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円空仏


せっかく岐阜県へ行来たので、円空仏も見て帰ろう。
というので、神の湯温泉の前に千光寺へも立ち寄った。市街地から北方向に20分ばかり、標高850メートルにあるお寺への山道をJIMNYで登る

円空は生涯に120000体の木彫り仏を作った岐阜県生まれ江戸時代の僧。
円空さんの拝借サイト
千光寺に滞在し、飛騨各地を巡りたくさんの仏像を彫った。そのいくつかを保管しているのが千光寺内にある円空仏寺宝館。

以前「もくじき」「木喰上人」関連で見つけたのが円空仏
その大胆な彫り口や面相は一度見ると忘れられない—いつかいつか現物を—と9月2日に実現した次第。
館内は撮影禁止だが、正面のこの像だけはOK

険しさの中に愛嬌のある慈悲も見える顔で、ちょっと犬のチンにも似る

大きい題材はこのような姿で彫っていたんですね

逸話のひとつ(拝借解説)岐阜県揖斐川町、一心寺の開基播隆上人は、円空上人を大変尊信し、円空が作った観音仏像を笈の中に収め、常に背負って諸国を遍歴したと伝わっています。

犬も歩けば棒にあたる・・・
(最近の説では、じっとしていないで、何かをやればいろんなことが見えてくるとの用法もある)
【その1】播隆上人といえば北アルプスに縁のあるお人。JR松本駅前に大きな立像がある。そう槍ケ岳を切り開いた僧だ。

【その2】長野県大町市にあるもくじき荘は故信上人が好んだ湯。故信は武田信玄の子信景で、後に出家し静岡県三島市の林光寺を開山した。
もくじき荘に聞くと、ここにあった木喰仏は最近盗難に遇ったということです。

【その3】円空のずっと先輩、木喰上人もあちらこちら遊行中に仏像を1000体残したといわれている。
やはりありました『円空と木喰』関連の書籍

”もくじき”からあっちこっち飛び火しやっと帰着、やれやれ

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椅子の修理


もうかれこれ25年愛用の食卓椅子。
一昨年背もたれの棒が1本折れてしまい、緊急処置が2年以上この状態だった。
埃や家族・客人の手垢の染込んだ5脚のひとつ。家族が減り、もうなくても支障はないが愛着が残る

以前写真を送って修理の可不可を打診済みだったので、思い切って出す決心をする
「クロネコヤマトのらくらく家財宅急便」だと5.800円(長野県→岐阜県、サイズ220センチ)もかかる。
長野県の西端から岐阜県の東寄りだけど・・・。長野県東端から岐阜県西端でも同じ設定だそうな。
勿論ちゃんと梱包をしてくれるのだが、しばし考えて高山市まで自分で運搬することにした。
車内で揺れ動くと別の障害が発生するので、JIMNYにきっちり詰め込む

8時半に出発し安房トンネル(通行料600円)・平湯温泉を越えて11時前に到着。
長野県の山間と同じような景色の中を走る

柏木工のギャラリーは2階
契約伝票を見てびっくり! 
△3.200円はガソリン代。おまけに返送料金は会社持ち。
消費者心理をつくありがたい話だ。

昼食はスタッフから紹介された高山ラーメン
高山でラーメンといえば「甚五郎ラーメン」だそうな
市街158号線に面した駐車場(10台?)のあるラーメン屋さん。すでに満車のため数分待つ

濃い醤油色だが、味は見た目ほど濃くない。チャーシューが口の中で溶ける
そして600円。希望すれば茶碗にご飯がついてくる
美味しくて持ち帰り2食入り(680円氷つき)も買ってしまった

しつこいくらいの美味しい作り方(レシピ)もついてきた
『甚五郎ラーメンはお湯をかけて3分間待つだけで出来る即席ラーメンとは違い、本格的に手順よく丁寧に作って下さい。』

ごっつあんでござんした・・・・と唸る高山名物中華そばでした

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ミティラー美術館


インドの民族画【ミティラー画とワルリー画】を展示する、おそらく全国唯一のミティラー美術館

1982年オープンのこの個人美術館を知ったのは、かれこれ20年前。
大阪・海遊館近くのワークショップ会場でこの絵を2枚購入し、現在我が家の寝室を飾る。

これはワルリー画(サイズ21.5×16センチ)。米汁と先の細い竹で描かれている。
美術館の展示品とはそのサイズ・精度・密度・価格は全く違うけどたいそう気に入っている。

さて新潟県十日町大池。大阪に比べれば安曇野からだと随分近くなったので、やっと訪ねた。
さあ行くとなると、えらい交通不便なところである。電話口で「不便ですみません」。。。。。
廃校利用でかなり古い建物だが、緑あふれる里山に建つ。

先の中越地震による被害で壁が剥げ落ちひびもはいっている。作品のいくつかも破壊されたそうです。

 
展示作品保護のため照明が暗いせいもあって、美術館というより倉庫のような感じ。大きな作品もあり堪能した。
他県への出張展示会が多く、広い敷地を利用したイベントやワークショップが開催されることもあるそうだ。
オープン当時は賑わったが、最近ではかなり減少しているとタクシードライバー氏。

折りしもインド南部・タミールから来日のテラコッタ制作の二人が作業中。

 手前の粘土がテラコッタ作品製作中の馬
型にはめて作るのでなく丸みをつけ、線を引き飾りもつける手作業である。
成型した粘土を焼く窯を、レンガで丸く積み上げる。
ずんぐり丸く背高な作品は、頭胴脚に分割して、焼成・乾燥後にはめ込んで出来上がり。

滞在中彼らは離れた家屋で自炊しながら、制作している。
ん?Tシャツの背中に「五所川原○○」
来日後、イベントで青森へ行き、ここでの滞在が終わると次は東京・代々木のワークショップ会場へ移動。日本滞在は2ヶ月だから、9月末に帰国するんだそうです。

余談1
車で行くと高速料金とガソリン代が——
結局鉄道(ジパング倶楽部で最寄駅・十日町間は3割引)で行った。
経路(JR東日本+ほくほく線)
最寄り駅(午前8時発)~長野駅~十日町(新潟県)~タクシーで美術館まで
美術館~タクシーで美佐島駅~ほくほく線で十日町~長野駅(午後7時着)
ふう~

美佐島「トンネル駅」乗車初体験のため、ポツンとひとりで電車待ち30分
看板見ながら待つ

 
つくづく暇人やな~

余談2
9月27日~28日東京・代々木で開催のナマステ・インディア

余談3(他サイトから拝借)
前衛音楽グル-プ「タ-ジ・マハル旅行団」でボ-カルをつとめた音楽家が館長。
美術館の土地を求めて十日町に来たのではなく、都会が嫌になって十日町に住んでいたのにリゾ-ト計画がもちあがり、それを阻止するために人寄せの事業として始めたというユニ-クな美術館

こんな話にめっぽう弱い

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山荘ピリカ

午前6時の外気温15℃。肌寒い

松本の東、美ケ原方面へひたすら走り三城牧場近く、標高1300mにある山荘だ。

  築50年くらいか?味わいのある本館

  窓枠にご注目。ガラスは当時のまま

自宅庭や、この敷地内に咲き乱れる花々でお客さんを迎える
写真ではわからないが、建物は痛んできている箇所もあり、すだれはぼろ隠しと笑うが、籠とマッチしている。
階段もところどころウグイスが鳴く

  点在するコテージ
オートキャンプ場もあるが、最近は「超自然トイレ」では人気がなく利用者は少ないそうだ。
確かにどこの田舎に行ってもトイレは完璧設備ですもんね。
5~6年前、小谷村の山村留学生がキャンプに来たことがあるという。

湿原に咲くクリンソウ

  

珍しいタガソデソウ

  
大木のサラサドウダン

廊下に飾ってあったツツジは珍しい花ですが、
「このきなんのきサイト」で”ヨウラクツツジ( 瓔珞躑躅 )”か”ウラジロヨウラク(裏白瓔珞”)でした
葉裏からウラジロヨウラクに落ち着く。やれやれ

裏庭の2メートル大木のウラジロヨウラクを切ってもらい、我が家のリビングでも可憐に咲いている。
ますますツツジが好きになりました
今後の参考に「ツツジの仲間40種」「高山植物図鑑」
ようらくもつつじも漢字でかけない。
瓔珞とは、装身具または仏堂の荘厳具のひとつ・・と辞書にありました。

帰り際、裏庭のふきを鎌でバッサリきって、はいどうぞ!その本数半端じゃない。
肝っ玉母さんである

余談1
この山荘へは大阪の若い友人からの紹介で、移住前に1泊している。
松川村に本宅があるので、安曇野方面での土地探しに知恵をいただいた縁を持つ。
その後若い友人が山荘へ来た折、二人で我が家へやってきて完成した住まいをいたく喜んでくださった。

余談2
訪れた日は、来客の準備とかで掃除を終えたところだった。
廊下が光っていた
「1ヶ月ぶりに来たので、長い間留守してごめんね、と謝りながら磨いた」と話すママさん。
その愛着の深さに感じ入りました。だから時空を経て建物が光輝いて見えるのでしょう。

帰宅後、我が家の床を磨きました

付録
美味しいふき料理一品(太めのもの)
①塩で洗い、茹でて灰汁ヌキ、しばらく水にさらす
②薄皮と筋を取り除き3ミリ幅くらいの斜め切り
③ごま油でさっといためて砂糖と醤油を絡める
④鰹節をたっぷりかけて
召し上がれ
※細いのはきゃらぶきに・・・

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龍君に会いに

6月7日のこと
長野県松本文化会館(浅間温泉の近く)へ行ったのは初めてだ。午後3時の開演だとばかり思っていた。
それなら帰りは車でも夕方だから安心!
入り口階段下の看板には3時から院内感染対策研究会。大ホール前には人影なし。あらぁ午後5時開演だ

数分先の浅間温泉日帰り入浴もチラッとよぎったが、新緑と吹き渡るさわやかな風に誘われ、散策することにした。
五嶋 龍君のバイオリンコンサートの前にひと風呂はちょっと憚られるし。
アメリカ・オルフェウス室内管弦楽団と「四季ヴィヴァルディ」を聴きに・・・・
”冬”が好きです、昔から・・・・
弱冠20歳の青年は世界を駆け巡る。日本人と思ってはいけない人、宇宙人のようです。貫禄も初々しさも併せ持つ。

  チケット購入時に同封のチラシから借用画像
アンコール曲:パガニーニのなんとか変奏曲は、弦をこする、爪弾くを駆使した演奏で一人の演奏とは思えない厚み。
圧巻!しばし席を立てなかった。

余談1:知りませんでした
彼が演奏するバイオリンはNPO法人イエローエンジェルから貸与されているとチラシに書いてありました。

外国では、とくにアメリカだと思うが、支援する人や団体を”エンジェル”と呼び、ごく自然にボランティア活動に参画している。
日本でも景気の良い頃は、企業名のついた冠コンサートがあったが、今はどうなんだろう?これは宣伝広告に使われることが多い。

余談2:風に吹かれて
会館そばの浅間温泉に続く道は「やまびこ道路」といい、両側にはかなりの樹齢のポプラ・サクラ・カツラのオンパレードだった。

ゴンタ君のどうだい!像に見える。碑石には「ゆとりの街 松本市」
会館も道路も城も音楽も山岳も温泉も十分すぎる余裕だと思うよ

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e-小布施.com

『光 人 交流』
ホームページの作り方が素人にもわかり易い。
観光サイトならまず自己満足・懲りすぎ・事務的ずさん風はいただけない。

大阪からの友人と、急遽勢いで小布施に立ち寄ったため消化不良は免れないが、また来よう!と思いを残す観光地です。
小布施はいわゆる街造り・街再生の優等生です。地元・民間プロジェクトがうまくかかわりあって成功しました。若い人も懐かしがる中高年も呼べる街です。その証拠にあちこちから方言が聞こえるのです。

もっと散策したかったと友人。次は↑このサイトで予習をして行こうっと

それでも楽しんだのは、この2店
■Maronapple マロナップル

買うのはあとで、お試しコーナー
手作りプレーンヨーグルトに手作り超自然ジャム(旬)をトッピングしてくれます。
ジャムは18種類くらいだったか。いくつでもOK。店内でお気に入りを注文し食べられます
二人でウメ、クリ、イチジク、コケモモ、キイチゴなど試食。私が求めたジャムは旬クリ。もちろんペクチンなど添加調味料なし。
ヨーグルト以外にも使い方は工夫次第。

自宅に伊那産イチジクのドライがあるので、作ってみようっと—-

■栗の風味堂
いわゆる土産屋さんとカフェ?と思って通りすぎたら、駐車場に向う右横壁に大サイズのモノトーン・パネルのイラストがあり、イメージとしては北斎の龍を思わせていた。
プ~ン、こ・こ・この匂いはなんかあるぞ。戻ってカフェの2階へ上がると
栗のイラストがずら~り。ほっとして笑えます!しかも入場無料

ほかにETやすき焼きなど、とにかく愉快です。2006年5月開設のぎゃらりーというから、作品は時々入れ替えるのでしょう。
1階店内の男性販売員さんに聞くと「名古屋の方です。それしかわかりません」
片隅で販売の絵葉書から『栗日記』を検索するとありました。

おまけ
風味堂で検索していたら↓ なんか面白そうなメンバーがでてきました
http://www.fumido.jp/
栗の風味堂サイト内にも紹介があります

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長野へⅠ

大阪に住んでいたらきっと行かなかった。長野県だから・・・その程度の意識ででかけて許される行為か?と、咎められそうな気はする。

聖火リレーではなく善光寺の「先の騒乱犠牲者追悼法要」への参加です。
主催はチベット問題の支援グループ。
善光寺の立場はチベットでの暴動で亡くなった人たちを、民族の違いにかかわらず名前を読み上げて弔う。出発を辞退したが、世界平和を願うという姿勢だった。

26日早朝の電車の中で「7時からの予定を前日になって8時15分からに変更となった」と”考える長野の会”の人が教えてくれた。警察からの要請だという。
つまり同時間にして混乱の分散をはかったようだ。
長野駅前はすでに気勢をあげていた

若者が多い
青い旗は新疆ウイグル自治区の旗でしょう。
同じく民族浄化の嵐にあっている国です

通りを歩くのは危険と感じたので、長野電鉄で善光寺下駅まで行き10分歩き本堂前に

本堂前で日本に住むチベット人と、支援者が犠牲者に祈りをささげていた
静かに唱和の声が響く。

500円の支援団体発行のチケットを購入して本堂へ。

関係者に混じって日本の僧侶も20名ばかりいた。読経の中で、支援団体が入手した犠牲者111名の出身地と年齢が読み上げられ、20代30代の若者が多い。
チベット族だけでなく、別に漢族の名も読み上げていた。
彼らの命が報われる日を待ちたいが、おそらく平和的な解決は望めないと思う。

支援団体が約束だから守ってとプラカードを掲げている
善光寺内ではデモンストレーションは禁止だから、中国の旗は当然ない。

大門を出たところから長野駅に向かい行進が始まった。
大通りをはさんで双方のシュプレヒコールは続く。私は直面しなかったが取っ組み合いで怪我人が出たとインドの袈裟を着た僧侶が話す。彼はインドの新興仏教団体に属し支援をしており、後藤住職のことをよく知っていた。
お互いに活動を労い別れた。
日の丸とチベット旗を重ねて持つ人もおり、信州ならではの真田氏の六文銭旗もはためく

とにかく中国は大量団体戦略である。3~4種類くらいのプリントTシャツを着て、大判の旗を揺らす。おそらく華僑からの資金援助だと思う。
アムネスティや小さな団体が固まって気勢をあげると、寄ってたかって大きな旗を眼前に振り回し、取り囲み阻止しようとする。
”愛国心”というより”上からの指示”と見てとれる。

元気な中年日本人が討論しようと話かけても、ただ大声でわめくのです。相手に隙を与えないぞ!の身構えだ。
たまたま横にいた私は思わず「長野県民は冷静だから、そんなにわめかなくてもゆっくり話したら」と言ってしまった。彼女は黙ったが、背後から襲われないか気がかりだったが、何事もなく・・・・。

再び討論の輪が出来ていた。がやっぱり口をゆがめてわめく女性。
その中で「チベットはずっと昔から中国のもの」との発言にまたしてもプツンとくる
「あなた本当に学生?」横にいた中国支援者が女性を制した。
右横の男性は根気よく話しあっていたがやっぱり噛み合わない。

上右の女性は、中国旗がはためく中で、毅然と意思表示していた

バスはいつも通りにロータリーを周回している

聖火リレーは見なかった。何のためなのか。
駅への階段上り口で、警察官が中国旗を持つ団体に「お疲れさん、旗は丸めて持って」と挨拶している。馬鹿じゃないかと思う。
コンコースでたむろするおそろいシャツ軍団が怖かった

電車の中で話しかけてきた女性は、もと学生運動で鍛えた団塊世代。
彼女曰く「だらしない日本人はいつかチベットと同じ目にあう」と嘆く。そんな深読みは思いがけなかった。
この騒動でチベット問題に目を向ける人が増えれば・・・・では甘かったか?

頭を垂れる長野行きだった

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レトロ『レストランヒルトン』

舌を噛みそう
38年前からスタイルが変わらないらしい。外観はちょっと古めかしい。内装は新しく改装したように見えるがやっぱり当時のままだということだ。

なにがすごいって
①ふわっとした三角の椅子がレトロ
②テーブルの配置にゆとりがある
③メニューの斬新さに比べて中高年の客層が多い
 昔仲間のような紳士ふたり連れとか
 こども連れ若夫婦は、親に連れられた経験者のように思う。
そんな想像を起こさせる雰囲気だ
④牡蠣ピラフに、どーんと大きな牡蠣が10個くらい鎮座している
 牡蠣って調理すると縮むんだもん
⑤ちょっと高めの洋食屋さんに、砂糖壺が銀器だった

3月末までの牡蠣ピラフは4月からホタテ貝柱ピラフに変わる

ご飯に牡蠣とあさつき?がのってるだけなのに、かかっているソースが大変美味しくて。ご飯とソースだけでも十分おいしい。
牡蠣ピラフは終わるけどここのカレーも食べてみたい

志賀高原でスキーしていた昔青年には、記憶している人もあるんじゃない?
R18号線沿いの辺鄙な場所に、これまたレトロな大きな看板があります。鉄道では最寄り駅から徒歩15分だもんね。
遠くてたびたびゆけないのが悔しい

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横浜を歩く

心優しいおとこ友達が、ぽっかり空いた15日、横浜を一緒に歩いてくれました。
しかも若い!息子のような男性。”横浜だよおっかさん”状態である。手は引いてもらわなかったけど。
おっと心配しないで・・・・
1995年、面白メンバー4人旅のインドで出会った青年。以後年賀状やメール交信があり、安曇野へも訪ねてくださった方です。

赤レンガパークへはシーバスで

陸へあがってランチはここ

創業当時から変わらない店内インテリアと味。ピザのクラストは極薄パリパリで素朴な味でした

歴史建造物あり

横浜ベイスターズのお膝元に、これはいいのかな?

馬車道という名前に惹かれてそぞろ歩く
明治時代、外国人居留地から横浜港を結ぶ道路のうちの1つで、外国人がこの道を馬車で往来していたことから「馬車道」と呼ばれるようになったという近代街路だ。

 初のアイスクリーム店があったと記念標識石

日本初とつくものが多くあるのもこの道(地域)の特徴だ。

優しい青年O君お勧め、中華街内の創業明治20年老舗「聘珍樓(ヘイツンロウ)」で豚まんとシュウマイを買う。当日泊の成田空港のホテルのキッチンで温めてもらいご住職と一緒に頬ばりました。
特に豚まんの饅頭が大変美味しかったです。機会があれば是非ご賞味を。

楽しい旅を2週間続け、16日正午エアインディアで帰国の住職を見送り—-END
安曇野に戻ると暖かい風が、黄砂とともに漂っていました

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鉄ちゃん鉄子の博物館

14日午後、私は鉄道博物館にいた
奇しくも寝台特急”銀河”が最期の走行だった。
新幹線増発や世相のスピード化に席を空けたのだ
さいたま市大宮駅からシャトルでひと駅。近くの川口駅にご住職を送った後、都内に戻る予定を、「そうだ!新村駅に保管してあった木製の客車が嫁入りした博物館が埼玉だ」と思い出しのだ。
おぉ~タイムリー

館内は溢れんばかりの人人人
白髪頭の昔青年、進級前の学生・生徒、当然若いカップル・親子連れ
とにかくあらゆるジャンルが網羅されており、観る学ぶ乗る買う食べる(日本食堂レストラン)…

これこれ

  ←2007年2月 日本最古の電車

証拠物件風画像2点

3階ラウンジからはそばを疾走する各種新幹線を眺められるサービスも

お・み・ご・と