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絵てがみの力

元気な青空と雪山が続く。気持ちをほぐすにはもってこい!

気持ちをハイにさせるには何ができるか?
そうだ絵てがみにトライしてみよう。

尻もちの後、なかなか痛みが取れず部屋にひきこもりがちになった母。

さて困った
寝たきりにさせまい・・・このまま認知症へ突入か?

茨城新聞社刊 分かりやすいに尽きる

食事・排泄・更衣(着替え)を励行させる、これが基本

動かなければお腹はすかず、座ると臀部から背中が痛むらしくゴロゴロすることになる。
トイレと食事は、車椅子でなんとか介護士さんか私が連れ出す。

焦っても仕方ないので、この本で予備知識を仕込む

図書館で借りたので細部は忘れたが、母を観察していると「まぁ大丈夫だわー」

記憶力は落ちていない、わずかといえどもの郵便貯金通帳の心配をしている、朝日新聞の見出しだけのようだが全頁に目を通しているらしいし・・・・
看護師さんや介護士さんの特徴をメモして名前を覚えているし・・・・
そのうちニックネームをつけるのではないかと思うほど、特徴をつかんでいる。
「忙しいのにわがまま言ってすみません」と相手への配慮も少しはできる。
言葉の配慮より頑張って動いて欲しいのが、私の本音です。

さてここからどうするべぇ。
まずは知人の出張マッサージを続けながら、病院のリハビリに連れ出し生活機能訓練をしないと。
痛みがなくなり治療が済んだ時、足腰が弱っていては困る。並行してできるのがよいらしい。

興味のあること刺激になることで目覚めさせるには
茶道だ!
30年も続け、師範のお免状もとった努力に火をつけよう!

構図は気に入った写真からイラストにした。着色は顔彩、文字はサインペン
エへへ・・・へたウマと自ら慰める。
真似っこからでも、とりあえず先へ進めてみよう

母の感想は
茶巾は真っ白に!(右下)
サインは手書きで面白いから、早まって篆刻なんぞ作らなくていいよ(見すかされてる~)
サインを道の左脇にすればバランスがよかったのではと言うと「下のほうで目立たぬくらいが美しい」なんぞとけん制する。

参りました!

そうは言いつつ嬉しいのか枕もとに置いて眺めているようだ
ありがとうね

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圧迫骨折

  散歩道から

圧迫骨折を知りませんでした。
年末に尻もちをついた母は、痛みがとれず年明けに近所の整形外科へ相談に行った。

「どうも昔の圧迫骨折の痛みですな」
「尻もちのほうは大丈夫です」
「なんならMRIをとりますか?」

「そういえば60歳代に茶釜を移動させた時、痛みがあって薬で治した様な・・・」

それだろう。

2日後のMRI検査の結果
「やはり古いものですね。記憶はありませんか?」
「痛み止めを飲みながら1ケ月くらいで自然治癒で治ります」

この自然治癒の言葉ががいけなかった。
寝っ転がっていても自然に治る・・・・と解釈してしまった。

イタイイタイと言いながら横になっている。
看護師さんに諭され、食事には連れ出してもらっているが、パジャマを着替えない。

やっと上着だけ着替えるようになった。
入浴を断る。浴室での転倒を怖がる。ちゃんとプロの介護士さんの介助があるにも関わらずである。

何かというと「病気だから・・・」と逃げるようになった。
逃げるというより、病気を作っている感じ。

こりゃなんとかせねばなるまい。

寝たきりは認知症発症への道
これにも理屈をつける。思考はちゃんとしているから問題ないと言い張る。
人間は頭と心と体のバランスで成りたっているんですぞ。

母上よ、温めて体も心もほぐし、筋肉をつけてまた歩こうよ!

ふ~

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やるじゃん!


2012年12月29日 午前6時50分 積雪20センチに今期初の除雪車出動です。

慣れてくると新しい問題が生じるもの

いえ、私でなく母です。たいしたことはないのですが、尻もちをついてイタタタタ~

30日 日赤豊科病院の休日外来へ。レントゲン撮影の結果、骨折ではなかった。

元旦に帰宅する時の洋服を用意するべしでタンスの引き出しを開けた時、咳をしたとたんバランスを崩したようだ。

今日の訪問時、大阪のリハビリ時代を思い出して起き上がりに挑戦!

両脚を揃え、ベッド脇に腰かける状態でベッドの柵を持ち、一気にエイヤッ

軽くこなせた。やったね

テーブル横のボックスから、メモが顔を出している

『安曇野に 佇む対の 道祖神 清き流れと アルプスを背に』

こちらに来た頃、車窓からの風景を詠んだそうだ。

母よ やるじゃん!

筋肉つけて、春になったら道祖神の傍を自分の脚で散歩しよう

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ホーム生活を愉しむ

11月末のある朝

東向きの部屋だから「綺麗な朝焼けやったねぇ」と電話するも「ぐっすり寝てて気づかなかった!」
結構なことである。

母はホーム生活に随分慣れてきた。私の目測を超えて胸の奥には深く思うところがあるだろう。きっと。
しかしお仲間の方々が声をかけてくださるようで、いつもいい顔をしているのは嬉しい。

信州の冬対応に必要な衣類の調達や、いろいろな事務処理など私も慣れてきた。

いまでは大阪時代から転送される各種郵便物の運搬屋になりつつある。

先日、年に一度の、ホームの現状と今後の計画の報告会が開催された。

参加者は少なかったが新参者には、参考になることがらに『なるほど』と役立つ。

年間行事のビデオ上映の中に、入所後2ケ月で母の登場が3シーンあり、まるで保育園の保護者の心境である。
おそらくスタッフが編集に気配りをしてくださったと、ありがたく鑑賞した。

細かいことを言いだしてはキリがない。スタッフの手不足を感じることもあるが、大変な仕事ばかりである。
本人も「私はまだ元気ですから、出来る間は自分でします」と、乾燥済みの洗濯ものの片付けやタンスへの収納は自身でやっているらしい。

それでいい。

ポストマンよろしく部屋に立ち寄ると「お茶をたてようか」と面倒がらず嬉々として準備する。
のせられてついつい時間を過ごす。

薪ストーブ焚き始めたし、昼ごはん一緒に食べない?
誘っても「風邪ひいてホームに迷惑かけたらいけないからやめとく。こちらの食事もおいしいしね」

あっそう。

お仲間の認知症の婦人が同じことを何度も母に注意することがあり、私もこうして老いてゆくんだねーと、しみじみ話す。
慣れない母に注意する親切心だと理解出来る。

居心地が良いんだろう、いや居心地良く過ごすための努力もしているんだろう。

今さらながら、遠かった老親娘の距離が手繰り寄せられている感じ。

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拍手

風に舞い、はらはらとモミジやミズナラが散る今日この頃。

裏に表に散るもみじと表現される。

クヌギやナラの葉は大きいから落ちた瞬間わずかに”カサッ”と聞こえることがある。

そして頭上に小鳥のさえずりが聞こえると・・・・一茶の気分です。

裏に表に散る現場を見損ねた「もみじ七変化」
その実生と思しき20センチほどの赤いモミジが踏ん張っている

この子は近い将来、樹木葬の第一候補に挙げている。頑張れ!

頼まれ品を届けに、母を訪ねる。
この青空に有明山の午前中だった

母は
「朝食の食堂で、みんなが素晴らしい!と言って拍手するんよ」と嬉しそうに話す。
なんかいい気分である。
単調な日々に、感動を見い出す同志の方々に感謝です。

昨日はホームでミニコンサートがあり、いつもよりちょっぴりお洒落をして参加したそうだ。
楽しかったー・・・と報告があり、アンコール曲「信濃のなんとか」も良かった、という。

そうなんよ、信州人は何かイベントがあると必ずといっていいほどこの曲で〆ます。
♪信濃の国は十州の・・・と頭出しをすると、そうそうと大喜びだった。

次のお土産は歌詞カードに決まり。
6番まであるからね。地図を広げて愉しんで

余談
ずっと以前、ある書き物に『歌舞伎町の裏酒場で、信濃の国を合唱している集団があり、信州人とすぐ分かる』と揶揄していた。
まぁ大阪の居酒屋で盛り上がる阪神タイガースのファンもご同様ですね

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経過良好

リンゴがたわわに。
枝を低くし作業しやすくする栽培方法ではないので、天に向かってノビノビと・・・
  10月27日撮影

「退院後1ケ月頃に、左大腿部のレントゲンを撮ってください」と主治医から通告されて退院した。

10月24日
リハビリ科のある病院へ。初診手続きも事務局の協力でスムーズかつ早急に完了。
2番目のはずだがなかなか呼び出しがかからない。

どうもリピート患者さんが次々と入室しているようだ。
先生と面談する患者の2番目だったのです。

レントゲン結果もデジタル化のようで、時間をあけてやっと呼ばれフィルムを眺め説明を聞くスタイルではない。

先生はパソコンに入力しながら話されるので、母の顔を殆どみていない。

「はい問題ないですよ」
「次は右脚を骨折する確率が高いから、気をつけてください」と注意があり終了した。

”注意”より”なんもなかった!”に力点をおく彼女に、室内履のかかとを踏んでスリッパにしないよう強く注意するのは、いつも私の役目です。

今後の決め台詞は「こ状況での次の骨折にはお付き合い致しかねます!」にしよう。

早く終わったので青空のなか東山方面にドライブし、上條さんでおそばを頂き、リンゴ農園の傍を通り過ぎて帰りました。

この日は前夜から冷え込み、北アルプスが美しく雪化粧。
勿論初めて見る山々に母は嬉しそうだった。

空よ山よ林よ田んぼよ畑よ・・・ありがとう

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新生活

母はそれなりにホーム生活を愉しむようになってきた。

お出かけ前のすまし顔。籠の鳥では老けこみそうなので、いや充分老けてはいるが活性化のため、買い物に連れ出す。

私はさっぱりダメだが、父の遺した預金を母はわずかながらも運用管理していた。

元気な頃は一人で生活全般にわたり工夫し無駄なく生きてきたことが、今回の転居作業から読める。

しかしまあ一人の転居といえども、いろいろ大変である。
例えば大阪での生活基盤としていた銀行が都市銀行であり、安曇野市にはないので松本市や長野市まで出かけることになる。

ホームでは大きな現金や重要なものは部屋に置かないのが原則。
住所変更など各種事務手続きが済むと、コピーしてコレコレシカジカ完了!と報告する。
まだしっかりしているので手ぬかりなく処理しないと、質問がとんで来るのである。

こうして無事転入し10月1日安曇野市民となり、

地元の銀行に口座開設をし最近になって新聞も取り始めた。

室内をカスタマイズする余裕すらあり、ひと安心の日々となってきた。
住めば都か・・・

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ようこそ

外出先の夫から届いた本日の松本城

9月30日
89歳で転居することになった母は、京都駅9時25分発の”しなの9号”で新しい旅立ちをして安曇野市民になりました。

リハビリが始まった当初から、自宅へ戻り以前のような気ままな生活を夢みていた。
なんとか歩けるようにはなったが、主治医の先生から
「一人暮らしは無理だねぇ。もうゆっくりしたらどうですか」
と諭され観念した。

見学して気に入った地元のホームへ入居しようと決断したものの、いかんせん長野は遠い。
3ケ月も身近に接していると急に寂しくなったのか、決断をした翌朝私の携帯電話に、
小さな声で「一緒に長野へ行きたい」・・・・熊はもう頭にいないのだな。

予約を入れたり断ったりふた悶着の末、安曇野市内の住宅型老人ホームに落ち着いた。

私ならここで暮らしたいと思える施設から、8月上旬空き情報の連絡があったのを母は断ってしまった。
そして落ち着いた別のホームで、みなさんから歓迎を受けて9月30日の午後入居したというわけ。

旅の疲れもなく、さほど哀しそうでもなく、おそらく「なるようにしかならん」と覚悟したのだろう。
さいわい10畳の個室なので、馴染みのタンスや父のお手製ラックなどを持ち込んだのがよかったのか、
朝焼けの美しさに感動したのか、10月1日は爽やかな顔をしていた。

自宅整理の際いろいろなものを見つけたが、ずいぶんキチンと管理していたのには感心しきり。
見習いたい。
そしてこれからの生活に、つかず離れずそっと寄り添ってゆこう。
私自身の新生活でもある。

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決断の瞬(とき)

社会見学気分でふたつ目のホーム見学。気に入ったようだ。
生活相談員の方が同じ姓、孫のお嫁さんと同じ名。出来過ぎのシチュエーション。

24室と小ぶり。同じ館内にデイサービス部門があり、同じスタッフが介助に当たる。
ごく普通に生活している方や、車椅子から解放されて歩けるようになったと喜ぶ男性。
外部の方も受け入れているデイサービス。リハビリ訓練室があり、母は嬉しそうだった。
しかし自宅にもどりたい気持ちは変わらないようだった。なかなか冷静である。

せっかく外出したので、モール街で食事をすることにしよう。
消化器系の病気ではないので気楽である。
看護師さんに伺うと「どうぞどうぞ愉しんできてください」ホームの車の送迎つきである。
帰院時間を1.5時間延長し、お寿司をたべました。

そして帰り際トイレに寄った時の、母のつぶやき。
「トイレごときで、こんなに不便になるのか」と嘆くのだ。
車椅子で移動していたのだが、多目的トイレの順番を待つもどかしさ。
一般トイレで済まそう(「私はもう歩ける」という)と奥に行くとまたまた行列。

私が帰ったあと主治医の先生から「美味しい食事を作ってもらい、生活はもうゆっくりしてはどうですか?」と話があったそうだ。歩けるだけでは生活は無理なのだ。血圧が高く貧血をたまに起こす。
戦力外通告みたいな気分だっただろう。きっと

夕刻、立会いの看護師さんから「今日見学のホームにゆきます」という伝言。
持参家具の採寸をした。使い慣れた、見慣れたものは、きっと役に立つだろう。

今朝本人から「ひと晩考えて、安曇野へ行きたい」と電話がきた。
ひぇ~結局スタート地点にもどったのだ。大丈夫か~。
二晩考えたほうがいいんじゃない?
以前「あんな田舎」とソデにしたホームは、おかげ様で…とは言わないが、「今は満室なんですの。」

孝行娘のつぶやき・・・・あ~あ、ふりだしだよ。

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迷い

信州の山道に似る高野山への道から眺める景色。下のほうにポツンと一軒家。
ここはかつて弘法大師が、山をめざした旧道だそうな。
標高550メートル。
右へ裾野が広がる美しい景色をみる山あいの道幅は、やっと車がすれ違う

母はリハビリ訓練が進むにつれ、自宅戻りの執着がますます強くなってきた。

ただ杖をついて歩けるだけなら、それはよし。
しかし生活となると・・・・

親子ともども初経験だから、先の見通しがたたない。

一旦は安曇野へ行くといった。その方向で準備を進めた。

少し元気になると、地元に残ると言い出す。

ではと、今後の参考に有料老人ホームの見学をする。

ブラウスにスラックス、帽子をかぶり、唇に紅をさす。
「あらぁかわいくなったねぇ」とヘルパーさんに声をかけられ、澄ました顔で
施設から迎えの車に乗り込む。

予想より立派で気後れしている。耳が遠いので頓珍漢な受け答えをしても澄ました顔でいる。
本人が行くと選んだ施設だが、現実とフィットしないのである。
病院の看護師さんからは「本当にお母さんは行きたいのですか?」と言われ、私の顔を覗く。
ったく~の心境である。

今日は2ケ所目の見学日。リハビリ訓練に支障のないよう、時間設定する。

思えば私たちの移住の時は、全く関心も転居する気もなしだった。
そこへトラブル発生。しんどい入院生活を耐え、・・・私も。
今回も「あんな田舎」と安曇野転居をソデにした。

今月末には退院しなければいけないのに、まだまだぐずぐず決めかねている。
居宅一人暮らしの道を選んだ場合、この半月は大忙しである。
ケアマネージャーと面談し、プランを作成し部屋を改造したり、新たに必要になる家具やその他小道具の調達をすることになる。
レンタルだからと安易な考えはいけないと思う。1割負担云々は結局無駄をつくりかねない。

またあれじゃこれじゃと決まらないのだろう。
自分ですると意地をはった以上、自身の手で進めよ、がんばれ!

あと半月の辛抱だ。今月末にはさっさと信州へ帰るよ~。
なして今夏の暑さに大阪で耐え、秋風の吹き始める10月に信州へ戻る・・・・

ヘルパーさんの出入りにストレスがたまり、やがてバスで買い物に行ったり、食事に出るのも億劫になってくるだろう。
再度の骨折もあるかもね。

もう呼びつけないで!と、祈り宣言しよう。

ブッダは、『運命でなくすべて因縁である』と、説いたそうな

さて結果はいかに。

余談
14日には長くお世話になっている補聴器センターが、病院まで出張して保守点検をしてくださる。
オーダーたが、痩せて耳穴が小さくなってはいやしないか?