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エベレスト街道を歩く4 祈り

タルチョはチベットの五色の祈祷旗である。寺院や峠、橋で見られた。
街道沿いでは、民家の道路わき、村の入り口、吊り橋の両サイドなどにはためいていた。

五色の順番は青・白・赤・緑・黄の順に決まっており、それぞれが天・風・火・水・地を表現する。

民家の庭にて

U状に広がる集落を見下ろす

マニ壁も

この場面では必ず左側を通る

積まれたカタとともに

ナムチェ・バザール3440mへ向かう途中の吊り橋。ここの橋の欄干金物ロープ(とらロープじゃないよ)にも、
破れながらびっしりとはためいていました。

下の吊り橋は現在はお役ごめんです。
我々はこのあと上の橋を渡りました。街道中いくつも渡ったんよ。高所恐怖症には心臓に悪い。

故ヒラリー氏をまつる仏塔(確かそんな説明でした)

彩色文字が書かれているマニ石の画像が得られなかった、残念。
村の入り口には屋根付きの門のような小さな建物があり、大きなマニ車がある所もあった。

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エベレスト街道を歩く3 子供と少年

成田空港へ行く前日に、東京都内で見たキュメンタリー映画『世界の果ての通学路』

ケニア アルゼンチン モロッコ インドの、夢をかなえるためのけなげな子供の姿に胸を打たれる。
単館上映なので、長野に来るのは随分後になるだろう。
と思いながら塩尻市東座に問い合わせすると、7/28~8/31(上映時間未定)でした。
因みに大阪は、5月11日から「シネ・リーブル梅田」にて。
その他の上映館情報

街道沿いにも学校はあるようだが、制服を着て並んで通学している姿は見なかった。
クムジュンでは、ヒラリー卿が始めてその後各国からの援助や、今回主催の松本ヒマラヤ友好会のように支援が続き、立派な学校になっている。
やはり遠くから通ってきているし、寄宿舎もありました。
ヒラリー卿は多くの学校を建設しました。

本題の、街道で出会った子供と少年たち。
団体で歩いているので、なかなか写真を撮るチャンスがつかめなかった。

石造りの民家にて

休憩した庭にて。そっけない対応だった男の子

あとで仲良くなりました。同行者から提供された画像です。

へり不時着現場にて

母親と一緒に荷担ぎしていた少年。おどけたスタイルでお手伝い。

バックは有り得ないスタバの店だが、店内は外国人トレッカーで大賑いだった。

番外
カトマンズの市中での光景。

エベレスト街道ではこんな大きな荷物を担ぐ大勢のポーターが行き交う。

余談
ルクラの最後のロッジで出会ったガイド&ポーター君

彼は、日本人女性で一人トレッキングのサポートをしていました。
日本語は話さず、ゆっくりと英語で話します。それも一生懸命に丁寧なんです。
私でも分かるくらいでしたが、彼女は「私もそこそこなんで、会話が弾みます」と謙遜する。
いいえ彼女は達者にちがいないと直感し、まるで青年を育てているといった雰囲気だった。

最後に、「付かず離れず絶妙のバランスでした」とも。
何社か見積もりをとったが、この会社が一番安く良心的だったそうだ。
カトマンズにあるツア会社の名前を聞いておきました。
こんなシーンに会えるから、旅に出るのが好きなんです。

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エベレスト街道を歩く2 山を見る

結局エベレスト街道は念願通り歩いた。
しかし、せっかくの雄大な山々の撮影は出来なかった。
カメラと私の技術力不足が大きい。

もともと人々の暮らしや営みに興味を持って参加したことが影響して、山姿に心が動かなかったとも言える。
だから残念無念の感慨はない。

概ね天候に恵まれたとも言い難く、山岳撮影を主目的にしている方には物足りなかったと思う。
しかし私とは全く違った視点で素晴らしい撮影を成し遂げられたことを祈っている。

私なりに気に入った山は「神の山」と呼ばれ登山を許されていない(サーダー/シェルパ談)『クンピラ 5761m』
この山!ナムチェに向かう街道にて正面にそびえる、美しくて神々しい佇まいだ。

中ほどに点々がみえるのは、タルチョです

もう1座は 『アマダブラム 6866m』 早朝コーヒーブレイクに立ち寄ったホテル・エベレストビューの展望台にて。
母の首飾りという意味の山だそうだ。
画像の左にエベレストとローツェの雄姿が見えるはず

※行程と山名には気をつけたつもりですが、誤りがあれば、ごめんなさい。

ホテル・エベレストビューは、長野県青木村出身の宮原巍さん創業です。
フロント奥のこの窓からエベレストもローツェも見えます。証拠写真なくて・・・・

雑記1
2013年世界一高い所にホテルが出来た・・・・と。
コンデリゾート
本社はカトマンズだけど、日本案内所は長野県東御市だって。

雑記2
映画『人類史上最も困難なエベレスト登頂』3D上映も
6月28日全国公開だそうだ。が長野に来るのはいつのことやら?

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エベレスト街道を歩く 1

成田発香港経由でカトマンズへ。

ホテルでトレッキング中の荷物作りをし、スーツケースを預ける。

ローカル機は機内預け10キロ以内、手荷物5キロ以内。
重たい文具類を含めるので、私は8キロ以内だ。
さらに、ゾッキョや、ポーターさんが運ぶにふさわしいバッグに詰め替える

※今回のダッフルバッグは、旅費込みとのことで帰路に頂いてきた。災害用グッズの収納に使えるかと・・・・

カトマンズで公式行事と市内観光をすませ、

4月26日朝ルクラ空港(カトマンズから東北へ50分くらい)に無事到着。

このフライトの成否がキモである。天候不順で欠航の可能性大。
行きは上々、帰りは前篇の如し!

空港出口で大きな箱にベルトをかけている女性

ベルトをおでこの上辺りに当て背負い、階段を上がって行った。ひぇ~

この先、中年男性 初老の男性 青年 少年 なかには若い女性などどれほど多くの人が、
荷を担いで登り下りしたことか。
車道は全くないのである。

ルクラ空港を出るとすぐトレッキング態勢に入る。ほんの小さな村である

遠くに荷を運ぶ馬が見える。
比較的低いといっても4000mくらいまでは馬やゾッキョが運ぶようだ。

トレッキング者のためだけでなく、上の村の商店やロッジのために、また建築用具や生活用品などを運搬する。

登りも下りも、運搬するポーターや動物が優先。

我々の荷物を運び、案内をして頂いたのは、アジアントレッキングのメンバー

左から2人目の小柄なポーター君は、我々の同行男性のカメラ機材の運搬専属でした。

下りに弱い私につかず離れず、段差の大きい石場ではそっと手を貸してくれていた。
何度世話になったことか!
シェルパやガイドは英語や日本語を話すが、ポーター君たちはネパール語かシェルパ語のみだったように思う。

大きな声を出さず、慈しみのまなざしで接してくれていたのが、予想ほど疲れず気持ちよく歩けたのではと思う。

街道沿いには何本かリンゴの花が咲いていた

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無事帰国

3日夜、ネパールから安曇野に戻りました。

エベレスト街道トレッキングの出発地ルクラ空港へ着いた直後、毛布に包まれた死者の担架とすれ違った。
これが先月、雪崩で16人(死者13人、行方不明者3人)の犠牲者を出した事故だったのだ。
結局、今期のエベレスト登山は閉鎖となった。
シェルパ達の決断である。

すでにベースキャンプまで装具備品を運んだ複数の登山隊も、撤退することになった。

今朝のニュースで、『野口健さんが犠牲になったシェルパ遺族に1000万円を寄付』
彼らしい。ネパール政府の支援の少なさに抗議も含めて・・・とあった。

お世話になったシェルパやポーターや、街道沿いの住民や商店、ロッジ経営など、
減収による地元の生活を脅かすほどの選択だったに違いない。

私達はといえば
帰路の5月1日午前中ルクラ空港発のフライトが天候不良で中止に。
カトマンズのホテルをルクラのロッジ連泊に切り替え、翌日の午前中フライトに懸ける。

しかし確約はなく、2日深夜のカトマンズ発国際線に乗れないと、そのリスクは大きい。
結局ルクラ発カトマンズ空港へのヘリコプターを予約するも、天候次第。
カトマンズのホテルキャンセル料金は100%、ローカルAirもボツ・・・・トホホの選択だ。

カトマンズの雨情報にヤキモキしたが、ヘリコプターの1便と2便をめでたくゲット!

と・と・ところが・・・
代表と体調のすぐれない2人と青年2人と荷物を1便に押しこみ小雨の中を飛び立った

遅れて2便機も到着。さぁ私の番だよー

冷たい小雨の中飛び立ったが、さあ間もなく到着と思った1時間後、右に左に旋回する。
厚い雲が行く手をはばみ雲の切れ間をみつけて抜けるが、燃料が10リットルを切ったところで畑に不時着した。

そこには風圧に揺れるトウモロコシの苗が。アッチャ~

付近の住民が、普段は高い空に飛ぶ機影を眺めていたであろうヘリコプターが、
「おらが畑に舞い降りた」とばかりわらわらと集まってきた。
なかには腰の曲がったおじいさんが杖をついて見学に来ていた。

この画像は左窓際の参加者に撮影して頂いた

10分ほど待機し、再び雲間をめがけて飛び立ち無事カトマンズ空港へ。
体調すぐれない人が1便で良かった。
ご夫婦参加の奥さんが1便、ご主人が2便に。無事に戻れてよかったよかった!

この1と2便でヘリコプターのフライトも一旦中止になったと、後で知った。

余談・・・今だから
天然無垢の素敵なメンバーが「始めはサービスフライト ?○×△#□ かと思ったけど」オプションかい?
私は「オーバー30分はおまけサービス。滅多にない経験・・・いえ生涯に一度あるかないかの貴重な体験」

バチアタリメ!とお叱りを受けそうだが、終わり良ければ全てよしってね。

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エベレスト街道

嬉しさのあまりもう1枚。 杏の花が青空に映える

桜やリンゴの花が咲くなら、ひょっとしてエベレスト街道でも杏の花が咲くのかな?

よもやもみじはなかろう。庭の七変化が芽吹き出した。

さて
エベレストは英名
ネパール語ではサガルマータ
チベット語ではチョモランマ

エベレスト街道とはネパールのルクラから世界最高峰エベレストへ向かう登山道をいうらしい。

ヒラリー氏も植村直己氏も田部井さんも通った道だ。
全く関心がなかったが、というより私ごときが行ける所ではないとハナから興味がなかった地域だ。

ところが今年縁あって【エベレストに登るんじゃなくて】この街道のほんの一部を歩き、エベレストはじめ5000メートル以上の山々を眺めながらのトレッキングに、参加できることになった。

行程はルクラ標高2800m パクディン2610m ナムチェ3440m クムジュン3780m あとはひたすら下ります。
その時の都合で4000mもありとか!・・・・私次第だったりして、とほほ。

ロッジを渡り歩く5泊6日、1日3~7時間のトレッキングです。
前後カトマンズ滞在と、主催団体が支援しているクムジュンの学校へ文房具を運ぶお仕事付き。
その文房具類は、安曇野市穂高北小学校の生徒とご家族が集めて下さった支援物資だそうです。
だからスーツケース重量は18キロ以内に抑える。

松本市とカトマンズ市の姉妹都市提携25周年。
松本ヒマラヤ友好会発足25周年記念事業の一環。

私自身は年齢的にも体力的にも技術的にも、そろそろ高い山は終盤だと思う。
大阪にいた頃は、こんな人生になるとは予想だにしなかった。
有明山を初めて見たのが2004年、その後常念岳 燕岳 赤岳 爺ケ岳 鹿島槍 槍ケ岳、念願の雨飾山、いくつかの里山・・・・

今回は〆のトレッキングとなるだろう。

老母は呆れて声も出ない。
「お母さんが元気な今だから行けるんよ。安全運転していてもトラックが飛び込んでくることだってあるしー」
そうやねぇ~、と納得していた。
さすがの私も、この先病院に臥せった母を置いては行けんじゃろう。たぶん

余談
しまった!
3本目の槍、白馬鑓ケ岳と有明山登山が残っている。う~ん

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続/田部井さんの魅力

心躍るトレ支度

がん宣告を受け入れ、抗がん剤治療の合間を縫って山に登る。
NPO法人HAT-J/日本ヒマラヤン アドベンチャー トラストの代表として、種々の行事、講演もこなす。
手がしびれたり、足が上がらなかったり・・・

とても真似はできないが、アイディアは頂いている。

山小屋泊まりにポリ袋での収納は避ける。
消灯が早く、早朝発ちのトレッカーがいるので、ごそごそしては迷惑である。

マフラー1枚はセーター1枚に匹敵する。

大判のショールやスカーフはふたつ折にして布団や寝袋の襟元にあてると、他人と共有の用具でも気に掛けずに寝られる。

予期せぬアクシデント発生の時は平常時よりさらに落ち着くこと。
などなど

山行だけでなく、田部井さんは六然訓(りくぜんくん)で自身を戒めているという。
意訳なのでわかりやすい。
彼女らしい”シンプル イズ ベスト”

自処超然 自分自身は何事にも執着することなく
処人藹然 人に対しては好意に冨み
有事斬然 起った事柄にはテキパキと処理し
無事澄然 平安無事の時は心を澄ませ
得意澹然 得意の時は驕らず、淡々とし
失意泰然 失意の時はゆったり堂々としておれ 
 

崔 銑(さいせん、中国古代の学者)の残した言葉と言われている
陽明学者の安岡 正篤(やすおかまさひろ)氏の座右の銘で、
勝海舟も好んでいたという。

私自身を顧みるに、少し威張れるとすれば『自処超然』

62歳で始めた私の山歩きは、残された時間はそれほど多くない。
田部井さんの向上心を頂きながら、もうしばらく続けようと思う。

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大林山

寒い間の体のこわばりをほぐしに、1333mの大林山へ。
篠ノ井線冠着駅経由、旧道55号の登山口からスタート。
マイナーな山で登山道はシンプルな標識のみ。

ひとつめの分岐

ふたつ目の標識

わずかに見えるがこの先も雪道が続き、降りてきた人が「上は凍っている」とのこと。

仲間の判断で頂上は諦めた。

華はないけど魅かれる。
新緑の頃にもう一度トライしたい山でした。

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県境にある神社

21日、久しぶりに歩きに行ったのは軽井沢の奥、標高1200メートルにある熊野皇大神社。
旧碓氷峠の見晴台も近くです。

ハイキングのつもりが、なんのなんのどっさりの雪原で、雪を踏むと予期せぬ30~40センチほどの深みに足をとられました。

見晴台への入口はアイスバーンになっており、私はお約束の転倒。右の腰骨が軽い打撲痛で・・・・。
情けない!

長野県と群馬県の境にあり、参道も本宮社殿も境界線上にあり、登って左が長野県の熊野皇大神社、右が群馬県の熊野神社という珍しい神社。

あらら、慈悲深いというか・・・・

本宮も左が熊野皇大神社(長野)、右が熊野神社(群馬)

長野側には御神木の”しなの木”の大木があり、樹齢800年だそうです。
葉がハート型で7月には白い可憐な花が咲くらしいので、この頃に行くのもいいかも。

群馬側の660年前建立の多重塔は、ここ碓氷峠での「武蔵野の戦い」の死者を弔い二世安楽を願った塔だと案内板にありました。

二世安楽とは、仏の慈悲でこの世とあの世の両方の幸せを願うという意味ですって。
欲張りだけど是非願いたいものです。

ひとつの神社にふたつの宗教法人、二人の宮司様がおいでというユニークな神社でした。
歴史もかなり古く、もっと見るべきものがあったでしょうに、雪が深くてゆっくり見学できなかった。
見晴台には、4キロの散策道と看板があったので、別の機会にもう一度訪れてみたいです。

見晴台にも県境標識

詩聖タゴールの胸像。

傍らの標識から抜粋
 『アジアで初めてノーベル文学賞を受賞したインドの詩人。
軽井沢との縁は日本女子大学成瀬仁蔵学長の招きで、1912年軽井沢の三井邸に滞在し、毎朝女子大生たちに詩を聞かせ、お祈りの講話をした。
 その後2度来日したが、最後の講演で
「自己中心の文明は隣の国民を焼きつくす武器を発明するようになる。くれぐれも『人類は戦わず』を守るべきだ」とのべ、原爆を予言するような言葉も残した。

1942年8月7日、広島・長崎の原爆投下やインドの独立を知ることなく、80歳の生涯をとじた。』

ギザギザ連峰は「上毛三山」と呼ばれ、群馬県の赤城山、榛名山、妙義山。
魅力的なな雲形が青空に映え、美しい景色でした。

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標高の見直し

今朝、国土地理院がGPSなどを使って見直し作業を進めた結果報告をニュースで報じられた。

およそ1メートル高くなった長野県と近辺では、山梨県と静岡県にまたがる間ノ岳(あいのだけ)で、
標高は3190メートルに。
山仲間では話題沸騰するだろうね。

因みに
1位 富士山   3,775メートル
2位 北岳    3,193メートル
3位 奥穂高岳 3,190メートル
3位 間ノ岳   3,190メートル
5位 槍が岳   3,180メートル  私のたったひとつの登頂自慢は4位からすべり落ち。

2007年初めて登った(一人で)燕岳から見た槍が岳

2年後、槍が岳へ連れて行っていただいた。
今後は高い山はもう無理だと思うから、懐かしむ日々となるのだろう。

以前登頂したが、大雨と風に残念だった福島県の安達太良山は1メートル低くなって1709メートルに。
また登りたいと思っているので、ささやかに楽になる(笑)

余談
試しにサイト「ウィキペディア」日本の山一覧(高い順)を開けてみたら2014年3月26日で更新されていました。
さすが!