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来年の9月7日 そうかもねぇ


久しぶりの八ケ岳サービスエリアにて
出口に近く、並ぶ施設やトイレの真ん前に

先日家族が「こんな記事があります」と。

来年の9月7日から始まる〇〇

来年の今日。
2020年9月7日。

この日は、日本にとって、とても大きな節目の日であると思う。

その前日、2020年9月6日に東京パラリンピックの閉会式があり、東京オリンピック・パラリンピックの全日程が終了する。

その閉会式の翌日が9月7日だ。

この日まではわりとイケイケというかアゲアゲというか。
多くの人が上を向いているし、なんとなく浮かれている。

世界一のお祭りが行われるのだ。
そりゃウキウキもする。せっかくだから楽しもう。それはそれでいいことだ。

ただ、閉会式の翌日から、文字通り「祭りのあと」がやってくる。

ただでさえ淋しい。
吉田拓郎だって歌ってる。

♪ 祭りのあとの淋しさが
いやでもやってくるのなら

日本の場合、その淋しさだけではない。

オリンピック・パラリンピックというお祭りに向かってなんとなく目を背けてきた「課題満載の
現実」を、イヤでも直視しないといけなくなる。

その境目が、来年の9月7日なのである。

来年の今日から、我々はいきなり現実を突きつけられるのだ。

まず、世界でも類を見ないほどの人口の激減。

日本の人口は、40年で4000万人減る。
2060年には8674万人と推計されている(2017年現在1億2680万人)。

4000万人って言われてもピンと来ないかもしれないが、カナダ一国分(現在3700万人)の
総人口が消えてなくなる、ということだ。

つまり、計算上、カナダ一国分のマーケットが消滅する。

出典:週刊現代(https://gendai.ismedia.jp/articles/-/31783)

40年で4000万人減るということは、平均で言えば、日本の人口は毎年100万人ずつ減っていく、
ということになる。

100万人都市である千葉市や仙台市がたった1年でまるごと消滅する、ということ。

150万人住んでいる京都市や福岡市が1年半で消滅する。
200万人住んでいる札幌市が2年で消滅する。
というか、北海道全体(530万人)が5年ちょいで消滅する。
東京都も10年ちょいで消滅する。

そのくらいな勢いで人口が減るのである。

え? 高齢者がたくさん亡くなるんでしょ、って?
いやいや、若者も毎年30万人ずつ減っていく。ただでさえ母数少ないのに。

つまりは顧客が物理的に減っていく。
マーケット縮小の衝撃は我々の予想を超えるだろう。

総員、衝撃に備えよ。

次に、ウルトラ高齢社会。

2020年には女性の2人に1人が50歳以上になり、今からたった5年後の2024年には3人に1人が65歳になるのが日本の現実だ。
(出典:「未来の年表」講談社現代新書)

未来の年表 人口減少日本でこれから起きること (講談社現代新書)amzn.to
400円(2019月09月09日 18:24 詳しくはこちら)

とはいえ、シニア世代はお金をもっているからマーケットとしては期待できると言われてきた。 年金もたっぷり出るしね。

でも。
リンダ・グラットンのベストセラー『ライフ・シフト』が出版されて以来、「人生100年時代だ!」と数年前から政治家たちが言い出してしまった。

お金をもっていると言われるシニア世代が、「え、人生100年時代? もしかして私たち100歳
まで生きるの?・・・そ、それなら話は別だ」と、財布の紐を締め始めている。

100歳まで数十年。
自分の健康不安、老老介護の現実、自分の介護費用準備など、お金は果てしなく必要な気になってくるよね。仕方ない。

こうなってくると、好調な「シニアの旅行ブーム」だって、いつまで続くかわからない。
そうなったら伸びると期待されている観光業も大打撃である。

そして、世界でも類を見ないウルトラ高齢社会は、税金を払う人が減る社会でもある。

人口が増えると言われている東京でも、「人口は増えるけど、税金を払う人が減るので、    水道や下水などのインフラがもたなくなる」と言われている。

いったいどんな社会になるんだろうね。

総員、衝撃に備えよ。

※私が管理している母の今後の生活資金を、国や銀行から安全に守れるかが目下の心配事です。

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もう一度雲の平を目指す 5日目

素晴らしい山岳写真は、インターネット上にも写真集にも溢れている。
凡庸な私の写真を何枚連ねても、そろそろ飽きてくる。

小屋で話す登山客たちは、重なる山も眼前の山々も名前をあげながら
お互いに体験談を話す。

私は、ランチを頂いたりガイドさんの作るコーヒーや紅茶を飲みながら
傍らで武勇伝を聞く。

きょうから天候は安定し、晴れ間も覗くようになり、早めに水晶小屋に到着。
先の小屋までの所要時間を考えると、ここで泊まるのが賢明と判断した。

小屋前から槍ヶ岳が見える

水晶岳と右手奥に登山口の高瀬ダム。(あっていると思うんだが・・・)

遠くに前日滞在の雲の平が見えて、今日であればゆっくり散策しより一層楽しめただろうな。
 9/14画像追加
愚痴は言うまい

明日はこの左手をくだり野口五郎小屋へ行く。

丘にあがって水晶小屋を眺めると、結構大きく頑丈そうだ。

ヘリコプターが止まる空間ですが、へりは着地せずスタッフがロープとフックで荷揚げ荷下ろしする。
窓ガラスはかなり揺れそうだなぁ。

これにより小屋運営はかなり楽になったでしょう。
しかしかかる経費はいかがなものかと案ずるが、小屋の修繕にかかる木材運搬他など総合的に
考えると、歩荷さんたちの費用とあまり変わらないことからヘリの運用が急速にすすんだという。

伊藤正一著「定本 黒部の山賊 アルプスの怪」に、
当時のエピソードや山賊のその後について知ることができます。

夕食は名物「お肉と野菜ごろごろカレー」でしたが、
翌日の朝食は連泊の方がおられたこともあり、メニューを変えてくださいました。

お心遣いありがとうございました。

※ガイドさんのランチは「力汁」。お餅2個入りで美味しかったそうです。
※このコースはシーズン中はかなりの混雑のようですが、幸運にも連日一人ふとんです。

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もう一度雲の平を目指す 4日目

雲の平山荘は水晶小屋からは近い。
天気もやや回復し順調に歩行。祖父岳(じいだけと読む)を越えれば下りです。

晴天ならもっと嬉しいが、希望が叶い神にも仏にも感謝です。
おっと面倒なゲストに優しく対応してくださったガイドさんにも・・・・
祖父岳(9時半に頂上着)から眼下に雲の平が見える

目を流せば、鷲羽岳(だったと思う)がうっすら。

ここから下ると標高2600mに広がる雲の平に突入する。

スイス庭園に行く道が見えた。中央のややくぼんだ道を右へ

予定から一日遅れで山荘に到着しました。

この建物は大変素晴らしく、今見る画像は曇天のガスの中。
なんだこの程度のところか?と思う向きもあろうかと思うが、
到着した喜びが勝る

 HPから

館内
トイレ脇の洗面台。山荘とは思えない

食堂には
豊富なメニュー

ランチは「〇〇店のライ麦パンと自家製ベーコン」

3時のカフェはドリップコーヒー
インドフリークのクマさん(私がつけたニックネーム)が丁寧に淹れてくれました。

一息ついて散策へ
チングルマが美しかった

8月22日はそろそろ秋色です

高原に広がる池塘

帰り道

夕刻

談話室の壁に

山荘を継いだ次男の伊藤二朗さん「伊藤正一という道 告別の詩」全4枚の1ページ
2016年に亡くなった父 正一さんに捧げた尊敬と感謝の一文です。

談話室にて
宿泊者であるようなないような、小柄で品の良い婦人がおられました。
故伊藤正一さんの奥様でした。
7月に三俣山荘にも滞在したお話しなど、貴重な時間を得ました。

夕食は大きな土鍋に石狩鍋

具だくさんで美味しかったです。

悪天候のおかげでゲストが少なく、ゆったり一人ふとんです。
本来なら満員御礼状態の時期でしょう。

窓から笠ヶ岳

参考まで
伊藤新道の歴史と現在

伊藤新道が開通の暁には、今より楽に行けそうだが
きっと高齢化が邪魔をする。

『ななかまど』三俣山荘便り 第20号(今号で休刊)なる冊子を購入して読みふけり
ますます雲の平・三俣山荘・故伊藤正一さんとご家族が好きになりました。
頑張って登って来て・・・・・
  
バンザイ

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もう一度雲の平を目指す 3日目

昨夜の夕食メインは天ぷらでした。山では珍しいのでしょうね。
親父殿手作りで美味しかったです。
みそ汁は2杯頂くようにして、水分塩分補給に心がけます。

さて3日目も天気は芳しくなくどんより。
今日の稜線歩きは大風や大雨の名所?です。

6時、小屋前から野口五郎岳目指して歩き始めたが
頂上通過後あたりから雨が降り始めました。
お約束の強風。谷から吹き上げる風に撃たれた雨は横殴り。

ちっこい私は立って歩けません。
谷側を背に大きな岩をストッパーに、ストックを揃えて両手で押さえ
両脚は肩幅ほどに開き踏ん張ります。

写真撮影どころでなく帰宅後、上記文のようなタグづけで調べると

よくわかるイラストに納得

今日の風速は10mから15mくらいかなとガイドさん。
鼻水が横殴りの風に撃たれて飛んで行った。
色気なし!
三ツ岳近辺の岩ゴロにも時間をとられ、今夜は水晶岳に泊まる。
小ぶりですが、趣は私好みです。

ここでもスタッフは素晴らしい。
三俣山荘、雲の平山荘の系列です。

温かい餅入りおしるこがおいしかった。
夕食は名物の「お肉と野菜ごろごろカレー」

2階への踊り場にあるふとん割り掲示板は、刺し子風の布製でした。

私は今夜も一人ふとんですが、混む時は1枚に2人・2枚に3人もあり。

水晶小屋について、小屋主伊藤 圭さんの手書きメモ。

撮影不備ですが、思いを伝えたくて・・・

いつも感じます。
どの山にも歴史と文化があり、小屋にも歴史とオーナーの想いが詰まっています。

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もう一度雲の平を目指す 2日目

今回のコースは (山と高原地図「槍ヶ岳・穂高岳1:50.000」)転載

シンプルに表現すれば、
右上の大町高瀬ダムから左下の雲の平へ
北アルプス裏銀座コースと言われている一部の稜線を歩いたのです。

このコースは健脚者なら3泊4日コースです。
いや2泊3日組もいるでしょう。
しかし岩場の連続、天候は暴風雨もありのコースなので、余裕をもった日程が推奨されています。

当初の私の日程は
1日目  ダム湖から烏帽子小屋へ
2日目  烏帽子小屋から水晶小屋(地図では水晶岳の下)へ
3日目  水晶小屋から雲平へ
4日目  雲の平から野口五郎小屋へ
5日目  ダム湖へ下山
でした。

ところが秋雨前線による大雨・暴風雨、加えて私の登山技術や体力を考慮し、無事に
下山するべくガイドさんは延泊を決定。
無理をすれば1泊延長でも可能だったかもしれませんが、小屋には遅くとも3時までには
到着すること。小さな小屋では夕食(17時か17時半)が頂けないかもしれない。
お蔭で行程中、雲の平山荘を除き烏帽子小屋・野口五郎小屋・水晶小屋は2泊づつ
訪問できました。
スタッフのご苦労や、旅行社のグループツアの面々・ご夫婦・一人旅の男性や女性
二人連れの若い女性・テント泊の昔青年など見つめられました。

さて2日目スタート
烏帽子小屋(標高2550m)を6時に出発

遠くに有明山が見える

出発地点の高瀬ダムが見える

1時間が過ぎたころ、振り返ると烏帽子小屋から登れる烏帽子岳が聳え立つ。
普通の登山者なら小屋にリュックを置いてこの山に登る。
三角錐の美しい山です。

時期を過ぎたコマクサ。いつみてもその健気さにうたれる 

白い花

三ツ岳あたりから大きな岩場に難儀した。
へっぴり腰スタイル(ガイドさんから。現場と違うかも?)イメージ図?
帰路に向かう頃からはもう少しスマートに歩けたと思うけど・・・・

14時半頃、やっと野口五郎小屋に到着しました。標高約2,870m
やはり歩行時間は長すぎる。

いかに暴風雨にさらされるのか一目瞭然


荷物を降ろしひとまず衣類を乾燥室へ。

16時頃、玄関前から遠くに連なる常念山脈を眺める。

あの山々の向こう側に安曇野が広がっており
私が普段眺める燕岳や大天井岳と反対の景色で連なっているのです。

明日はここから野口五郎岳に登り、稜線に出て三俣方面(水晶岳小屋方面)へ

どうも晴天は望めないようだ

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もう一度雲の平を目指す 1日目

8月19日
天候の心配は少しあったが、行けると判断しガイドさんとスタート。
今回はブナ立尾根という北アルプス三大急登の一つを越えて縦走路に立つ。

5時半七倉山荘駐車場に到着し、ここからは特定のタクシーで高瀬ダムへ向かう。

トンネルを越えて
吊り橋


 ガイドさん撮影
太い丸木に板張りの橋を恐る恐る通過。
このあたりで標高1270m地点。

登山口標識。

登山口は12➡9権太落とし➡6ほぼ中間点で長い休憩に➡4三角点➡0烏帽子小屋
大方の人には目安となるのでしょうがが、精一杯登っている私はまだか?まだかな?でした。

やがて”くの字型”ジグザグと高度を上げる短管パイプと網状の階段は、見上げるほどにぞっとする。
一人づつ通過すること。

権太落とし

サイトで調べると、むかし学生のパーティで皆のお金を預かった人が
ここでサイフを落としたとか。とても拾いに行ける場所ではござんせん。
この後どうしたんだろう?

樹林帯の中だが、岩ごろ道に閉口

ここで11時ころ

こんな平道もたまにはあるので、私なりにややスピードを上げる努力をする。

やっと烏帽子小屋に到着 標高は2520m.標高差1200m ひぇ~・・・

素朴な小屋です。
小屋前には青色のイワギキョウがたくさん咲いていました。

小屋に入ると あら?Hassan!
吸い込まれそうな目力の若者。ここのスタッフです。
紺色のバンダナを巻いていたので、かつてモロッコの砂漠で会った民族衣装の青年にそっくりでした。
彼のあだ名は「ハッサン」となり本人も喜んでくれました。

実はこの小屋には明日の宿泊予定だったのですが、私の体力と明日からの行程を考えて
今夜はここで。
夕食はボルシチ。大変美味しかったです。

ごちそうさまでした。

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岳 山登り10訓

「長野県山岳遭難防止対策協会」発行
山小屋に掲示されていたポスターです。

漫画”岳” は実写版(映画にもなった)もあるそうだ。
山小屋の談話室には全巻揃っているところもある。
近所の散髪屋さんにも並んでいた。登山はしないがファンだそうだ。
ロケ地に松本・白馬などがあるというんで、近々DVDを探す。

ぜ~んぶ大切だが、このうち特に「3」「5」は私向けで、
なかでも「2」は頭をガツーンと叩かれた。

しかし時すでに遅し・・・・やってしまった!
無理せず、つまづきや捻挫に注意し、撤退を恥じない精神でもう一度「雲の平」を目指した。

8月19日
2015年有明山登山でお世話になった松本のガイドさんと大町の高瀬ダムからスタート。
今回は初志貫徹もさることながら、
山小屋には規模にかかわらずそれぞれに歴史と文化と心意気があり、
アルバイトの青年や若い女性がテキパキと仕事をこなしている様子をゆっくり見つめられた。

では
素晴らしい画像があるわけではないがゆっくり駄文を綴ろうと思う。

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雲の平を目指して一人旅最終回

タイトルは「雲の平目指すも挫折の記」にすべきだった。
反省

30日満員だった鏡平山荘をゆっくり出発し、わさび平小屋へむかう。
まもなく着地だと気分が楽になり、足元の石にも余裕あり。

花はマンネングサだと、行き違いの婦人たちがワイワイ。

僧侶に似る

花はともかく美しい蝶

目途がついた。まもなくわさび平小屋です

出発日からかなり雪どけ。5日ぶりだもの。

わさび平小屋にも泊まりたくなった。お風呂にはいれるのです。
いやいや明日は新穂高から自宅までの運転が・・・・などと理由を探す。

翌朝の朝食は、まるで旅館並です。

そして新穂高へ下山開始。このコースは標準タイム通りでした。
前泊のホテルでは、延泊に次ぐ延泊にも関わらずじっとジムニーを預かってくださった。
ありがとう。

安房トンネル手前 平湯に「ひらゆの森」があります。

宿泊施設ですが、500円で日帰り温泉入浴も可能で露天風呂がいくつかあります。

なんだかんだといやはや、悲しくも面白い山旅でした。

「雲の平」リベンジはありやなしや。年齢と体力勝負なり

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雲の平を目指して一人旅5


7月29日
さて・・・と曇天だが腰を上げる。
本日のコースは26日の逆。三俣峠から巻道を下ります。

同年配と思しき2人の男性が同行してくださることになり、
山荘を後に三俣峠を7時に下山開始。

信大ワンゲル部出身の楽しい方々でした。
峠で「ワンゲル部の歌」を歌詞を思い出しながら元気に歌い、この景色の中では
さぞ気持ち良かろうとこちらまで楽しくなった。

私は次に踏むべき石をうまく見つけられない。
前後の指導者にふみ足の基本を教わる。

疲れない歩き方は
①小股で+段差の小さい石を踏む
②三点支持を心がける
2本の脚と2本の腕。そのうちの1本の手をフリーにして岩などの支えに利用する。
なるほど!

時間をかけてゆっくり歩くと慣れてきた。
最後の登りはきつかったが「随分上手くなった」と褒めていただき
10時双六小屋に到着。

本日お休みという三俣山荘の女性スタッフに偶然出会い
4人でラーメンやうどんでランチ。

当初の計画では雲の平山荘から双六小屋で宿泊のはずだったなと、逡巡する。
11時15分発。またまた3人で次の宿泊地、鏡池山荘へと下山開始。

エンジン快調で14時半着。
さぁビールで乾杯!(私は飲めませんが)
写真を送る、オコジョを見たから写真を送ってあげるなど
まるで子供!
腕のすぐ側まで来たとジジババで談笑。

5時半頃から夕立のような大粒の雨。
降雨の隙間をぬい


槍はいつも役者であります。

定員オーバーに小屋は大混乱。
私は8人部屋の布団1枚を確保したが、廊下や談話室に臨時布団で溢れていた。

三俣山荘で隣だった女性が、どこかの山に立ち寄りここの山荘に来たらしく、
最後の最後までふとんを敷く場所が確保できず、じっと待っておられました。
山小屋は決して宿泊拒否はしません。
受け付けた以上は、たとえ食堂にでもふとんを敷き確保してくれます。

「二人で一緒に潜りましょ」と勧めてもきっぱり「順番を待ちます」とのことでした。
私みたいな甘ちゃんではない根性。

山小屋は早い時間に着くことが大切なんだと、学びました。

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雲の平目指して一人旅4

8月27日
身体も心も落ち着き、さて下山をと思ったがどうも雨天。
厳重装備で鷲羽岳へ向かう人々、双六方面への下山者たちを見送った。

エイッヤと腹をくくり滞在を楽しもう。
伊藤正一さんの著書「黒部の山賊」を読了。
  画像はamazonから拝借
愛すべき山男たちとの交流を、楽しく一気に読みました。
書棚に置かれてあるので多くの旅人が読み込んだのだろう、古びています。

28日台風7号通過で三俣山荘3泊目
太平洋沿岸にそって東北へ進む予報が見事に外れ、北へ向いたための直撃だった。

ゲスト名主となる?
山荘の子供たちとひとときゲームに興じる。

壁の上のほうに『雲の平のうた』の張り紙


ネットで探しました。
伊藤知子さん作詞  故伊藤正一さん作曲だそうです。
いつの日にか真相を聞く機会があれば・・・ 

こんな資料も。

現在の山荘主 伊藤圭さんが「伊藤新道を再興したい」と、活動の様子を
先日のテレビ放映でみました。
まっ私には登る機会は訪れないだろうけど。 

居心地の良い好きな山荘・山小屋に滞在し、近場を散策するスタイルもあっていい。