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お愛嬌

秋が深まり、さらに冬がぐっと近づき、今朝は室内14度になった。
北アルプスもスキーシーズンへまっしぐらです。

爺ケ岳 鹿島槍ケ岳 五竜岳 さらに白馬三山まで、青空に輝く。

畑の大根がそれなりに太ってきたので引き抜くと

ネズミの仕業か? とぼけた宇宙人みたいですな。

昨晩ベッドのそばでスリッパを脱いだはずなのに、片方だけあちらこちら探したが見つからない。
まさかネズミの仕業ではなかろう!

ん?平たいはずのベッドカバーの足側が膨らんでいる。

やっぱり、行方不明のスリッパが・・・紛れて
昨夜は疲れて眠気まなこでもぐりこんだので、連れていったようだ。

おばばには愛嬌ですまされぬぞ。

先日、運転免許証更新に伴う「認知機能検査」なるテストを受けました。
事故防止のためとはいえ、かなわんなぁ。
結局パスはしましたが、
今後は3年ごとの更新になるので、そのたびに繰り返し受けることになる。
やれやれ

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安曇野生活15年目

2005年に移住して、15年目になった。
ようやく庭の木々が、美しくはないが充実してきた。
30㎝くらいで植えたもみじが、今年見事な紅葉を見せている。

一方
家屋内外にはあちらこちら補修が必要となってきた。
給湯設備の交換
汚れの目立つ外壁の一面だけだが塗りかえ。

キッチン入り口の引き戸の開閉が困難に。
建具屋さんが敷居にダークブラウンのアルミ製レールを設置、上部を3mm削り微調整。
スムーズ過ぎて、柱にバタン!と跳ね返るほど元気になった。

2階の小窓の和紙に埃が積もっていました。
気にはなっていたが、扉を外せない。

引き戸と一緒に建具屋さんにお願いした。
和紙はすでに購入しておいたので、裏張りは自分で用意。
準備万端。

以前の和紙に積もった埃。凹凸の大きい和紙だったので・・・

外したついでに枠と桟のノリを清掃しよう

サイズ確認  よし!

完成。職人さんの仕事ぶりはすごい!

こうして毎年どこかの修理が発生してくるのだろう。
落ち葉の詰まりを予想して樋は設置しなかったのは、正解だった。

サイフの紐を閉めなおす日々が続くだろうなぁ。

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秋冬野菜2019

庭のモミジ。およそ12年かかって30㎝から成長しやっとこの紅葉

山・・・山と惚けていた9月10月。

雑草と格闘後の畑も今では
キャベツ、白菜の苗が成長している。


ひょっとしてこの写真は、どちらもキャベツかな?

小ぶり品種大根の播種から現在直径6センチほどになった。

おまけの赤大根、実はラディッシュのつもりが・・・形は問うまい!

何度か失敗のニンジンも種からやっと。間引き後はフサフサだがここからの成長が問題。

タマネギの苗。10月8日と10日の午前中、2畝に180本定植した。
一畝づつ購入店舗を変えている。

空いた畝には赤タマネギの苗を植える予定だ。

先輩農家さんのタマネギ現場で見た方法は、葉を20㎝くらいにカットしていた。

早速まねっこ。
瓶の口を畝に差し込みながら植穴を作ってみた。
植え付けはずいぶんはかどったが、うまく成長するかはミステリアス。

自宅で種から苗を育てたネオアースも赤タマネギもさっぱり成長せず今期も断念。

松本一本ネギの現状。
来年は畝間を広げてしっかり土寄せし、白い部分を太くもっと長くなるようにしよう。

ハックルベリーは、後一息でジャムになる

今冬はしっかり管理して寒さに怠けず見守ること!

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二の池ヒュッテ再訪2019 ②

10月6日
ぼんやりですが日の出風景

小屋入り口前のオブジェはほっこり癒してくれる。

今日は小屋から北方向にある摩利支天、五の池小屋へ向かう。
五ノ池小屋はおいしいケーキが評判で、お茶して山々の景色を堪能するテラスもある。
ヨーロッパで人気の山岳リゾートを目指しているようです。

賽の河原にある石積みと草もみじ

賽の河原とは、子どもが死んでから行くといわれる冥土の三途の川のほとりの河原のこと。
昔から親より先に死んだ子供は親不幸・・・と聞いていました。
その子どもは親の供養に石を積み塔を作ろうとするが、大鬼がきてこれをこわし、地蔵菩薩が子どもを救うと伝説にあります。(サイトから引用)

昨今は情け容赦なく子供が殺害されています。この不幸は誰が助けてくれるのでしょう。

摩利支天には登らず五ノ池小屋へ向かう。

途中から三ノ池を見下ろす。

噴火前は今では灰をかぶった二の池が三ノ池を上回る美しさだったと御嶽好きは話していました。

まもなく五ノ池小屋到着。

ずいぶん混んでおり、シフォンケーキがなくなりかけだったがギリギリセーフでした。
テラスも座る場所がありません。

急ぎ二の池ヒュッテに戻る。
実は二の池ヒュッテの担担麺が美味しいと評判になり、
高岡さんから「11時には戻って来て、売り切れるよー」

はいセーフ!

小屋の前のベンチで頂きました。
賽の河原をもう一度眺め感謝しながら「ごちそうさまでした」

京都の有名な麵屋さんで、独自の生めんを作って頂いているとか。
優しい食感で美味しかったです。
実は担々麵は初体験なので他店と比較はできませんが・・・・。

夕食まで書庫にあるシェルパ斎藤氏の「ニッポン10大トレイル 」を読んで過ごしていた。
カフェタイムは「大きな焼きマシュマロが載っているココア」500円
写真なし

今夜の夕食は、2泊目の私のために特別メニュー「マーボー豆腐」
今日は中華三昧!明日の下山はきっと元気モリモリ、のはず。

今夜もアクシデント発生
団体40人のゲストの中の一人(若い女性)が、寒さでストーブを抱くように暖を取っている。
雨の中を歩いてきたので寒いのだろうと思ったが、高山病のようだった。
高岡さんは、体をさすりながら毛布や布団を十二単よろしく重ねる。
水分の準備をしながら行ったり来たり。

「絶えず話しかけて眠らせないで!」
心配そうに取り巻くお仲間たちは物静かな方々ばかり。
大阪のおばちゃんよろしくお笑いネタで励まし続けました。
「眠ったら即往復ビンタが飛ぶよ~」
「応援団がたくさんいてるね~。ギャラリーは多いほど頑張れるしー」
などなど・・・・

20時半の消灯で引き上げました。
翌朝出発前に顔を見せてくれました。
病気じゃないから、元に戻れば平気で歩けます。頂上まで行き下山するとのことでした。

さて私も下山準備へ
雨模様の中、大きな石を踏みながら九合目へ。あたたかいお茶を

八合目へ

冷えた体を温めるためホットミルクを

花には恵まれなかったが、シラタマ

七合目。高岡さんから勧められた、なめらかお餅入りおしるこを。

ロープウエイに乗る頃には晴天になり、夕刻帰宅しました。

2019年のトレッキングは、ここで最後。
来年からはロープウエイ利用の横ばい山小屋めぐりトレッキングになる予定です。

余談: 二の池ヒュッテ 担担麺誕生秘話(face bookから)
ニの池ヒュッテの軽食人気メニュー「担担麺」!
なんと京都にある名店、
『屋台ラーメン まる担 おがわ』さんの監修なんです!
 
標高2900m=沸点91℃。その環境で出せる最高クオリティの担担麺を!
さらにはどの山小屋のラーメンよりも美味しく!
をコンセプトに、ご主人の小川さんご本人がニの池ヒュッテ現地にて試作調理し、配合や仕入れまでご尽力いただき誕生した一品!
 
本年はさらなる改良により、”山小屋ラーメンの極み”へと挑みます!
 
先週、スタッフ篠田が
京都のまる担 おがわ”本店”にお伺いして撮影したのが今回の映像です。
もちろん、ヒュッテオーナーの髙岡も、本店に伺い舌鼓を打っております。
 
それにしてもやはり…本物は桁違いにウマい!
いや、ニの池ヒュッテでもその名に恥じぬ「山でこれが食べれるとは!」な担担麺を出さねば!
関西にお越しの際はぜひ「まる担 おがわ」へ!
そして今年、ニの池ヒュッテでも味わってみてください!
 
『屋台ラーメン まる担 おがわ』
京都市西京区樫原山ノ上町7-19
090-3973-5093

4K映像はヒュッテYouTubeにて↓
https://youtu.be/xA2CNfU5oo4

参考:
二の池ヒュッテを隙間なく伝えてくれるyama hackさんの記事をどうぞ(注:2019年8月の記事)

今回のおみやげは

cozy and homely 居心地のよい家庭的な

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二の池ヒュッテ再訪2019 ①

台風19号の被災地の皆さまに、深くお見舞い申し上げます

2018年
ローカル紙「市民タイムス」の記事や地元局のテレビ放映から、御嶽山大地震で壊れた二の池新館(当時)を再建する後継者の話題を知った。

御嶽山二の池ヒュテとして10月の期間限定でオープンした。
以前からいつかは登りたいと思っていたが機会がなく、”今回こそ登るべぇ”と
慰霊を兼ねて決行した。
御嶽山へ

あれから1年
もう一度オーナーの高岡ゆりさんに会いに行こう!
10月5日出発し、帰宅は7日の夕刻になりました。

ロープウエイ乗り場まで車で2時間で到着。

歩き始めて

遠くに乗鞍岳が見えた

ぬかるんだ木道の階段からやがて石の階段になり2時間後には

振り返ると八合目女人堂

全山総慰霊碑と読める

八合目で会った高岡さんが登ってきました。

「女性で歩荷してるのは私くらいでしょうね」と笑う。
まもなく小屋閉めになるのでヘリを頼めず、不足の食材などは背負って荷揚げするという。
20キロ!だって

得難いシーンを逃さず記念写真をお願いした

高度とともに紅葉しているナナカマド

もうすぐ二の池。彼方に八合目女人堂

二の池は今も灰に覆われ、仏像が見守る

はい、左がヒュッテへのアプローチ。右は今回歩きたい賽の河原方面

おっ! 戸を開けるとにぎやかに進化している。提灯はお知り合いからですと。

多くのご友人たちの応援に支えられているようです。

夕食は鶏肉に野菜ソースかけ。スープと食前酒、サラダ、デザート
調理師免許を持つオーナーの食事は旨い。
優しい香りが漂う食事タイムです

木曽の酒を飲み比べ。かなりベテランのカップルがオーダーしていました。
2000円くらいだったかな?

この3酒

高岡さんは下戸のようです。

こうして夜は更けてゆきました。

実はこの夜はアクシデント勃発!
夕食が終わりかけた頃、20人の登山客が到着。
ツア会社のミスらしく、山小屋への予約が出来ていなかったのだ。
なんてこった!

さぁ高岡さんどうする?
とにかく夕食とふとんの確保。
「夕食はカレーを急ぎ作ります。自炊者用の食事室で待機してください」らしき指示でした。
「宿泊は近くの二の池山荘へ依頼します。食後全員で移動してください」らしき指示でした。

1件落着

久しぶりに『ハンサム ウーマン』に会いました。

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蝶ケ岳へ

2007年7月13日14日 松本市制100周年記念事業
信州の山岳ガイドと行く『100周年に100名山に登ろう』
に応募し、常念岳から登山人生が始まった。
12年前62歳だった。
当時のブログ常念岳登山

その後自宅近辺から、松本方面から帰宅の折に見える山をひとつづつ登ろうと決心して今に至る。
残ったのは大滝山 蝶ケ岳 餓鬼岳 五竜岳。
山友から「餓鬼はやめとき、無理無理」と諭され、五竜岳も見るからに手におえそうにない。

ひょんなことから安曇野市観光協会のホームページに「蝶ケ岳に登る」ツアを見つけた。
年齢制限なし、5名までの小人数制。
9月28日から1泊2日だというので急遽参加したが、予想を超えて下りに難儀しました。

さて出発
『蝶ケ岳をこよなく愛す』ラマラマガイド相川さんと
有明山登山5回を誇る、地元の同年配の男性
東京からの若い女性2人と私。

6時45分穂高駅前に集合。楽だわ~
タクシーで三俣登山口へ
2日とも曇天と雨予報だが結局晴れ女の面目躍如!でした。

ゴジラに出会い

花の時期は終わり、ゴゼンタチバナの実が美しい

曇天続き

お~黄葉の向こうに常念が見えました。

思い入れ満載の手作りのベンチと標識

山頂着

おや  
村? 標柱は新しいようだ。小屋創設当時の町村名をあえて残しているらしい

安曇村とは南安曇郡安曇村。
2005年4月1日に安曇村を含む松本市周辺4町村が松本市に合併し、松本市安曇となった。
上高地側です。

堀金村は南安曇郡堀金村。
2005年10月1日に、豊科町・穂高町・三郷村・堀金村・明科町の5町村が合併して安曇野市になりました。

ここは稜線上ですから・・・

翌29日、安曇野平の朝焼けを待つメンバー

反対側は、槍ケ岳 穂高連峰が並ぶ北アルプス側。
つまり蝶ケ岳は「北アルプスをまじかに見る眺望の素晴らしい山」がキャッチフレーズ。
ガスでした。

残念だが雨は上がり、まずは良しとする
さて下山。右の▲は蝶槍。ここを越えて常念岳へ行く縦走コースです。

帰路も常念見えた!

あと4キロ

三俣登山口からタクシーでほりで~湯に入浴し、再びタクシーで穂高駅前に戻りました。
東京組さんには入浴時間が少なくて申し訳なかったです。

登山道の階段

崩れた登山道を木の階段で歩き易くしてある。
この板はカラマツの間伐材とのことです。

登山道の階段

ラマラマメンバーや蝶ケ岳小屋や安曇野市の補助などで、荒れた登山道の階段は180段。
板の隙間にはパッキンが施されています。

私個人的には下り階段が苦手なんで、最後まで苦労しました。

参考サイト
蝶ケ岳に登る

余談
安曇村側には、島々から徳本峠小屋へ登るクラシックコースがあります。
登り残しの大滝山は、かつて播隆上人が槍ヶ岳登頂の際にこの山に登頂しており、
ウエストンも登ったと記録があります。
歩いてみたいなぁ~

小屋には外国人が数人おられました。かなり地味な山なので不思議でした。
上高地から登ってくる道があり、なんとも軽装でひょいひょいと歩いています。
上高地の案内センターやホテルにバゲッジを預け、登山をしていると思われます。

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無沙汰の畑

7月と8月は登山にかかわり続け、今夏の連日の雨ですっかり畑の雑草が私と背比べ。

やっと引き抜きが終わり、秋冬野菜の準備も出来た。
9月初めに種を撒いた大根の葉、
長い大根は失敗ばかりするから短い大根にした。

ニンジン

大根やニンジンは、毎年失敗するのだが懲りずにトライしている。
有機栽培に切り替えてからは、土がまだ落ち着かず嘆かわしい結果ばかり。
しかし伸びた葉は、サラダやみそ汁に使えるのでせっせと育てている。

まだ間引き出来ていないラディッシュ

8月に苗を植えた白菜とキャベツ
蝶々がちらほら飛んでいたので寒冷紗を掛けて逃げ切った。

食卓を賑わした夏の定番トマト。お疲れさま

ナスときゅうりは全滅だった

何故か今頃踏ん張るオクラ1個

6年続くハックルベリーは、秋にジャムになる。
今の実をかじるとのけぞるほど苦い。

売るほど繁茂するペパーミント

春のカモミールと秋のペパーミントは、畑仕事に香りを届けてくれる。

庭に繁茂した大葉とバジルは、乾燥してもみもみし保存すると
下手な料理の助け船になる。

まだ暑い日が続きそうなので、雑草との闘いだ~

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もう一度雲の平を目指す 最終章

やっと終わるのかい?と言われそうなダラダラ日記。
実は急きょ「蝶が岳」へ行くことになり・・・行けることになり、
9月28日~29日決行。
この顛末は、当分先の後日に。

烏帽子小屋からの朝焼け
ありがたやありがたや。下山日の朝には”終わりよければすべてよし”とする

ピストン山行ですから往路ほどの勢いには欠けますが、とにかく終わらねば。
いつまでも苦手なはしご

ほぼ中間に9時到着 

10時半 懐かしい出発地高瀬ダムがまじかに見えて

このシャツは雲の平山荘にて購入。

一目で文字に惚れこんだもの。山荘入り口の看板と同じ文字です。

伺うと、書家の片岡紫翠氏のオリジナル作品。胸にはおなじみのmont-bell
片岡氏は国内よりヨーロッパで人気の書家だそうです。
(mont-bellの店頭では購入できません)

※書道家は近年呼ばれる、書家の異称です。

登山口11時40分

好きになれない丸太橋(板張つきだけど)11時45分

ここからタクシー乗り場へ徒歩20分程。
幸い待機中のタクシーをゲットできました。

七倉山荘で大盛のかき氷を頂き、
駐車場で8日間も留守番してくれたガイドさんの車で、集合地の西友穂高店へ。

後日談
◆ガイド氏のコメント
「ゆっくり行けば遠くへ行ける」を見事に実践できました。お疲れ様でした。
70代はまだ現役!」

「ありがとう」

◇私のコメント
「一生の思い出です」

「私にとっても忘れられない8日間になりました」

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もう一度雲の平を目指す 7日目

こんなにのんびりと歩いていたら、帰るのが嫌になってきたよ~。

スタート後、最初の小屋となった烏帽子小屋へ向かう、朝5時半
野口五郎小屋からの朝日

6時にはスタート
標準歩行タイムではここから、今夕には自宅へ戻れるコースです。

まもなく槍が見え、ひとっ飛びで頂上へ行けそう。
いつみても幸せな気持ちにしてくれる山よ

と感動したり、往路よりは楽に歩けるようになったが、
”小屋泊まりクセ”なる心理状態に。
つまりのんびりが体に染みついたような・・・

晴天にバンザイ

てっぺんが燕岳山頂の風景に似る

往路は巻コースだった。お花畑どころではなく強風雨に耐えていたっけ。
復路の今9時過ぎは、晴天なので稜線を行く

青屋根の烏帽子小屋が見えた

遠くに懐かしいスタート地点のダム湖

烏帽子小屋到着の手前で、散歩に出かけるハッサン君とばったり。
休憩時間のようだ。
”え~まだここにいるの?”と言いたげな笑顔で迎えてくれた。

イワギキョウ

再会を祝って?ランチはカレーを。山にはカレーがよく似合う

15時ころの小屋前から。シラビソが美しく映えるはずが・・・曇天に

小屋のオーナー氏が窓のガラス拭きをしておられた。
穏やかな優しいまなざしの山男です。

明日はここから高瀬ダムに向かって下山です。
登りに苦労したことなんぞ忘れている呑気者である。

夕食はシチュー。今後この夕食を頂くことはきっとないだろうな。

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もう一度雲の平を目指す 6日目

偶然の面白写真がある。

後日ガイドさんから送って頂いた写真の中に、オレンジ色の帽子を冠っている女性が私。

水晶小屋に到着後、私が小屋の外で風景を撮影している。8/23 13:30。

ガイドさんが裏手の丘の上で山並みの撮影をしているのを、私が撮った写真は8/23 13:33。

さて本題
小ぶりでほっこりする水晶小屋を離れ、野口五郎小屋へ向かう朝、
スタッフさんの見送りを受ける。
”さよならの鐘”と呼ぼう

朝日を浴びて・・・わーい

へっぴり腰の岩場シーンばかりだったが、ここで決めた1枚(ガイドさんから)

小屋が見えた、ガンバ

難所の稜線を越えて野口五郎小屋へ戻ってきました

夕食は、山では珍しい天ぷら。オーナー自ら揚げてくださるとのこと。
無事到着!に持参の赤ワインを添えて。

余談
野口五郎岳の名前の由来(Wikipediaから)
「山頂付近は大石が堆積していて、灰色で茫洋とした山容が特徴的な山である。 名前の「野口」は、この山が属する長野県大町市の集落「野口」に由来し、「五郎」とは大きな石が転がっている場所を表す「ゴーロ」の当て字である。 歌手の野口五郎(本名:佐藤靖)は岐阜県美濃市出身であるが、芸名はこの山に由来する。」