Posted in

Simple is Beautifle !

長野市・善光寺の灯明まつり最終日に出かけた

説明は省こう、この単純明快美を・・・・

そして灯明(ライトアップ)

  携帯電話のカメラ機能もあなどれない

メイン道路を歩行者専用にし、全国から選ばれた入賞きり絵作品の明かりが並ぶ

おまけ
長野駅から善光寺までの中央通り東側
おやっ?リクシャー。なんだなんだ
駐車したのはasian night marketの前、中を覗くとレストラン&カフェ&雑貨やさんだった。
今日は、式場から新婚さんを乗せて来て、この店で二次会をするという

  今日のところは立ち寄りだけ  
エヘヘ 次回長野行きまでお・あ・ず・け

Posted in

富士山


やっぱり「富士の山は日本一」

を実感した


所用の静岡行きを松本~甲府-身延線-静岡回りで行ってみた。
ふじのみや駅近くでうつらうつらしていたら、後部座席の女性が
「ここからの富士山が一番きれいなんですよ」と声をかけてくれた。


お~ 確かに! ・・・・手が届きそう

登山経験者は「富士は登るもんじゃなく見るもの」ゴミと岩がゴロゴロだそうです


翌日の帰りは車で移動したが、東名高速の3ケ所通行止めに遭い、アイスバーンの下の道をそろ~りそろ~り。
前の車がノーマルタイヤだと思いっきり車間距離をあけて防衛しながら、四日市に入ったのは午前12時前のシンデレラ。
いやはやなんとも・・・・天国と地獄、2日間のドラマでした

余談(追加記載)
あいにく甲斐駒ケ岳は雲の中だったが、こんな山が見えた

前座席の婦人が、赤石岳だと教えてくれた。そして「むかし駒と富士に登った」と嬉しそうに話す。
私ももっと年齢を重ねると「常念と燕に登ったも~ん」と自慢することになるのだろうか?
いやぁ今でもブログ上で十分自慢してるわ—–
(以上の画像は車内からガラス越しでぼやけております)

甲府からの身延線は「ふじかわ4号」で南下

  まろやかな美形だ

沿線は身延山が有名だがこれといった温泉もなく静かな路腺だが、待つ甲斐のあったフジヤマ見物でありました。
じゃぁ富士山に登る?と聞かれても「う~ん・・・見るだけで終わりそうな予感」

Posted in

遠回りから寄り道へ


おまたせ!と 白い恋人 舞い降りた

北海道の白い恋人も今日から出直しだって

京都から名古屋へ向かうのに快速と鈍行でノンビリ移動する。
近江鉄道高宮駅でさらに寄り道。中仙道の高宮宿があるという。
駅を出てまもなく蛍を大切に守ろう”の看板がいくつか連なる。川沿いの遊歩道にはベンチなんぞもあり、夏は賑わうのだろうか?

左:街道はごたぶんにもれず、閑散としている
右:ふれあい館だったか、中仙道を紹介している家屋があり、おばあさんが留守を預かっていた

塩尻・洗馬(せばと読む)は松本の南にあたる。左へゆくと木曾へ、ゆくゆくは高宮宿へ到着する。
余談:奈良井宿は観光地として成功していると思う

裏道には重厚な屋敷もあり、もっと時間をかければタイムスリップできたかも・・・・
多賀町の町おこし家屋とはひと味もふた味も違うが、さて今後どちらが残ってゆくのだろう

街道沿いで見つけた「クラウンブレッド平和堂」いかにも平和そうなご主人の説明によると
国宝・彦根城築城400年祭の記念の特別パンを提案して採用されたパンがこれ!
”ひこにゃんパン”と言って写真右は30センチ×45センチ×7センチくらいの大きさです。2000円也。あんが入ると4000円

ひこにゃんとは400年祭のマスコットキャラクターですね。城とにゃん(猫)の関係は不明のまま今月25日に閉幕します。

高宮・彦根間の線路上を新幹線が疾走する。京都・名古屋間は40分
私の回り道・寄り道は6時間の旅でした。つくづくヒマ人やな~

おまけ
  松本市制100年のマスコットキャラクターはアルプちゃん
いろんな行事が来年3月まで続く1年間の長丁場。盛りだくさんの企画に市民参加が多いのは、市制100年記念と銘打つと助成金がでてるらしい。道理で・・・・

記事内容と関係のないトラックバックやコメントは公開しておりません

Posted in

遠回り

大阪の母を訪ねた。
そろそろ冬支度の準備を手伝おうと出かけたが、東の窓から射す太陽はいささか暑かった。
信州との気温差を実感し用無しで帰る

京都駅から新幹線に乗らず、快速と鈍行で名古屋までゆくことにした。
米原まで快速だが、手前の彦根で降りてみた。彦根城400年祭を開催していたが、人ごみは敬遠したい。
うん?『近江鉄道』の看板—–何処へゆけるんだろう。
  レトロな駅看板
1896年6月16日創業 つまり111年前の開業だが、現在は西武グループの一員である
彦根から
↓南へJR草津線にぶつかる貴生川駅まで。
途中高宮駅から東へ→多賀大社前駅終点まで

もっと南の八日市駅から西へJR東海道線近江八幡駅にぶつかる
大まかに言えばJR東海道本線、東海道山陽新幹線、名神高速道路、中山道に沿っていることになる

高宮駅から多賀大社前の終点までゆく

  琵琶湖のブルー?

多賀大社前駅舎内の写真
倒れたカツラの大木でチェンソー木彫品をつくり、あちこちに展示しているという

  最近ブナの巨木を見たのでひょっとして?
巨木100選じゃなく昭和45年廃村になった向之倉集落にあるカツラの大樹だった。新緑の頃はさぞかし素晴らしいだろう。
親切な地図あり

25体くらいあるはずなのに、町おこしとはいえない扱いだ。どこに設置されたかのか一覧表もない。
この3体は役場と観光センターにありました

駅からずっと古民家風に改築された家屋が並ぶ。町おこしで、こんな風に改築すると補助金がでたのだそうだ
さぁお多賀さんへ向かって歩きだそう。 右:美容院

左:老人のためのデイセンター。手づくり作品がならんでいた 
右:警備会社。看板をじっくり見つめないと分かりません

左:写真館
右:古美術。古書が多そうでした

左:民家
右:旅館。赤い壁は魔よけだと思う

不二家さんは舟橋聖一著「花の生涯」で有名になった村山たか女の生家でした。最近ある郷土史家が古文書から発見し、ご当主達も大変驚かれたそうです。
ここで美味しいおそばを食べました。

  由緒とハイカラな店名がタイムラグでアンバランス?
おまけ:1963年、NHKの大河ドラマの第1回の作品です。何歳だったっけ?

トラックのようなRV車の前の巣箱

道路際ではうかうか入れないよ

肉屋さんと多賀大社の太鼓橋。はい、到着しました。お疲れ様でした。
長浜に住んでいた頃の山内一豊と賢妻千代が訪れていたというので、夫婦円満のお守り袋を販売しているとか、これからしようとしているとか?まだ町おこしは続いているのだ

多賀大社の先にある古い酒屋さん。重厚さが違いますね

多賀大社駅~高宮駅~彦根駅へと戻り、大垣駅乗り換えで名古屋へ行くつもりだ

記事内容と関係のないトラックバックやコメントは公開しておりません

Posted in

そば 螢

小谷村の山中に6月開店のそば屋さんがある


雨飾山や鎌池へ行く山道で看板を発見することが出来る


若い店主は小谷村山村留学生(18年前らしい)で、都会でのそば打ち修行を終え、学んだ学校近くへ里帰りしての開店だという。
うきうきする話だと思いません?
何年も前に、山村留学についてテレビニュースで見たことがあり、その頃思ったもんだ。「親の決断が偉いよ」・・・・と

さて行ってきました
R148の白馬を通過し、小谷村に入って中土トンネルを出るとすぐの信号を右折(東入る)
角に「小谷温泉⇒」の看板があり、すぐまたトンネルに入る。
クネクネと山道を走ること15分くらい。
ここが「螢」  Pが点在しておりどこが入口が分からないが、煙たなびく煙突がある建物がそのそば屋さん

  ここは店の裏にあたる

正面玄関。草木染め暖簾の色が風景にマッチして素晴らしい

早く着いたので庭をみていると、薪小屋の端にランプがぶら下がっている
ひょっとして?

予想的中。屋内すべてランプ。古家具や火鉢も適材適所
隣のテーブル席の若者4人が「築120年で内装だけしたんだよ」と話していた
若い仲間の応援客とみえる

こんな山中の店に、口コミだろうか?平日にもかかわらず、テーブルは満席で老若男女18名がの~んびりそばの到着を待っている
勿論新そば。緑がかった”蛍の緑”は皮剥き。”深里”は黒くて皮ごとひいたそば

少なくして、なら——-50円引き。大盛りで、なら——プラス100円
”ここだけ野菜天ぷら”は地元の野菜で、本日はマイタケ、茄子、みょうが、ゴボウ、ししとう、さつまいも、かぼちゃ。580円で一人分には多すぎた
箸袋には店名の印刷なし。今後リユース箸になるといいね

ガラスの向こうにはかまど。薪で茹でているんだ。覗いたトイレのドアの上には”古式トイレ”

今年は11月11日(日)までの営業で、来年はゴールデンウィーク突入時から営業です
電話:0261-85-1810  定休は火水曜日と冬季休業
たぶん雨飾山にはまだ雪が残っているだろう来年の初夏に、是非でかけたい


満腹で下った景色は、訪ねるには楽しいが住んでる方はどうだろう?


■おせっかい
「螢」の命名理由を聞きたいが、店が忙しすぎてゆっくり話が出来ない。
この山里は夏の夜に蛍が舞う!?
『北の国から』の五郎さんと蛍ちゃんに憧れていた!?
山村留学時代の仲間に可愛い蛍という生徒がいた?
余計なお世話だ
■余計なおまけ
我が家の梁と玄関の戸は、北小谷の土蔵から嫁入りしてきたので親近感もひとしお

記事内容と関係のないトラックバックやコメントは公開しておりません

Posted in

無事帰国してます

14日午前成田着で帰還しましたが、涼しい安曇野に戻るや柄にもなく風邪で体力消耗しました。いやいや安曇野のせいでなく、歳のせいでありました。
不在にもかかわらずぐ愚ブログへのアクセスを頂きありがとうさんです。特にこの時期パキスタンかよ~という批判もあろうかと・・・。10日から12日頃のニュースに登場したらしいですね。結論をいえば、全く微塵も関与しなかったのです。


8月30日、出かけた日の大糸線車窓から

さてここを埋める作業だ。楽しくもあり、ちょっとしんどい気分でもある。
本来の目的の報告を先にアップせねばならん!のです。遊んだ後は辛い

9月14日すっかり稲穂が黄色くなり、そばの花が満開です


アホみたいな更新ですみません。中間はインド編・パキスタン編に分けて埋めてまいります

※追記いやはや記載ミスです。とほほ「そばの花が刈り取り直前」は「満開」が正しい。
おわび訂正いたします(9月19日)

記事内容と関係のないトラックバックやコメントは公開しておりません

Posted in

旅する美術展『ノマディック美術館』

6月上旬の話
この24日に終わる<東京お台場>の一風かわった美術展へ所用ついでに立ち寄った。
素朴な・ユニークな・ホンマかいな・一見建物に経費をかけていないように見えるが、作品の凄さは圧倒される。
新橋からゆりかもめに乗り、東京テレポート駅下車。もう建物は見えてきました

チケット。これを見ただけで、ホンマかいな?デジタル合成写真ちゃうか?

152個のコンテナを4段ずつ積み上げた高さは10m、広さは5300平方㎡

内部から見た市松のコンテナの壁。コンテナ間の隙間は幕で塞がれている

映像作家グレゴリー・コルベール(カナダ出身)は、過去15年にわたりインド、エジプト、ミャンマ、トンガ、スリランカ、ナミビア、ケニア、南極、ボルネオなどのべ40ケ国以上訪れ、人間と動物の交流を描いた作品を撮影してきた。全く画像処理なしだという。作品には砂上の豹と子供、丸木舟上のチンパンジーと女性、海で人間と一緒に泳ぐ象など度肝を抜かれる。
館内は写真だけでなく映像広場もあり感動シーンの連続です。出口で再び質問する「ホントに生ですか?」
大きい作品ばかりだが、手づくりの和紙にセピアまたは琥珀色で刷りこんであるそうです。
2万円くらいする写真集が若者に買われていました。ロレックスの時計を付けているセレブ風の人でなく、ごく庶民的な若者たちでした。

会場内は木、布、石、切り株型の椅子など素朴な空間と重厚な空気が交錯する不思議世界。
コンテナ美術館の設計は日本人建築家坂茂(ばん しげる)氏。ニューヨーク、サンタモニカに続いて3回目の移動美術館展です。

ノマディック美術館展
↑大きな支援を受けたという Rolex Institute のサイトを拝借しました

当ブログはトラックバックを公開しておりません

Posted in

由布院の小さな美術館

久留米の友人を訪ねたあと、博多へ戻らず由布院へ寄ってみた
もう随分前になるが、温泉&観光地として脚光を浴びた時代があった。
いまでも当時の奥ゆかしさみたいなものは残っているのだろうか?

  翌朝の由布岳

本通を避け、駅前を南へ御幸橋から川沿いに散策をスタートしてまもなく
個人の「由布院美術館」を見つけた
おっいいじゃない!と立ち寄る 

「象設計集団」による昔の小学校のような建物が、中庭の周りに回廊のよう建てられている。
古墳状の小山や民家、物見櫓、倉のような建物。すべての形が異なる屋根の建物は、土壁、漆喰、瓦、竹、木、石、砂利と多彩な素材を使い、古い年代のガラス戸や扉の建具もふんだんに用いられている。

湯布院で亡くなった放浪画家佐藤渓(さとうけい)の作品を小山の中の展示室に。
万華鏡展を常設展に。今までみた万華鏡とは全く違うものだった。難しくて説明できないので省略

和室では企画展を。83歳から水彩画を始め老人ホームで93歳でなくなった東勝吉の絵

館内に湧き出る温泉をアート作品として作られた足湯では「タオルの御代はこちらに」と箱があるだけ。

 湯に浮かぶ木の葉
私はいつも持参のマイタオルを使う

2階には100円のハガキ(切手代込み)に好きな絵を書く部屋があり、1階の丸ポストに投函すると来年の希望日に配達されます。

トイレもユニーク!

 広いスペースの多目的トイレ

ご多分にもれず子供っぽいファンシーショップもいくつかありますが、人気は衰えていないようで
山裾に広がるしっとりとした奥座敷は湯煙をあげて頑張っていました。

おまけウォッチング
なぜか美空ひばり、寅さん、裕次郎の古い映画の看板がかかるCafe
  すでに閉店時間だった

下ん湯は瓦葺の小さな露天風呂

 そっと中を覗くと
脱衣室からまんま混浴状態なので、さすがの私も引いてしまった

そして帰路は大分経由で

Posted in

働く人々 カンボジア編

ツアだと「やっぱ自由気ままとはゆかない」 当然だけど・・・・

カンボジアはインドほどではないにせよ、格差社会が厳しそうというのが感想です

朝焼けに浮かぶアンコールワット

カンボジアではアンコールワット他世界遺産めぐりだが、入場カードを40US$/3日間を提示して見学するのだが、その割には保存管理が乱雑に思う。もろそうな石を自由に触れ、歩き回れる。

いちおう禁止警告措置はあります
Tシャツマークは、袖のあるシャツを着てね。アメリカのお姉さんみたいにグラマな胸と肩は遠慮して・・・・  (大声で)喋らないでというのもある

役人らしき人が各遺跡のゲートでバスを止め、車内に乗り込んで我々が掲げるカードを「よしよし」と見回して降りてゆく

数年前、日本の石工棟梁が弟子たちとともに遺跡に派遣され、修復を現地の若者に指導したはずだが、その後生かされているのだろうか?
若い現地ガイドは、何のことかさっぱりわからないという。日本人観光客が多いのだから、勉強して喜ばせてほしいなぁ。
写真右は幹が銀色に輝いて見える大ガジュマルの木

料金を聞きそびれましたが、上空から遺跡観光というのもあります

そうでした。ベトナムで買ったあの傘を登場させなければ。
写真左:妙に似合っているベトナムの日よけ笠、雨にも強い・・・たぶん。2$なり
写真中:ワット第3回廊(3階)への階段はテスリなし、勾配はたぶん70度
写真右:下りはテスリあり、へっぴり腰ながら35段を無事完降

余裕のある衣服を着用しているので、非常に太ってみえますが実物は8割くらいです、念の為言い訳を
かなり暑いと予想されていましたが、35度は思ったほどではなかった

アンコールの写真はホームページでた~くさん紹介されているので、ここもやはり働く人々をとりあげます
写真左:石造の阿修羅にそっくりなセキュリティ係りのお姉さん
写真右:日陰で絵を描き売る青年。内戦による障害を持つ人は出入り出来営業活動が許可されているという。彼は声を失い筆記だった

他に、5~6人で楽器演奏をし、喜捨を受け取る集団も何組かありました。

写真左:遺跡内でも住居や土産屋があり、母親にせかされ営業する少女
写真右:しばらく売り歩いていた少年が、池を見つめて寂しげな佇まい

ホテル近辺の露地では
写真左:自転車のリヤカーに載せて売り歩くアイスクリーム屋の青年
写真右:おいしそうなコッペパンにアイスクリームをはさみ、色付けした何かをトッピング

タイでも同じようなアイスクリーム屋さんがいて何回か食べたが、お腹具合は自己責任だから、ツアでは遠慮しガマンガマン

早朝の托鉢中の僧侶に喜捨し、祈りを受ける住民。かがんで受ける姿勢は上座部仏教の習慣だと思う。
日本でも托鉢修行はあるんだろうけど、最近はこういう光景は見ないなあ。

動物だって・・・
写真左:遺跡めぐりの像タクシー
写真右:ココナッツジュースの飲み方を教える親鶏

こうして事故も病気もなく8日間は終わったが、一人の紳士の財布がスリの被害に遭った。ウエストポーチからだという。たぶん写真を撮っている時だろう。彼等は単独でなく数名で連携プレーをすることが多い。いかにも善人そうな老紳士で、喜捨したと思えば・・・と温和なことをおっしゃる。
これから日本の団塊世代が余暇を謳歌し海外へ脱出すると思いますが、どうかスリには気をつけて。アジアだけでなくイタリアでもアメリカでもイギリスでも多いようですよ。

厳しいアジアの途上国に行くことは、改めて日本を見つめなおす機会だと思う。「世界遺産をめぐる旅」で○○へ行った▲▲を見たという自慢話だけでなく、日本を見つめ、忘れがちな集団行動のマナーを堀りおこさねば。年齢とともにあつかましくなる。自戒をこめて・・・

Posted in

働く人々 ベトナム編

ベトナムは想像より豊かだった。ほんとの意味で発展途上国だと思うし、あのベトナム戦争の悲惨さを全面に出していないのが不思議だった。むしろ若者はアメリカへ憧れの眼差しで見つめている。戦後の昭和の日本に似ている。
外国人年配観光客も多く、アメリカ人だったら、あの戦争に巻き込まれた人もいるはずだろう。十数年前、ニューヨーク・ブロードウエイのミュージカル「ミス・サイゴン」を鑑賞した時、後ろ席のいかついおじさんが鼻を啜っていたのを思い出した。
日本の紳士方が期待するアオザイ女性はレストランや土産屋などのサービス業と高校生の一部くらいだった

ハロン湾に浮かぶ奇岩(ニワトリ形)あいにくの曇天&小雨


写真左:小さいボートの親子が近寄ってくるのが見える
写真右:湾の船室で食事中ボートから這い上がってバナナを売る少年

写真左:喧騒の町中ではオートバイが数珠繋ぎ、職場へ向かうカップルか?
空気が悪いので月光仮面のおじさんやおばさんやお姉さんがいっぱい走っている
写真右:ベトナムならシクロ体験でしょう。自由時間を利用して20分くらい乗る

自転車タクシーだが、乗る前に行き先と値段を交渉しておいても、降りる時にはもっと出せと粘ること粘ること。おばはんだと思って甘くみちゃいけないよ!インドで経験済みだい、その手にはのらないぞ。ってことで適正価格ではないが、約束価格で楽勝。
”微笑みのベトナム”なんぞ都会の道路にはない!

写真左:街にはサイゴン川が流れ、遠くに有名企業の看板がならぶ
写真右:そして不謹慎だが住宅の彩りが、ちょっとまずいホテルにそっくりな建物が・・・

色はともかく鉛筆のような建て方と奥行きの長さは地価の関係からか伝統的なものらしい。隣同士がくっついているので、大方の建物は正面だけを色彩している。通勤圏では建設ラッシュの様相だった

それでも人々は喧騒のなかで働いている

写真左:朝食は屋台で・・の習慣だそうで露地では店が軒を連ねる。炭で炊くご飯屋さん
写真右:懐かしい路上散髪屋さん

写真左:托鉢の尼僧は裸足だった
喜捨すると手振りで”あなたが幸せであるように・・”。と祈ってもらったと勝手に納得する
写真右:すぐそばで厚揚げ豆腐を揚げて売っていた
長い中国の統治時代を経験しているベトナムではあれやこれや中国文化がてんこ盛り

アジアでおなじみのドラゴンフルーツ。この婦人は3種類の商品だけを販売
カットしてもらって部屋で食べました。な~んだホテルの食事によく出たものじゃないか!

実は働く人々のなかに撮影できなかったシーンがあります。
ベトナム戦争時、アメリカの枯葉剤投下によるハンディキャップを持つ多くの人々が刺繍や石工や縫製技術を学び、生活の糧としているセンターがありました。

沙羅双樹の花を見たことがありますか?

これです。開ききってますが、仏教聖木の一つで平家物語の冒頭の「祇園精舎の鐘の声,諸行無常の響きあり,沙羅双樹の花の色・・・」寺院の庭に落下した花をこっそり持ち出し、笠に入れて撮影したものです。この笠はカンボジアで大活躍します

以上移動中のバス車内・船内からと、早朝のホテル近辺散策での報告でした

おまけ:添乗員さんのお薦め土産

   《VietNam JackFruit chips》