もなかなか面白そうです

余談
■長野新幹線と東北新幹線はトンネル新幹線ですね。”最短最速距離を走る”コンセプト・トレイン?
■おっと忘れていました「津軽三味線発祥の地」金木の津軽三味線会館で15分くらいのビデオを一人で鑑賞(失礼ながら女性の生演奏より観光ビデオのほうが秀逸)
貧しく苦しかった生活から生まれた津軽三味線は3人「神原の仁太坊」(金木町出身)門下の「嘉瀬の桃」「白川軍八郎」により津軽三味線の基礎が築かれた。
津軽では小学生から部活に三味線を取り入れており、こうして伝統は継がれる

到着長野は曇天雪なしやや寒し。
みちのくは遠く美しい鉄道旅でした。亡妹に感謝  みちのくシリーズ完結

追伸
今朝の報道で東北地方が大雪。私には適量の雪景色だったので、申し訳なくて美しいとかラッキーなんて言ってらんないね
昨日のアクセスは通常数でしたが、ページ閲覧数が600弱あり、腰をぬかしそうになった。駄文におつきあい頂いた方がた、ありがとうございました。そしてお疲れ様でした
(運営gooの機能事故だったりして・・・・ひょっとして今日お詫びコメンがくるかも?)

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みちのく:有料特急&津軽鉄道~五能線

友人が東北にゆくなら是非と勧めてくれたストーブ列車と五能線。鉄道好きにはたまらないよと言う。
そこで五所川原から津軽鉄道で金木(かなぎと読む)まで出る

9階の窓から見えた、弘前駅を出る特急列車?

東北新幹線
往路の大宮~盛岡までの列車名がふたつあったのは何故か?
2列車”はやて”と”こまち”が連結していた。新幹線車両の連結って想像できますか?西洋人のような鼻の車体が連結だよ・・・
①大宮→八戸へは”はやて”で座ったままOK(だから座席指定は必須だったのか)
②大宮→秋田方面へは盛岡で後方列車”こまち”を切り離す・・・なるほど納得。
仙台の駅弁・海宝弁当の車内販売は売り切れ、残念

有料特急(JR東日本の努力はここにも)
写真左:この表示はなんだ!  写真右:自由席に座った前に別室がある

写真右:飛行機のファーストクラスのように豪華ではないが、明らかに普通座席とは違う
写真左:熱く語ってくれた年配のレイルマン(この方も退職後の・・・たぶん)
出発の際、窓の外からじっと見送ってくれました。敬礼でお別れ

新幹線以外の有料特急は1車両内にグリーン&自由席をセパレート利用しているんだって。
ご存知ですか?知らなかった・・・・です。
国鉄から民営化(JR)される直前に総裁が決定したとのことです。つまりスリムにしようということ。じゃぁ東日本だけではないかも???

津軽鉄道がんばる
昭和5年11月開業の20キロばかりの小さな私鉄だ
レールオーナーになりませんか?やイベント列車など頑張っている
○往路:五所川原→金木駅までの走れメロス号  金木は太宰治のふるさとだもんね
    歌手の吉幾三氏もここの出身

  走れメロス号車内に本棚がある
車内で読む、また帰りの列車で返還でもOKだが、太宰治の本はなかった。返ってこないんだって
○復路:金木→五所川原はストーブ列車。計画中は雪なしだった。が「3月いっぱいは雪なしでもストーブは焚きます」・・・との返事で時刻表とにらめっこ。なんせ本数が少ないので、東北の旅は苦労だ。がそこんとこが愛しい


前夜のライブ居酒屋のコマイ2尾を残して、ストーブで焼いた。そばの婦人3人組と4人で半身づつぱくついた。記念だもんね。彼女達は、JRびゅうバスをチャーターしてこのストーブ列車に乗り、五所川原でピックアップしてもらうことになっている。大型バスに3人・・・・・唖然。そこまで合理的にはなれない。

五能線の女になる?
五所川原から本日の宿、深浦まで日本海海岸線を走る。もちろん鈍行
五所川原発13時46分 深浦着15時30分
海岸線を走るからこの景色の連続だが飽きない
写真右は一番海岸に近い駅「驫木(とどろきと読む)駅」黒い野原の1メートル下が海岸だって。

ネットで偶然見つけた「不老ふ死温泉」  こんな生き方は希望しないが今夜の宿とした 

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みちのく:雪舞う夜の津軽三味線

6日夕方青森県弘前市に到着した時は吹雪だった。「1ヶ月ぶりの雪」と地元の人は話す。
出発前に検索した三味線ライブ居酒屋「山唄」にどうも気のりせず、呼ばれていないと感じた。HP内容を見る限りメジャーすぎるのだ。そこで駅の観光案内所とJRびゅうプラザへ立ち寄り情報収集する。
どちらも若い女性だったが、私の感想に小さな声で「有名すぎます。○○○はいかがでしょう?」
・・・でしょう、やっぱり

でホテルから遠くなるが、○○○に行く。マイクなしの同目線ライブハウス

演奏時間以外はジャズが静かにながれています


客はまばらで、とりあえず居酒屋だからオーダーする。一日中座りっぱなしでお腹がすかず、地元わかめの酢の物やホタテ貝焼きみそやコマイの干物を囲炉裏で焼いてもらった

8時頃には人が集まり始め、囲炉裏の前で演奏が始まる。本日の演奏者は、昨年NHKで紹介された若手のホープ(と店の主は胸をはる)小山内薫君。他に3名のポートレートが張ってあるが、しかしこの夜の演奏は彼が一人だけだった(実はスケジュール表によれば今日は彼が当番なのだ)

繊細そうな面立ちに似ず、力強いバチさばきだ。演奏中は霊気さえ感じられる

亡き妹の写真をテーブルにおいて一緒に聴いた。きっと喜んでくれただろう。店の主が帰りぎわ、彼等の師匠である多田あつし氏のCD-R(25分)をプレゼントしてくれました。今パソコンで再生しながら書いています。
↑上記URL内にも無料で聴けるサイトあります。システムがよくわからなかったが、こうした店が若い演奏者を育てているのではないかと思う

嬉しくないおまけ
■みちのくの 雪としゃみの音 亡き妹へ
■バチ重し ずしんずしんと 雪の舞う
■みちのくの もどりし雪に 歓喜なす
    
翌日は津軽鉄道の五所川原⇔金木を往復。津軽三味線発祥の地であり、太宰治の故郷でもある金木では時折吹雪だった。戻るときはストーブ列車も体験す

余談
□弘前市では、ねた、青森市ではねたと表現する
□ホテルの売店婦人は、「スキーシーズンの白馬の山小屋へ3ヶ月手伝いに行ったことがある」と懐かしがる
□一説では長野県の松本市と長野市のように昔はあまり仲がよくなかったそうだ。
ねぷた祭りにもあらわれているらしい
弘前は優美で厳かな雰囲気を、青森は武者者ものなど立体的動きがあるという
そんな違いは知りませんでした。写真はいずれも弘前のホテルの展示ねぷた。
弘前の人は、青森のねぶたは後出しだと言う。津軽藩主が始めたというから、そうかもしれない

□店や街でもゆらゆら揺れている金魚は、子供たちがちょうちん代わりに下げ持ちねぷたの後を練り歩くそうだ。楽しそう・・・・↓こんなものです。インテリアなので実際より大きい(ライブハウス「杏」)

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みちのくひとり旅

津軽三味線のライブを聴きに行きます。お目当てはここの予定
昨年急死した妹と、いつか津軽のライブハウスに行こうと約束をしていた。
1周忌までの雪深い津軽へ・・・3月と決めていたのにこの暖冬だ

「大人の休日倶楽部」の『3日間、特急ほかJR東日本・北海道乗り放題12,000円』の企画もの利用です
せっかくだからと明科~弘前~五所川原⇔金木~五能線~秋田経由で明科駅の3日間とした。
窮屈なので指定席なんぞとったことがないのだが、予約時の駅員が「この時期特急は混むだで」のアドバイスにより、1時間以上乗るものだけ座席指定したが、混まない気がするし、まっ当日変更だって出来るし・・・・

  小百合嬢はいつまでも若く美しい
同年代とは思えない、しかもこのCMではふっくらさせているところなんかさすが!

月刊誌が届くが、えせセレブ風の内容には無縁
安く楽しく気ままに鉄道が利用できれば、それでいい。年会費を負担しても、大阪へ行く、東京へ出る、気まま旅に遊ぶ・・・と私には重宝だ

ほんでもって9日くらいまで休刊です
本日の天気予報——-今夜は冷えるって。天をも味方につける強運な私?
美味しい情報のコメントください。携帯電話で対応できます、ハイ

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ギメとシラス

ギメとはフランスのギメ東洋美術館
シラスとは白洲次郎
本日の共通点はただ訪ねた場所が関東、それだけ!
7時34分穂高発のあずさ6号の甲府付近は雪景色

太田記念美術館で開催されている(25日まで)「ギメ東洋美術館所蔵 浮世絵名品展
この美術館は人通りの多い原宿の駅前から一本裏に入っただけなのに、とても静かで雰囲気の良い美術館でした。あいにくの雨模様だが行列が出来るほどの盛況だった

目玉はギメでの偶然の発見から、北斎の
『虎図』(太田実術館所蔵)と『龍図』(ギメ東洋実術館所蔵)が100年ぶりに再会したのだ
北斎90歳の最後の傑作でよくぞよくぞ・・・・
表装の布模様と落款サインが同じだった(双幅)から判明したのだが、発見した学芸員の興奮ぶりが想像されますね。
拝借サイトの写真を見てもらえばわかりますが、虎の目と龍の目は斜め一直線上にある。
当然腕をかざして確認
北斎の画人生最後にして最高の本領発揮だろう。写楽や春信や歌麿の浮世絵も展示されているのだが、
デザイン性にすぐれているのはやっぱり北斎がピカイチ・・・・・だと思っている

子供様用パンフあります、受付まで   の張り紙
「お子様じゃないけど欲しいんですが・・・・」「はいどうぞ」

  浮世絵ってどうやってできるの?がわかりやすくイラストで解説
受付嬢はにっこり。とにかく対応の美術館スタッフ達は素晴らしかった

余談
この美術展は4月10日から大阪市美術館で開催予定です。←サイト内に入場割引券あるよ。
そのあとフランスへ・・と聞きました
日本の芸術の素晴らしさを早くから高く評価した欧米のコレクターは凄いね

さてシラス
白洲次郎と正子が農家を改造しながら過ごした旧白州邸で「武相荘」
次郎が無愛想だったから自分で命名したそうです

町田市鶴川は、新宿から小田原線で20分。このまま乗車して行けば箱根に着く
しかし悲しい。バスを降りて”この角を曲がれば旧白州邸”のアプローチにはユニクロと色とりどりの新興住宅が建ち並ぶ。
が、曲がると眩しい景色が飛びこんでくる

早い段階で(第2次世界大戦)戦争に負けると予見し、きっと食糧難がやってくると東京から程よいこの地に別荘を持った
母屋(展示室)入口にあるハンドタオルは何故?  雨に濡れた衣服を拭くため
なるほど心憎い配慮。ここにある用具は全て木・石・つる篭などの自然素材でした

その端正な建物(最近屋根のかやを葺き替えたばかり)と石畳に見とれるばかり

緑鮮やかな竹林


納屋には彼が好きだった大工道具や農機具が残っている。「シラス」と穴をあけているのは工具箱か?

こまごまと用具を入れてあるだろう重厚な整理ダンスをみても、そのこだわり様がわかる

見事な書画・骨董、家具・着物が展示されている中で、別室書斎の本棚は棚板が薄く満載の書籍で弓なりになっている。書籍をインテリアとは扱っていなかったことが窺えて印象的だった
もし・・・ればはせんないフレーズだが、今の日本に彼が存在していれば日本はもっと違う方向に向かっていることだろう

日帰り旅の夕方は、美しい夕焼けを追いかけながら午後5時新宿発のあずさ27号で帰る

北斎と次郎に共通なのは、真髄は真剣に情熱的に、そして遊び心を忘れないことだろう。北斎の絵に、次郎の人生にそれを感じる

おまけ
表参道の一等地に大きなブティックに代わりこんな光景が・・・・

全フロア携帯電話のみ。資本にモノを言わせた商法にはちょい食傷ぎみ

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「信州上田の魂を比叡山に移す」

朝日新聞長野版から
『別所温泉常楽寺の半田住職(89歳)が天台宗(総本山・比叡山延暦寺)の第256世の座主になった。天台宗の全国約3千のトップだ
というわけで2月4日に、生まれ育った上田温泉を離れ京へ向かった半田住職の残した言葉』が、今日のタイトルです
常楽寺は北向観世音の本坊であり住職も兼務で、節分には千代の富士(当時)他有名人の豆撒風景をテレビで見た人もいるのでは?

そして上田も比叡山も懐かしいので、上田温泉へ向かう私・・・
”上田温泉の三楽寺”といい常楽寺・安楽寺・長楽寺があったが、長楽寺は消失して再興できぬまま、標識だけが立っているという

常楽寺へ昇る階段のすぐ下の道路わきに、ブルーシート内に大きな道祖神があり、近所から笛が聞こえる。この地区の子供の祭りだという。それにしても簡易ではあるがブルーシートとはなあ・・・・

さて気をとり直して常楽寺から歩こう

歩く順序は常楽寺→安楽寺→北向観世音
常楽台寺の表札(正式な呼び名がわからない)天台宗のお寺だから?
まず重厚な印象で「人懐っこいおっしゃん(和尚さん)」といわれたわりには、近寄りがたい雰囲気を醸しだしているお寺だった。しかし形の美しい建物ではある

安楽寺へ向かう途中の細道に赤くない石のポスト???
その先にはメットを被った仏像・・・いったい何なんだ!

さらにその先に墓石屋さんの看板がありました・・・納得

八角三重塔で有名な安楽寺に到着、なぜかあったかい空気だったような気がする
さあ行くぞ!のアプローチの先には64段の石段。登りきると右手に立派な鐘楼
あらっポスト? 違った

正面の本殿と右手に庫裡  いずれも端正な建造物だ

ここは曹洞宗の禅寺です

そして4つの屋根があるのに、八角三重塔(詳細は安楽寺HP参照してください) お見事!

そして・・・北向観音へ。人ごみで写真は撮れずじまい
『南向きに建てられている善光寺に詣で「未来往生」を、北向きに建てられてる北向観音にお参りし「現世利益」を願わなければ、片参詣りと言われている』

冷えた体を温めに3つある日帰り湯のひとつ大師の湯へ。
浴室からガラス戸越しにロッカーが見える安全・安心の入浴料は150円
見上げれば、そのまんま鬼瓦

余談
■上田電鉄丸窓電車は運行時間帯が合わず断念。そのかわり横川の釜めしをランチに

■近隣鉄道会社数社協賛のポスター。デザイン好きです

■別所温泉駅の名物制服の冬バージョン

付録
文中の丸窓電車や駅制服などは、暇つぶしに当ブログ別所温泉駅へプレイバックしてみてください。
ホンマ我ながらしなの鉄道沿線が好きやなぁと感心する

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浮世絵の流出にため息

今朝7時の外気温は0℃だったが、冷たい風が吹きはじめた午後に雪が落ちてきた

ところで思い出しブログは苦笑もの
書き込み途中でお蔵入り記事を敢えてアップしたのは、東京日本橋でプラネタリウムによる「北斎の宇宙」を教えていただいたためです。東京へ用事を作って鑑賞するまでのつなぎですね。すみません・・・

葛飾北斎が面白くて、東京江戸博物館の肉筆浮世絵展(本日現在サイトは健在)へ
アメリカのボストン美術館には版画、肉筆画を含めて相当数点が眠っていたという
そのうちの80点が日本へ里帰り展覧会をやっていた。12月10日までの日本展を終えてからアメリカで開催とか。
礼儀正しいと思う
それにしも浮世絵の海外流出はすさまじい。というより浮世絵に魅せられ多くを所蔵した収集家が立派というべきか。散逸を免れたことは感謝せねば・・・・
そしてヨーロッパの画家達に与えた影響の大きさに、日本人は誇りをもっていいと思う

写真左:A4サイズ 重さ1.08キロの図録  写真右:A4サイズのチラシ 

北斎は他の浮世絵師を圧倒する作品だった。デザインセンスが優れており、”こうあるべき”にとらわれない斬新性が人をひきつけるのだろう
実に愉快な人物である。90歳まで生き、画号は数知れず、画狂人なるサインもある。
日本最初の漫画家でもある
右写真の下に描かれている牡丹絵は北斎の娘作だという
85歳から小布施の豪商宅に滞在し、よきパトロンに恵まれ、岩松院の天井絵も残す
凄い人生だ!その北斎にいっそう陽を当てた小布施町再生プロジェクトも素晴らしい”町おこし優等生”だと思う。何度訪ねても後悔しない
拝借サイトYOMIURI ONLINE 町おこし関連記事

おまけ
小布施には栗の老舗が3店舗あり、なかでも竹風堂は戦略上手のようだ。
サイトにはないが実は栗あんソフトクリームがとっても旨い。残念ながら小布施本店と安曇野のスワンガーデンのみ。軽井沢店では期間限定(4月~11月頃)です
しかもタップリで250円は嬉しい・・・・お客人にも大好評です

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冬の軽井沢

冬の軽井沢もいいだろうと、日曜日出かけた
最低も最高気温も5度くらいは低いから安曇野よりは雪はあると思ったが・・・
やはり3月頃の陽気だった。

  車中から見えた浅間山、なだらかな優しい山だ

駅前通りで、氷彫刻展の最終日だったので見学。札幌の雪祭りを想像してはいけない
写真左:個人1位の「イルカ(アメリカ)」 写真右:解け始めて怖くないドラゴン

写真左:個人2位の「波(日本)」細かい波は北斎の絵を思わせる
写真右:右端の魚の拡大。波の間から魚が飛び出しているように見える

  ブルーシ-ト上の氷ブロック(補修用?体験用材?)

美しい聖パウロカトリック教会へも散策。昭和10年築の木造教会である


おやっ?道祖神が・・・ マリアとキリストの像だった


ドアが開いたので内部も見学。後部2階に小ぶりながらパイプオルガンがある


シーズンには結婚式で華やかなことだろう
教会左右にはセレモニー相談所と写真屋さんが・・・・パーフェクト

夏よりはずっと人通りの少ない旧軽井沢を散策する。万平ホテルでランチの予定が、改装中のため閉館、残念しきりとぶらついていたら「山屋」2階の障子窓を発見。ん?「カフェ山屋」
なかなかのしつらえに感心し、客がいないのをいいことに長時間ねばってしまった
店内の様子はここでどうぞ
年代物のスツールは今では入手できないのではと思わせる絶品だ

ビーフシチュー+ロールパン2個とコーヒーで1260円。カップはオーナーが旅先で見つけたり地元の作家の作品で、美味しいコーヒーをいれてくださいます
ゆっくり話を聞き、おまけに鉄道写真集をたっぷり読み終えた

おまけ
どちらかと問われれば、ブッディストだが、教会建物を見るのは好きである
カフェ山屋は冬季は土日営業です

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浦里小学校写真集

過去のコメント覧で気になってしょうがなかった小学校を訪ねた



いつもの姨捨駅から、晩秋の棚田風景

上田市といっても・・・・・青木村のそばだった
圧倒的な迫力  創立130年の現役バリバリです
教室や和室が映画の撮影に利用されることがありますが、エキストラは地域の大人のみだそうです

ながら族の先駆者「二宮金次郎さん」は、戦時中は金属類回収の憂き目にあい撤収されたようですが、
それでも全国にはきっといくつも健在だろう。このロケーションは似合いすぎ・・・

写真左:ちょっと覗かせてもらったら、こんな廊下が・・・靴箱が並ぶ
写真右:裏にまわると、渡り廊下の奥に木製の観音開きの男子トイレ。手前は手洗い台

校庭では学童保育チームとお父さんチームで今年の納会野球に興じていました
応援のお母さん達が左の白い塊りでチラホラ。選手も応援の子ども達もちらほら
のどかですねぇ。
すぐ裏の山がわが有明山にそっくりなのも嬉しか

写真左のグリーンのネットは耐震補強工事中だった
校舎の存続か廃止かでもめたであろうと想像できる。存続の選択にまずは拍手を送りたい

周りには新興住宅も多く上田市や近隣市のベッドタウン的存在のようだ。充分通勤圏である
各学年1クラスの陣容で、縦割り行事が多く「みんな仲が良い」とお母さんの話

校庭の近くに鶏小屋がある
私が5・6年生の2年間、飼育当番でアヒルや鶏を世話していたことを懐かしく思い出した

卒業生の作品とおぼしきオブジェの前に「標高453メートル」「根性」の文字も
ハウスメーカーの新しい家に住んでる生徒がこの学校で過ごす6年間は、
それだけでも相当の根性だと思うよ

↓この看板を見ずとも掃除の行き届いた学校でした
 将来生徒が親になり、自分達の子どもに自慢できる学校だと思う

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さよなら上高地

閉山式のことである。5年前だったか、11月10日頃上高地に宿泊したことがある。
その折「さよなら上高地」を知り、移住後の昨年見逃したイベントに15日出かけた
新村駅まで車で行き(25分)、新島々行きの電車(20分)+路線バス(1時間)で上高地に入った
時折みぞれまじりで ブルッ寒い

バス車窓からⅠ 全山紅葉

バス車窓からⅡ 帝国ホテルを通過

強風のなか河童橋のたもとではイベントが始まっていた。
神主さんは穂高神社から出張した二人ですが、白装束がなおいっそう寒さを感じさせる。
閉山式実行委員、松本市、警察署、郵便局、タクシー・バス会社、銀行、地元町会等の関係者と一般参加者代表などが玉櫛を捧げて感謝の意をあらわした。
一般参加者も結構大勢いたので、上高地ファンが多いんだろう
最後に河童橋でお神酒がふるまわれ、参加者一同で今年のお別れをした
3時間後運転するので飲めない

2007年は年4月27日が開山式。いつかホテルに前泊して《さよなら上高地》を体験してみたい

明神岳(穂高岳は雲の中)と清水川   いかにも寒そう

近くのビジターセンターで焼岳や大正池の成り立ち、上高地の高山植物等の映像を見て帰路についた

おまけ
11月15日は坂本龍馬の誕生日と命日である。関係なかった!