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県境にある神社

21日、久しぶりに歩きに行ったのは軽井沢の奥、標高1200メートルにある熊野皇大神社。
旧碓氷峠の見晴台も近くです。

ハイキングのつもりが、なんのなんのどっさりの雪原で、雪を踏むと予期せぬ30~40センチほどの深みに足をとられました。

見晴台への入口はアイスバーンになっており、私はお約束の転倒。右の腰骨が軽い打撲痛で・・・・。
情けない!

長野県と群馬県の境にあり、参道も本宮社殿も境界線上にあり、登って左が長野県の熊野皇大神社、右が群馬県の熊野神社という珍しい神社。

あらら、慈悲深いというか・・・・

本宮も左が熊野皇大神社(長野)、右が熊野神社(群馬)

長野側には御神木の”しなの木”の大木があり、樹齢800年だそうです。
葉がハート型で7月には白い可憐な花が咲くらしいので、この頃に行くのもいいかも。

群馬側の660年前建立の多重塔は、ここ碓氷峠での「武蔵野の戦い」の死者を弔い二世安楽を願った塔だと案内板にありました。

二世安楽とは、仏の慈悲でこの世とあの世の両方の幸せを願うという意味ですって。
欲張りだけど是非願いたいものです。

ひとつの神社にふたつの宗教法人、二人の宮司様がおいでというユニークな神社でした。
歴史もかなり古く、もっと見るべきものがあったでしょうに、雪が深くてゆっくり見学できなかった。
見晴台には、4キロの散策道と看板があったので、別の機会にもう一度訪れてみたいです。

見晴台にも県境標識

詩聖タゴールの胸像。

傍らの標識から抜粋
 『アジアで初めてノーベル文学賞を受賞したインドの詩人。
軽井沢との縁は日本女子大学成瀬仁蔵学長の招きで、1912年軽井沢の三井邸に滞在し、毎朝女子大生たちに詩を聞かせ、お祈りの講話をした。
 その後2度来日したが、最後の講演で
「自己中心の文明は隣の国民を焼きつくす武器を発明するようになる。くれぐれも『人類は戦わず』を守るべきだ」とのべ、原爆を予言するような言葉も残した。

1942年8月7日、広島・長崎の原爆投下やインドの独立を知ることなく、80歳の生涯をとじた。』

ギザギザ連峰は「上毛三山」と呼ばれ、群馬県の赤城山、榛名山、妙義山。
魅力的なな雲形が青空に映え、美しい景色でした。