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4日目はハイライト?

ホテルのバルコニーから

バス乗り場やショッピングセンター付近の工事現場のクレーン

グリンデルワイト滞在最終日も、歩きました~。
本日は登りが多く、下りが長いコース日だ。

グリンデルワルト駅からゴンドラで25分、フィルスト山頂2168mまで上がる。
9時30分からハイキング開始。標高2271mにある美しい湖”バッハアルプゼー”まで50分。

アルプスの宝石といわれる有名な山上湖”バッハアルプゼー”。そよ風が山を揺らします。

この景色をバックに「遺影用」の写真を撮ってもらいました。これで安心!

ここから1時間半ほどかけて標高差450mを登り、ファウルホルン(2681m)山頂へ。
ランチは小さなレストランにて、大きな壺に入ったスープ、太いソーセージとパン
我々は団体なので、いつも室内で食事ですが、屋外のテーブルでならより美味しかったことでしょう。

レストランの窓から

ここは一番古い山岳ホテルだそうです

さあ下ります。
牛の落し物をよけながらおよそ2時間、酪農家が5~6軒あったかな?
軒下に大きなカウベルを下げている家がある。そうそう牛は肩こりしないのかな?

眼下遥か彼方にブスアルプ集落。ふ~ 
9月22日訂正:↓この画像は別の日の遠景の様です
失礼しました。

ブスアルプ(1792m)に着。
カフェとバス停がある。アメリカのスクールバスのような黄色い路線バスです。
勿論アイスクリームが美味しいだろうとは思ったが、Rivellaをぐぃ!

細いバス道を自転車で登ってくる人がいました。村内でも高原でも自転車人は多いです。

この日でアイガー展望は終了。。
翌日は愉快な列車でツェルマットへ南下移動します。

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アルプスの少女ハイジ 雑記

スイスと聞けばやっぱり「ハイジ」と繋がる。
ガイド氏の話では、舞台はグリンデルワルトでもツェルマットでもないとのこと。

原作はスイス人女性、ヨハンナ・シュピリ(1880年から1881年に執筆)

日本では企画・制作会社「ズイヨー映像」(社名がいくつか変更になっているようだ)制作の
およそ1年間放映の「アルプスの少女ハイジ」(1974年)のほうが有名だね。
キリスト教思想に基づく物語ですが、海外へも出荷されることを前提にしたかどうかはわかりませんが、アニメ版では色濃く反映されていない。

この制作に今をときめく宮崎駿監督、高畑勲監督が参加しています。
ジブリへ脈々と流れておりすごいですねぇ。

現在NHKのBSプレミアムで思い出放映されています。
水曜日午後6時30分  あと3回だけど・・・
アルプスの少女ハイジ 

原作本の訳書も岩波少年文庫ほかから出ています。
amazonで買ってみようかな?迷っている

ネットで遊んでいたら、下記ブログに良い写真がありましたので、拝借しました。
スイスの街角から
ハイジの村へ 1. マイエンフェルトの風景

散歩しましょ

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姉妹提携

グリンデルワルト村と長野県の小さな旧安曇村との姉妹提携の経緯を知りたかった。
出発前は調べられなかった。

現地のガイドさんにきいたところ、現在グリンデルワルト村のあるスポーツ店のおじいさん(ひいおじいさんだったかもしれません)が、旧安曇村の副村長だった縁もあり、提携にあいなったということでした。

帰国後、詳しい経緯をみつけました。
ー松本市公式ホームページからー
グリンデルワルト村との姉妹提携

昭和47年(1972年)締結だから、歴史は長いのである。松本市と合併後も継続され、交流も盛んな様子だ。
特に小中学生との交流は意義深いと思う。

そして今回我々一行は、岳都交流という形でグリンデルワルト村長さんほか自治体の責任者の方と観光局の方、4名様に歓迎アペロを開いて頂きました。
9月3日グリンデルワルド村最後の日でした。

歓迎アペロ=軽食パーティ
およそ1時間お互いの紹介や挨拶などをバルコニーにて、ワインやチーズやクラッカーなどが用意されていました。

その後レストランにて夕食をとりながら、長い夜の交歓会でした。

左端が村長さん.

余談
「エーデルワイス」という曲があり、日本ではよく歌われる。
あの曲はミュージカル『サウンド オブ ミュージック』の挿入歌であり、スイスの方にリクエストしても

????

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ユングフラウヨッホへ(2)

乗ったり歩いたりまた乗って。
ひと駅だったりロープウエイ30分だったり、と忙しい。
そこで現地旅行社「日本語観光案内所)では、グリンデルワルト滞在中の自動改札鉄道カードを用意してくれました。

たしか団体割引もあって17000円相当だったと思います。「紛失したら自前で購入してください」

さて
今日はアイガー(3970m)、メンヒ(4099m)、ユングフラウ(4158m)の三山をまじかに見る山旅です。

クライネシャイデック駅(標高2161m)から1912年開通(昨年100年祭)のユングフラウ鉄道で、およそ50分でヨッホ駅へ(標高3454m)
アイガー、メンヒ両山の山中をトンネルで通過し、ユングフラウヨッホ駅へ。
ヨーロッパで一番標高の高い鉄道駅で標高3454m。

途中駅は
・アイガーグレッチャー駅(2320m)・・・・帰路は、ヨッホ駅からここで下車しトレッキング2時間半と登山電車を乗り継いで村へ帰る。このトレッキングコースは「アイガートレイル」といい、アイガー北壁直下を歩く。

・アイガーヴァント駅(2864m)・・・トンネル内で5分ほど停車し、ガラス窓越しに険しい岩肌や山をみる

・アイスメーア駅(3160m)・・・・ここもトンネル内。5分ほど停車しガラス窓越しに険しい岩肌や山をみる

当時はガラスはなかったそうだが、窓を設けるという発想に驚く。
計画し始めてからの年数を考慮すると・・・・う~ん。

ヨッホ駅では展望台から雄大な景色。寒かった~。たぶん-5℃くらいだったろう。

ショップがあり、大きなレストランで特大ソーセージのランチもここで。
こんなポストも。

世界一高いところにあるポストで、富士山にある簡易郵便局との姉妹提携だそうだ。
勿論口は開いており、発送してくれます。

展望台や郵便ポストで驚いてはいけない。
水洗トイレで、しかもその清潔さといったら、唸るのみ。
施設内をうろうろしていても、3454mにいる感覚は全くなし。

山は自ずと立つ。100年の計は人智なり!

あれこれ唸った1日でした。

余談
ユングフラウ展望台は別名「スフィンクス展望台」とも呼ばれる。
山の形が似ているからだそうな。

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Rivella

いや~ハマリました。

これを飲みにもう一度スイスへ・・・てなことはないけど。

乳清と水と炭酸と砂糖・・・・
複雑な味です。カルピスが近いかな?
ちょこっとショウガの香りもしたような。

栄養価は高く、スイスでは離乳後の幼児食にも使うそうな。
coopで購入しお土産も可能だったようだ。
いかんせん自由時間が少なかった・・・残念

余談
ビールも美味しいかったです。地ビールです。
キメが細かくコップの真上でこんもりモンブラン風情だもんね。
町の小ぶりなレストランで注いでくれた時のビールの感想です。

ワインもまったり甘いものを飲みました。白が私には合うようだった。

スイスワインは、自国で消費が精いっぱいとのことで日本には輸出していないとのこと。

責任は持てないが参考まで
ウィッキペディア

拾い読みすると、初めての味の感想は当たらずとも遠からず・・・か?

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3日目はユングフラウヨッホへ(1)

実際のところ山の写真は少ない。
そこそこのデジカメではうまく撮影できないし、あれやこれや山の名前が覚えられない。

ホテルのまん前に見えるアイガー

ホテルの窓から見える登山鉄道駅。

今日は有名なユウグフラウヨッホ(鉄道駅は標高3454m)へ。およそ4時間のトレッキング日でした。

鉄道とゴンドラでメンリッヘン(標高2229m)へ。

ここから下りトレッキングでユングフラウ鉄道の出発点クライネシャイデック(2061m)へ向かいます
アイガー、メンヒ、ユングフラウの三山を眺めながらのハイキング

美しい池に映る・・・・

こんな池はそこここにあります。これらは貯め水で、冬のスキー場の降雪に使われるそうです。

クライネシャイデックの遠景

日本人観光客が多いのだろう

故新田次郎氏が愛したスイス

さぁユングフラウ鉄道です。

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アイガー東壁を眺める

グリンデルワルトは人口4000人ほどの、小さな村です。
私たちが映像や絵はがきで目にするそのまんまの風景が広がっていました。
眼下の牧草地に農家の建物や牛小屋が散見できるが、人影や営みは全くといっていいほど見られない。

グリンデルワルトの2日目、早速ロープウエイ(ゴンドラ?)に乗る。ホテルから徒歩15分でもう乗り場。
箱の四方はプリントだが、景色にマッチしたデザインです。先っちょに花が・・・・

フィングシュテック山頂へ(1391m)向かう。グリンデルワルトの街が見渡せる

1時間のハイキングでベーレック小屋(1652m)まで。遊具があり、いかにもリゾートっぽい感覚である。

東壁をま近に眺めるレストランのバルコニーにて。団体なので室内で食事。残念!

同じコースを下り15時半頃ホテルへ帰還。

少し街歩きできました。

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スイスアルプス展望ハイキング


数キロも滑ることが出来るスキー場がありました。

松本ヒマラヤ友好会で登山講習のお世話になっている。
松本市とスイス/グリンデルワルト村が姉妹提携しており、松本市と縁の深い「松本ヒマラヤ友好会」が主催した山旅でした。

松本市のホームページから抜粋
『グリンデルワルトは、大正3(1914)年にユングフラウなどを登った辻村伊助の『スゥイス日記』で日本に紹介され、大正10年には槙有恒が地元ガイドと共にアイガー東山稜(ミッテルレギ稜)の初登攀に成功し、村では花火を上げて祝いました。
 その後も浦松佐美太郎がヴェッターホルン西山稜を初登攀、松方三郎、藤木九三、田口次郎や秩父宮殿下が、登山のためにグリンデルワルトを訪れています。
 こうした日本との結びつきを踏まえて、1972年4月20日に旧安曇村(現松本市)と姉妹提携を結び、松本市との合併後も引き続き交流を続けます』

参加者は15人くらいと聞いていたが、ふたをあけると29人と理事長の総勢30名だった。
もともと私自身ツア経験は少ないが、ましてや30名のツアなんぞ「驚き桃の木山椒の木」
2か所のホテルで連泊し、朝有名どころの山へ鉄道やゴンドラやロープウエイで近づき、かつトレッキングと乗りものでホテルへ戻るという手配山旅でした。

旅程は移動と機内泊を含めて8白9日。
◆8/31成田空港~チューリッヒ空港(フライト12時間)~専用バス(約2時間)で8/31夕刻グリンデルワルト村(標高1,050m)へ到着。

○9/1~9/3日までの3日間は、山小屋レストランで昼食をはさみ、ほぼ毎日2時間~4時間をトレッキング。
軽いハイキングだと思っていたが、なんの上がったり下がったりとよく歩いた。
アイガーを中心に展望。

◆9/4ツェルマット(標高1,620m)へ移動。
でも午後はしっかり2時間歩くコース。この日は標高3089mからトレッキングで下った。

○9/5~9/6の2日間はマッターホルンを中心に展望トレッキング。
標高が3000~4000mでの滞在とトレッキングだったが、ひどい高山病にかかった人はいなかったように思う。

◆9/7朝専用バスでチューリッヒ空港へ。9/8の夕刻帰宅しました。

どのくらい歩くのか?
申し込み時点では、それほど気にはしていなかったが、歩いた歩いたって・・・

健脚組にはもの足りなかっただろうし、私のような新米組みには結構きつかったですが、連日歩くことでベテランが後ろから歩行指導し激励してくださるので、よい経験ではありました。

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セキュリティーチェックで忘れ物

デリーからラダックへの移動日のこと

デリー空港のジェットエアウィズのセキュリティを出る時、使いなれたリュックを持ち出すのを忘れた。

ぶらぶら呑気にショップを冷やかしながら搭乗ゲート近くのベンチで ”ありぁ?”
手元が寒い~

すわっ!戻る態勢に入り、しばらくして前からトランシーバー片手に若い女性が歩いてきた。

なぜか私を見て近づき「リュック?」と話し掛けてきたではないか。

ちょうどその時頭上で『リュック◎△●◇○』らしきアナウンスが聞こえた様な気がした。これだわ~と直感。

手招きでこっち来てと従業員通路のようなドアから、チェックカウンターまで案内してくれました。

はいはいこれです。

あれこれ書類を書いて提出するものと覚悟したが、係の男性が「この裏にサインして」とだけ。

Thank you for your kindness. 名前
と書くと
「Welcome, have a nice trip.」
と微笑み返してくれました。

るんるん嬉しくて、戻り道のショップで記念にこのリュックを買いました。

ん?
何故私って分かったのだろう?
慌てた顔で走っていたわけでもないし。

搭乗ゲートから戻ってくる理由は、それほどないからか。

結構時間が経っていたから、ひょっとして防犯カメラで確認したのか?
中には洗面道具や下着くらいしか入ってないから、まぁテロの心配はなさそうだし安心はしたでしょうが・・。

松本へ行く時のショッピングバッグになるかも?

※画像の配置ミスで訂正しました・・・7/24
綺麗になったデリーの空港内


ふわ~、外気温は・・・

最近は日本でも負けていない

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チベットかあさんの手作り「カンビル」

投宿のミラズハウスでは、オーナーのおかあさんとオーナー夫妻と娘の4人暮らしです。
毎食1階で、家族一緒に頂きました。

ある朝招集がかかり、「カンビル焼くよ」とおばあ様の手作りパン焼きを見学。
庭の片隅にあるしごくシンプルな”パン焼き窯”

前夜に小麦粉と水とベーキングパウダーをこねて、寝かせておき、すでに成形されていた

焼き道具は、硬そうな石板

燃料は牛フンと木材

燃焼部分で焼き加減の微調整

見学と撮影席

次から次へと手際よく焼きあげる。1枚が3分くらいかな?
おそらく40個ほどあったろうか

中にハート型があり、私が頂戴した

焼き立ての素朴な美味しいパンです。
ぽっこり膨らむので、割って中にジャムやお総菜を挟んで頂きます。
そうね、日本でも最近はやっているフォッカチャに近いかな?

チベットかあさんは、その上品さと教養の高さと慈愛に満ちたまなざしに感銘して
オーナー夫人にお聞きすると、かつて学校の先生だったとか。

チベットかあさんにもう一度お会いしたい!