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食事会と映画鑑賞

台風一過・・・は、スカッと晴れるれ渡るのだが常だが、どうもぐずぐずと雨と曇天が続く。

そう2週間前くらいの話ね。
老母のホームの食事の味が変わって、どうも楽しくないという。
でも毎日毎食作ってくださる調理師さんに申し訳なくて、言いだせない・・・と母は言う。

正しい。
しかし食事は暇な日々の中で、楽しみのウエイトが大きいのも事実。
原因が判明した。体調不良か所用か分からないが休んでおられたという。
やれやれ。笑顔が戻った。

1週間に一度の割で訪問すると、1時間半くらいをそんな出来事や、世間のニュースなどでおしゃべりする。
入居のお仲間が入院されたとか、徘徊する方がおられ「それほど広くない施設内で行方不明になるのが不思議だ」
などと話しながら時をすごす。

若いころの初めて聞く話などは楽しい。
しかし戦争中や、その後の東京での苦しかった生活を聞くにつけ、現在を感謝である。
59歳の次女を見送った話は、だめですねぇ。辛いらしい。親より先に死んではダメです。
まぁこれからも元気なうちは、こんな暮らしが続くのだろうね。

その中で、1回/月をおしゃべりしながら持ち込みランチ。また1回/月は、買物や美容院へランチとセットして外出する。

最近はDVD上映会がお気に入りですが、パソコン画面ではどうも小さい。
加えて字幕が読みにくい

思い切って再生機を購入。
『第三の男』・・・これは2回も鑑賞。あらすじや俳優の名前をよく覚えており感心する。
『自転車泥棒』・・つい先日、かねてからの希望をかなえた。
待機中作品
『道』『カサブランカ』
希望は出ていないが用意してみた。
『鬼平犯科帳’82』4作分・・・・BSで収録済み。反応やいかに。
我が家の書棚から『モロッコ』が出てきたが、好きではないらしい。

難聴のせいか、邦画より日本語字幕のある洋画を好む。
ひょっとして邦画でも作品によっては字幕ありDVDもあるかもしれない。
調べるとあるにはあるがまだ少ないらしい。
手間と時間と余計な経費と、著作権がからむのが原因のようだ。

ちなみに安曇野図書館に伺うと、邦画にもそこそこの数字で『日本語字幕付』作品がありました。
例えば小津安二郎監督の「お茶漬の味」(安曇野図書館蔵書検索ページを拝借)

安曇野市のホームページから蔵書検索→検索条件→作品を選択→詳細情報→注記覧に日本語字幕付

所蔵作品の一覧が公開されていないので探すのは面倒だが、今後は”バリアフリー”の一環として明文化されると助かる。

何やかやと注文が多くなったのは、元気な証拠。
孫娘が1週間滞在したが台風の影響で、遊び相手になったりキッチンの手伝いをさせたり温泉に連れて行ったり。
比べる話ではないが、今のところ孫のほうが手がかかる。

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DVD上映会

母がフランス映画『望郷』を観たいという。
最近、復活目覚ましい母の希望・要求の高度化に驚く。

部屋のテレビには録画&再生機能はない。

う~ん。

DVDを探し、amazonで格安に入手する。送料なしで433円なり。
親孝行には過ぎるほどのDVDである。

今回はパソコンを持ち込んで鑑賞したが、

次回は我が家で観て欲しいよ。

字幕スーパーをしっかり読んでいた。
私より視力がいいからね。
ジャン・ギャバンについて、「昔はいい男だなぁと思っていたけど、
近頃は日本の男のひとがハンサムになったからか、たいしたことないわ~」ですって。

演技で勝負してあげて。

映像美で勝負なら『第三の男』
毅然と去りゆく女性の姿と、BGMで流れるチターのもの悲しい音色を記憶している。

圧倒的な存在感のオーソン・ウエールズを観たいという。
では・・・と次の上映会は『第三の男』に決まり。

私がお墓に持って行きたい映画が『カサブランカ』
リック(ハンフリー・ボガード)の男気でしょ。
洒落たセリフの応酬ですぞ。

じゃー次の次は『カサブランカ』・・・・に決まりですと。

まいった!

59歳で亡くなった2歳下の妹は、『ウエストサイド物語』が好きだった。
急死だったので地方都市の小さな町でビデオを探しまくって、お棺に納めたっけ。

母に何をいれて欲しい?とは・・・・ちょっと聞けない、今では。
なんて答えるか聞いてみたい衝動にかられるが。

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補聴器

画像の整理で見つけた2013年3月の母。安曇野へ来て半年の頃。
よく耐え環境に順応して生活を楽しみ、たいしたもんです。
ベッドでごろり、いつもの新聞を読むスタイルだ。

このあとちょっとおめかしして食堂へ行く。

91歳の母は50代頃から耳が遠くなった。
本人が言うには子供の頃の病気の影響か? 耳の手術をしたらしい。

60代になって初めてデジタル式の補聴器を誂えた。当時はたいそう高かったと記憶する。
高い音は低く、低い音は高くする機能で便利だが、自身の耳穴を型取るオーダーメイドだったので面倒だったようだ。

いくら性能がよくても消耗は避けれらない。最近の会話に私がえらく疲れるようになったのは、
聞こえが小さくなり私が大声をだすのが原因だとにらんだ。

製作からお世話になっていた補聴器センターの、松本店に相談。
機器の清掃・乾燥・調整の結果、当初ほどでなくても聞こえはやや回復した。

やれやれ

今後のさらなる機能低下には、耳かけ型補聴器で対応出来る方法がある。
これは本人が出向き装着テストをし、ある日数お借りできるお試しもあるという。

ありがたいことです。これで看護師さんたちスタッフも少しは楽になるでしょう。
とはいえ、館内大きな声が鳴り響く時があり、年齢を重ねればみんな一様にこういう状況になるのだろう。

ブルームからお土産に頂いた花の種、切り花にして部屋へ届けられるように育てよう

追記 6月1日
耳かけ型補聴器について

このタイプは音量調節は出来ないので、聞こえが落ちれば矢印付近の部品を交換することになるそうです。
イラストはWidex社のHPから拝借(矢印は加工)

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自立支援

自立に向けて、新しい展開です。

ホームのスタッフから提案があり
1.食後のお薬を自己管理しましょう。
2.乾燥済みのお洗濯物を部屋にお持ちしますので、ご自分でたたみタンスに収納しましょう。

以前から自分で洗濯したいと言っていた母は、願ったりかなったり・・・

配剤カレンダーなるものがあり、事務所で使用している物を見せていただいた。

今のところ毎度1包らしいので、部屋用の小ぶりなグッズをネットで探すと、

なるほどよく出来ている!
5ミリくらいのマチもある
 カワイイー

まずは、朝 昼 夕からスタート!
スタッフが1週間分を入れてくれるので、食事に行く時自分で持参することから始まるらしい。

壁に穴をあけたくないので、細くて丈夫なピンを見つけよう。

ひぇ~
完全復活して、「また一人で暮らす」なんぞと言い出さぬよう釘をささねば。

大阪で骨折入院していた時、後半は自己管理していたなぁ。
しかも混在していた薬を1回分ずつ自分でセットしていたことを思い出した。

どうか大量の投薬生活にならないことを願うのみ。

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高齢者の覚悟

高齢者を取り巻く環境は厳しい。
著作本の紹介に『ばあちゃん、介護施設を間違えたら もっとボケるで!』

なんと衝撃的な題名だろう。
たしかに以前から介護施設でのトラブルが、社会問題でとしてあがっていた。
最近はなりをひそめていたような気がしていた。

団塊世代の大量高齢化を前に、頭を持ち上げてきた警告書だろうか?

老母をまじかに見ていて、最近この手の話題に目がゆく。

母はおかげさまで恵まれた環境にあるといえます。
忙しそうなスタッフ、入れ替わり立ちかわり顔が変わる新人スタッフ。
もう名前が覚えきらないと嘆く母。

それでも仲間との食事時の会話や、窓から見える雪景色や、窓ガラスを横切る鳥の話を、
時折訪ねる私に聞かせる表情に安心し、スタッフに感謝する。

昨年夏の母。今年の春を予感したような1枚

ここが終の棲みかになるから、みんなと仲良く、限られた空間で自分らしく生きることを、
心がけている様子に感心する。

大阪から安曇野へ転居すると決めた時も、一緒に暮らしたいとは一度も言わない。
60歳から30年間、気ままな一人暮らしを愉しんだ母には、実の娘といえども
気がねな毎日はかなわん!

これが正直な感想だったろうと思う。
60歳で失くした父の遺言が「娘に迷惑をかけるな」だったらしい。
結局、父が遺したわずかな資産をコツコツと蓄財しながら生きてきた。
ホーム入居を期に私が資産管理を預かり、驚いた。
ばあさんがなしてこんなに運用できたのか? 
とは言え世間からみれば大したことないが・・・・我が家レベルの話
昨日訪ねた折「お父さんが亡くなった時、遺産分けしなきゃいけなかったんだねー」

「だって当時余裕があるなんて思ってもみなかったよ~」
「いいじゃん、自分で支払える間はこのホームに居座ってたら。後はなんとかするさ。行きたいところへ行き、食べたいものを食べれば。
東京のお墓にちゃんと送ってあげるから心配しなさんな」

「墓地には無縁仏塔があるから」
父のこどもの頃からお世話になっているお寺さんで、長いおつきあいである。よもや無下にはせんだろうという。

なるほど!
しかしお墓の心配はともかく、老老介護だぞ~。ゆめゆめ100歳への道は・・・・うへ!

歯は自前、心臓と胃腸が丈夫、やや高血圧、耳は難聴だが補聴器で会話は出来る。
2012年7月要介護3から出発し昨年春要介護2へ。この春から要支援2へ飛躍。やるもんだ。

昨年の6月26日は転倒骨折し緊急入院した1周年。私の人生はあの日で終ったんだと嘆いていたっけ。
しかし考え知恵を出し、狭い世界の中でもそれなりに努力しているんだろうね。

無駄を省き、小金を少々貯め、歯磨きを励行し虫歯を作らないようにして胃腸に負担をかけない。
好奇心を失わず、世界を狭めないように努力してなおかつ健康を心がける。
少しずつ勉強させられているが、ふ~歳をとるのもしんどいこっちゃね。
と思いなながら
根性無しは、まあなんとかなるだろう・・・・とあくまで楽天。

そこで、座右の銘とまではいわないがモットーは
女は度胸
旅は愛敬
介護は楽天と行きましょう

余談
若い頃といっても50代前後の一人旅のモットーは
用意は周到
女は度胸
旅は愛敬

精神構造が進歩してない

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トイレの神様

散歩道の林のなかで見たカブトムシ
はてさて何匹いるやら?

私は“トイレの神様”になりました。

ほぼ週に2回くらいのペースで母のホームへ訪ねている。

高齢者ってちょっとした動作で、腰痛になりますね。
転んだのでもなく、ぶつけたのでもなく、尻もちをついたわけもなくです。
つらつら原因を考えるに、
一人歩行が出来るようになったと喜び、杖をついて歩き始めた。

気づきました。転ばぬよう杖を突く方の手や腰に負担がかかったようです。
私が山で片方だけストックを使うと翌日腕が痛むことがあります。
バランスを保つため力が入るのでしょう。

そして寝ている時間がふえました。

訪ねると「トイレに行く」というので車椅子に乗せる。
一人で用をすませ自分で帰ってくるのだが、時間が長い。
「やっぱりトイレの神様だわ。今日も大だったー」と報告する。

元気になった今でも私が訪ねるとトイレに行き「すっきりした」と笑う。

毎日、新聞を読み、食堂で美味しい食事を頂き、時に趣味の時間にお習字をしたり貼り絵を制作したり、
充実した日々を送っている。

昨日10時半ころ「さて、昼ごはんの用意に、帰るとするか」と立つと
「まだご飯まで早いよ」

あのねぇ母上
座ったらお膳が出てくる呑気な生活じゃないんだよ~

先月と今月はお茶のお稽古を休みました。
さてそろそろ来月のスケジュールの相談が始まる。

ホームのスタッフや茶道の先生に感謝ですね

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タブレット

パソコンでもデジカメでも携帯電話でも、全機能の20%ほどしか使っていないような気がする。

昨年の夏、骨折で入院した母の看病のため大阪へ長期滞在。
その折導入したのが、タブレット端末。
画像が大きいので回復の様子を見せ、雑談をして過ごした。

それなりに重宝した。

今回は新しい使い方を、時々訪問するブログから教わった。

母の耳がますます遠くなり、かつ補聴器を面倒がる事態にすこし疲れてきた今日この頃。

アンドロイド Playストアのアプリです。← こういう表現であっているのかな?

そうそう余談ですが、タブレットってたくさんの機能が付いていないんです。
欲しいものは自分で探して「アプリケーション」をダウンロードして利用します。

有料も無料もあるので、ひとまず無料を探す。
『筆談ボード』

対面式のものは有料なので、まずはシンプルなものから・・・・

対面式でなくても、画面を回転出来る”筆記用メモ帳”っていうのがあるが
文字入力はテンキーを使う。
これは母がきっといやがるだろう。

結局『筆談ボード』に

文字はクリアボタンで消す。
消しゴムタイプなら部分的に消せるのにね。

まっ文字を小さくすれば、Q&A つまり会話らしきことは出来そう。

明日これで試すこととする。さて好奇心の強い母はどんな反応を示すことやら・・・・・

遊びながら学習する、これは基本のき

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ビッグニュース

89歳の秋、退院直前に移住を決断し安曇野へ移住した母へのビッグプレゼント。
母が知るや開口一番『ビッグニュース!』だった。

転居を決断したその覚悟のほどは、当時の私にはゆっくり思んばかる余裕はなかった。
昨年末の圧迫骨折も乗り越え、今ではシルバーカーを押し自在に歩行出来るまで回復した今日この頃。
30年も関わってきた茶道ごころに、灯りがともり始めたのだ。
部屋でお茶を点ててくれるようになり、とうとう素晴らしい先生のもとへ、月2回お稽古に通うまでに発展。

撮影はお稽古初日の4月10日。
年齢差を越えた、暖かい空間に感動した瞬間を捉えた一枚である。

応募要領に書き添えた
お題は
『師弟』
メッセージは
『暖かい先生のまなざしに励まされて・・・・
大腿骨骨折の治療・リハビリの後、意を決して昨年10月から安曇野市民になった90歳の老母。
辛さや悲しみを超え、若い先生の指導を受けながら生きがいを見つけました』
ニックネームは
『孝行老娘(こうこうむすめ)』

インターネット投稿で、放映日の通知もなく…
10日後に偶然テレビ画面に表れて、間一髪デジカメで撮影成功。

これまでお世話になった皆さまに感謝をこめて・・・・アップしました。

ローカル局・SBC信越放送

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介護度

透き通る青空です。
隣の空き地の松の木から、こんこんこんとアカゲラの大工仕事の音が聞こえます。

背高ノッポの木でも枝や葉はすでになく、古い幹を叩いています。

90歳になった母は、圧迫骨折の痛みに耐えて回復しました。
ごろごろとベッドに横になり、このままでは寝たきり→認知症の道かと気をもみましたが
やっとベッドに腰かけたり、車椅子に座って過ごせるようになりました。

ランチだけだが食堂までシルバーカーで歩いてゆけるようになり、まだ介護士さんのお世話になりながらですが、よくぞここまで復活できたこと。

2月14日には、4月からの介護度認定の調査面談があり、先日「要介護2」の通知が届いた。
要介護3から2へダウンしたのです。
本人の努力もさることながら、ホームの看護師さん介護士さんの支援あってのこと。
ありがたいことです。

長生きしすぎたねぇ・・・と常々言いつつも、やはり嬉しそうです。

さあ春本番はそこまで。

青空と北アルプスの雪山に感動し、シルバー川柳2冊を楽しく読み、時間を過ごしている。

ほっ

落ち着いたので私も休養日を。
上野のエル・グレコ展を見て、友人と久しぶりに歓談する約束ができました。

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心残りは?

気がかりだった圧迫骨折の回復に目途がついてきた今日この頃
母の強い希望で、エンディングノート作成の手伝いをしている。

初めに立派なハードカバーの”Book仕様”のものを購入したが、使いにくいらしい。
結局「もしもノート」に買い替えた。

薄くて軽く、ノート仕様だからページを開いてもパタンと戻らない。

さて雑談しながらページを進めてゆこうとすると・・・・

・細かいことはパス。

・(些少ではあるが)財産管理は娘に任せた! と、これで終わり

・もしもの時のお知らせは誰々に? 
  密葬で家族だけで葬儀にしてほしい。遠くの親戚も不要

・前住居のお世話になった方々へは?  
  出てくる時にあなたが挨拶してくれたので不要。同年齢層の方へ知らせてもしようがない。

あっけらかんとしたものだ。

・つまるところ楽しかった思い出話と心残りは?  と聞くと

ポツリと
燃えるような恋愛がしたかった! お父さん一人だけではねぇ・・・・だとさ。

あらら~、母よ、あなたの時代では殆どの人が夫一人に仕えたと思うよ。

うっかり者の若い夫婦は、戦後の東京での混乱の中で親の土地や家作を失い、
疎開先で、着物や家財を泣く泣く米やイモなどの食料に交換していった辛さを、話す。

幸運にも夫を戦争で失なわなかったが、3月10日の東京大空襲は怖かった、と。
私は3月24日生まれ・・・・よくぞ産まれたと話す。

以前からこの話は聞いていたが、今は特別の感慨を持つ。
最近は若者が「産んでくれてありがとう」なんてキザな表現をするが、今は素直に同感できる。

文字訂正
子どもをうむは・・・産むでした。その他のうむは生むでよし。