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北海道・旭岳(途中まで)トレッキング編

友人のおかげで旭岳中腹と礼文島でのトレッキングも経験できた。
突然の坐骨神経痛にはまいったが、一部レンタカーを利用出来、当初の「北海道を車で走る」も
なんとか経験出来た。

携帯電話からのブログ投稿は、画像処理が芳しくなく、恥ずかしい思いも残り
そこで残したい記録を補完の形で連載することにした

トレッキングは、友人が関西で自然観察のガイドをしているので、北海道の花を見るという希望から計画した。

旭岳へのコースは1日レンタカーを利用。
旭川市内と旭岳温泉を結ぶ道道1160号線を、路線バスでなく是非車で行きたかった。
1メートルずつ山に近づくカーブと雰囲気を経験する。バスの運行本数が少ないこともその理由。

山麓駅は標高1100m 姿見駅は1600m
10分の(ゴンドラ)ロープウエイを降りると、散策コースについて3分間レクチャー

右端下の「長靴」
ロープウエイで登るような散策路だからと、可愛い靴で来る人に提供するレンタル長靴。
雪道や水たまり道があるためだ

さて出口からど~んと、この景色

いざ出発

雪渓が残り滑る

遠くの噴煙、ここは活火山

姿見の池はまだ雪におおわれて、ほんの一部だけ

面白石

花の名前は苦手なため画像少なし。ただ長野県で見る高山植物と似ているなというのが印象
エゾ~~、チシマ~~

姿見の池は5合目のあたる。
旭岳頂上までは無理だがすこし登ってみると
地獄谷が覗ける場所があるというので、石だらけの道を6合目までの途中まで登った

大崩落の現場だった

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雨飾山を眺めにゆく


標高1963mの雨飾山を見に行く? 登りに行くでしょうが!

笹平から見た雨飾山。

いいえ 登頂できませんでした。絶好の晴天で出発したというのに・・・

5時に自宅を出る
白馬あたりから霧の中。外気温11度と読める

快調に飛ばして6時半、キャンプ場の駐車場着。おお快晴
朝食とトイレ、登山記録記入をすませ、7時出発。

登山口から木道やぬかるみ道を進む

歩く距離が4.4キロだから 400メートルごとに「1/11」「7/11」と標識があると調査済み。
これを目安に歩けばいいんだ

いきなり急登、ふうふう上がってブナ平へ。とにかく石と根ばかりだ。
体力落ちているのがわかる。
この先大丈夫かと心配になるが、8時30分に美しいブナ平標識が迎えてくれた。

しばし休憩

大きなブナの根

根には秋の赤ちゃんが

しばらく歩くと今度は急降下。え~せっかく登ってきたのに・・・・とぼやくことしきり

ここまで来た

ぼやくばかりではない

9寺15分 荒菅沢着。晴天に高くそびえるのが雨飾の頂上らしい
水音に疲れが離れる。結果的には水辺はここだけだった

やれやれ、笹平への急登。大きな石がごろごろ
沢への急降下のころから、右の太腿がつる感触を覚える、初めての経験だ
以前ヒマラヤ友好会登山に参加した折、メンバーの処置をしていた先生の真似を試みる。
水分をたくさん補給し、腿を表からも裏からも揉みほぐす。

少し楽になった

やがて人影が見える急登場面に臆する。帰路に振り返った画像

ここを超えると平らな道になるからと、踏ん張る。
休憩の取り過ぎ。どんどん人が先を越してゆく。一人登山は休憩が多すぎるのが難点だね。

アサヒビールから寄贈のしっかりした梯子を登る
 失礼してホームページから拝借画像

ほどなく到着は笹平。11時30分。さわやかな風が流れる

大勢の人が休憩したり、昼食を食べている。
ここを下って頂上を目指すのだ。新潟側からの梶山コースの分岐もこの下にある。

ここから頂上まで40分だが、天候と太股と体力を考えると、このあとの登山口まで下山に自信がなく撤退とした。
「ここまで来たのに」と残念がってくれた人もいたが、いつかまた機会があるだろうと決心。

運悪く雨飾山頂上もその北峰も雲がかかり、しばらく待ったが回復しなかった。

同じ道を下る。登りの苦労を考えると思いやられる。
途中、4人組のメンバーに筋肉痛を和らげるエアスプレーをかけていただき、ゆっくり下山したのが午後3時。
頂上にゆかず往復8時間をかけたのも、きっと私くらいだろう。
もう一人笹平を降りかけたところで「足がつって」と座りこんでいた男性。あの後どうしたのだろうか?

最後のふんばり、登山口へ向かう急降下

よく頑張ったといつもの自画自賛

登りの人ごみに比べると下りが少ないのは、新潟県側の登山口最寄りには”雨飾温泉”といういい湯があるそうだ。梶山コースという
小谷村の「雨飾荘」と間違えなきようにと、ただし書きがある。
雨飾山荘
登山しなくてもいつかこの宿に行ってみたい

帰路の白馬では、午後4時半頃の外気温20度と表示
5時過ぎ、自宅着

石と根っこと粘土質の山道に悩まされた。
この先リベンジはないかもしれないが、登山なぞ考えもしなかった30数年前のポスターに誘われ、
長年の夢がかなったのには満足している。

花の時期は終わり、紅葉まではまだという端境期の登山はこれで終わった。
気持ちにちょっと余裕ができた帰路での花。

木道そばの湿地帯。この向い側の沢水には小さなイワナが泳いでいた

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徳本峠小屋ホームページ


徳本峠までの最後の水場。8月7日12時過ぎの撮影画像

もう霜が降りる季節になっている

8月7日に訪ねた「峠の宿」のホームページが出来ました・・・と、ご丁寧なコメントを頂いた。

稚拙な私の紹介ブログをご覧になったそうで、なおかつ『峠の仲間』に加えて頂いたとのこと、
えらい恐縮もんですわ、と
頭を掻きかき、内心ちょっとこそばゆくも嬉しいかな?

今、山はこんな様子。。。。なんていうライブカメラがないのもいいね。
初霜が降りて ”これから始まる静かな紅葉の季節” と知らせる『峠からの便り』があれば十分の、
素朴なホームページは【ホットページ】

歴史と温かさを守っていってほしい

徳本峠小屋の出来立てほやほやホームページはこちら

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徳本峠小屋探索

以前、徳本峠小屋について「是非一度は行っておくべし」と勧められていた。
松本ヒマラヤ友好会の企画に、チャンス到来と飛びついたのは言うまでもない。
2010年8月1日、1年ぶりに再オープン、泊まったのは木の香り充満の8月7日。

多くの登山者を迎えては送り出した標高2315メートルの徳本峠小屋。
元の小屋はすぐ横の部屋とトイレと食堂だった。

まず西(テント場側)の顔

87年(大正12年築)の原型を残した家屋。当時のままで残る山小屋はここだけだという。山小屋建築の歴史を伝える建築物として、この部屋は博物館的に存続させる予定らしい。

この平屋で天井裏を中2階と中3階のイメージで20人ほどの寝床になっている。立つと梁で頭をゴツン!

そして大きな杭は雪から家屋を守るための、はめ板を重ねる足場
その板は庭の談話・飲食用テーブルと椅子で兼用

当時からの道具や注意標識も各所に健在

新築なった東棟は、1階を調理室や食堂、2階を宿泊部分と多分スタッフ室。2階通路を抜けると外にトイレ。
食堂には本棚があり歴史を伝える古い本も並ぶ

夕食の食堂に入ったとたん、かぐわしい木の香りが鼻をつく。

梁や柱の一部は壊した建物の再利用

夕食は時間差でゆったりと・・・

朝食は全員がほぼ同じ時間に出発のため、一斉に食べ始める。端席はご飯・味噌汁→メイン→お茶・小鉢と縦に並ぶ

夕刻の歓談中のこの笑顔に、疲れが吹き飛ぶ

右の支配人岩本さんは大阪からの単身赴任
左は長年&いつもボランティアの松本市島内の高山さん
自宅の畑から新鮮な野菜と、ビールの空き缶を背負い通っている。この人がいればこその山小屋かもしれない

トイレ汚物は、このタンクに溜めヘリで下界へ運び処理している。
トイレ使用料は1回100円也。メンテや処理費に充てられる。小銭忘れないで!

雨水利用の手洗い。
水場もないので、明神からの登山途中「最後の水場」で汲んでくること。
水のない人はボトルを買う。

7日の夜は定員オーバーだったのだろうか、高山さんたちは食堂で寝たそうです。
遅く着いた人が泊まれなくて、明神へ下山しました。
リオープンで混雑が予想されるので、予約したほうがいいね。

有名な大型山小屋のような完璧さはないが、のんびりと素朴に(きっと)古きよき山小屋風情を残しているのだろう

そして翌8日、八ケ岳を抱く朝焼けに酔う

北側へ走り朝日を受ける穂高を・・・・間に合った!

余談
 ブレ画像
到着時小屋にいた青年の帽子には「中信森林管理署グリーンパトロール」
その仕事は、国有林を巡視して高山植物の盗掘やごみ不法廃棄を防ぐため、パトロールをしている。
彼の話では、昨年の帽子には前中央にコマクサの刺繍だかワッペンだかが貼ってあったので、人気だったとか。
ご苦労さま

日本アルプス命名の地といわれる徳本峠(とくごうとうげ)と小屋についてはこちらへも

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徳本峠から槍見台へ

今回のトレッキングコースは
上高地→明神→徳本峠小屋(泊)→霞沢岳→徳本峠小屋→明神→上高地

2日目の私は霞沢岳登頂に自信がないので、早朝出発メンバーを6時に見送ったあと、午後の到着メンバーを出迎えた。
かなりアップダウンがきつく、多人数でもあり予定より1.5時間遅れの到着だったから、やはり留守番は正解だった。

さてっと、留守番の半日はただぼんやりしていてもいいなーと本や新聞を持参したが、
昨日の到着時に発見!
ん?大滝山。

”峠の宿”に泊まりに来た名古屋市のNさんと、”大滝山”ですっかり盛り上がり
彼が槍見台へ行くというので、チームリーダーに了解を頂き同行出来ることになった。
いつもながら強運の蔵くらである

地図を見せてもらうと、槍見台は大滝山へのほぼ半分くらいに位置する

宿の裏手から登り始め、中村新道の樹林帯をアップダウンしながら「明神見晴らし」に到着。
これは地図にはなかった

看板からの正面は明神だがよく見えず、倒木ベンチから正面に見えるのが前穂だよと。 

右へ目を移すと△は槍ケ岳だ

ここで峠のテント場から先発のMさんご夫妻としばし歓談。
この先蝶ケ岳~常念~燕岳~中房温泉~駐車している沢渡までと長い縦走を続けるそうだ。
それぞれ(確か)15キロと20キロのリュックを担ぎ、小顔に似合わぬたくましいこの二の腕。
リュックから繋がる管は水筒の先端。

リュックを担いだまま、手元でオンオフして水が飲める仕組み

昨日今日の山ガールなど到底足元に及ばない本格派
昨日朝、中房温泉に下山された。いつの日か再会の予感あり。

そして前進。ゆるゆるとアップダウンで「大滝槍見台」に到着

しっかりした材木で高さ4メートルくらい。階段は機能性重視の垂直。

因みに”2002年8月槍見台”の拝借画像では

山小屋の方々による修復だろう。ありがたいことである

櫓の上には標識板があるが、これは不鮮明。23~~と読めるが・・・・

しかし苦労して登るも槍は雲の中。しばらく滞在して峠の宿へ戻る

帰路の明神見晴らしでは、常念岳(左)が見えた。蝶ケ岳へ続く峰々
山の向こう側はおなじみの安曇平である。

山の形を覚えられないから、あれが○○こちらが●●と案内出来ない、とほほ
解決法は地図をもっと読むこと・・・はいはい
「山と高原地図」が使いやすいよと指南を受ける。

峠の宿に泊まるのが目的で来たというNさんは、きっと私の待ち時間をすこしでも減らそうと
ゆるゆるのんびり過ごしてくれたのだと思う。感謝

はい小屋の裏手に到着。6時過ぎに出て12時ごろ着
新築なったトイレと、宿泊棟、食堂キッチンなど管理棟

ランチは一緒にチャーハンと味噌汁をいただいた。

名古屋へ帰るNさんを見送る。有意義な半日をありがとう。

次は峠の宿の探検日記

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徳本峠小屋へ

徳本峠と書いて「とくごうとうげ」と読む
登山は昨年の槍ケ岳以来だからほぼ1年ぶり

さて
徳本峠に行くには、上高地河童橋から明神を通過して登山道へ。

梓川沿いに穂高連峰を眺めながらお馴染みの景色を歩くと
キャンプ場の人だろうか?椅子を持ち出し梓川のほとりで緑陰読書中。
素敵な景色に断りをいれて撮影させてもらった

その先の水辺では光輝く、まるで映画のワンシーンのような・・・
もし足が不自由になっても、思い出の時空を懐かしむ自由は得られるのだと、思わずシャッターを切る

上高地はいつ訪れても美しい景色を見せてくれる

さて登山開始

せせらぎを渡り

花の時期でないのか、花が少ない登山道なのか、あまりみかけない
 たぶんユキザサ

キホトトギスが珍しかったが画像なし

そして午後1時半頃には峠に到着

テント場側正面から見える穂高連峰

今夜の宿は念願の「峠の宿」
ダケカンバのお爺さんがいる80年の歴史を刻む山小屋だ

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大滝山を見なおそう


春・・・やっと咲いたレンゲに歓喜したものだが

夏真っ盛りの今も、種をつけながら花も咲かせている

先月25日大滝山と26日三郷スカイラインの紹介続編

サイト検索中に「安曇野農業経営者の会」を見つけ、整備登山の報告があった。

ご苦労さまでした。
でっかい写真で汗が飛んで来そう・・・3Dじゃあるまいて。

槍ケ岳など北アルプスの急峻な峰々を安曇野側登山道から見渡せる、表銀座コースに次ぐコースなんだよねー

しかも大滝山荘(夏場だけのようだが)に泊まれる。
蝶ケ岳へ縦走できて、下ではほりで~ゆ四季の温泉が待っている。
健脚組ならは上高地側へも抜けられる

私のような散歩道から見える山に登る”登山新規参入組”にはちょっと自慢できるコースになるかもしれない。

チャンス到来を待つ

余談
時々参考に覗くサイトの大滝山過去の登山記録ではあまり期待できないようなコースだけど、どうなんだろう?
少ない登頂情報のひとつ大滝山からの眺め

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残雪の雨飾山


登ったのではなく、いつか是非登りたい山のリサーチ・・・・といったところ


ずいぶん昔、登山なんぞチラッともかすめなかった頃、自宅近所のスポーツ店で雨飾山のポスターを見て感動したことがあった。
その名前と山容の美しさ・・・人気山の由縁

しかし見かけによらず、アップダウンが激しく梯子や鎖場もあるそうな。

雨飾山は、白馬村の北、長野県と新潟県の県境にある山で、日本百名山のひとつ。
名前の通り実際雨やガスが多いそうだ。絶好日和なら眺望が素晴らしく、山頂から日本海を眺めることもできるという。
ブナの木が多く、7月の新緑と10月の紅葉が格別だとも。

訪れた日は曇天雨天のあいだの絶好日。ぐっと近づく

登山届を提出する休憩所。パソコン作成の張り紙でないところが、いかにも
『自力で登って帰るんよ!燕岳や常念岳のように観光山でない』と主張しているようだ

しかし、休日や夏には登山客が行列をなす、と里山トレッキング仲間の説明

張り紙右は『この先はトイレがないよ。携帯トイレを持ち帰ったらここへ収納して』という注意書

そう、この山には山小屋や休憩所がないから、10時間かかってでも下山してこなくてはいけない。
案内図の看板右手から登山道だが、今は雪の下

振り返ると、新緑と雪原と雨飾山


帰路の途中で鎌池の上まで行くと、これまた絶景

本番は下山後ぐったりして、おそらく立ち寄れないだろう。水の色が美しかった

太い木が雪の重みで押し倒された痕跡

融雪を待つ

下って
熱すぎる野天風呂では湯かけのみ。

  そば蛍にて焼き茄子とお蕎麦で〆

 最近ますます人気上昇

自宅から車で、1時間40分~2時間で登山口まで行けることを確認できた。
6時から登り始めれば、遅くても夕刻までには下山出来るだろう・・・・
繁忙期の山行だから、ぞろぞろ押されて進めると思う。もし疲労困憊したら小谷村内の山荘に泊まればいい。

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甑岩


長野市にある里山、若穂太郎山(標高996.9メートル)の途中にある大きな岩の名前が
甑岩(こしきいわ)

先日長野市観光協会から送られてきたパンフレット

標高997メートル、頂上への往復が5時間くらいかかるらしい。
とりあえず甑岩までは、と登山開始

登山口から約800メートルで分岐点についた・・・・という親切な標識

太郎山頂上まで2.8キロ歩くけど(この先は危険個所あり上級者向き)大丈夫?と
これまた親切な掲示板

実際この後すぐ急登になった

高速長野道のトンネルの上を横切って歩いてきたのだ

だるま石を見上げ

イノシシの水浴び場を通過し

甑岩に到着

右手から、岩に抱きつくように重いお尻を運び上げ、お山の大将となった

晴天だったが雲が上がり、北アルプス方面はぼんやりだった

先端に立ち両手を広げると映画「タイタニック」を経験出来るが
もう若くない・・・・

結局頂上まではあとわずかだったが、甑岩に立てたので満足して下山した

小休止の時寝っ転がって空を見上げると、新緑がまぶしかった
新緑の里山トレッキングは、美しい木々の春の喜びの歌を聴けるのが実に楽しい。

下山は余裕があったので、ロープ使用の急登個所を撮影

下りは楽勝

新緑の季節にもう一つでも里山を歩きたいなぁと、帰路についた

余談
兵庫県西宮市甑岩町に越木岩神社があり、「甑岩(こしきいわ)」と呼ばれる、巨大な聖石があるという。

長崎県の甑岩では
甑(こしき)とは餅米を蒸かすセイロのことで、山頂(358m)の巨岩の形が似ていることで名づけられた。とある

文献的にはかなり古くからある言葉のようだ(拝借山なんでもウオッチングから)
・大分県宇佐市のこしき石:弥生時代
・鹿児島県甑島の甑大明神岩:古墳~奈良時代
・兵庫県西宮市の越木岩神社の甑岩:平安~室町時代

道理でパソコンに「こしき」と入力すると一発漢字変換ができたのだ、納得!

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尼巌山の山名由来

尼巌山の山名由来を知りたくて長野市観光課に電話してみた。
職員氏は電話の向こうで
「5月3日の『虫倉山開山祭』にも是非お運びください」
当然と言えば当然だけど宣伝も忘れない観光課である。

虫倉山へも2007年に一度登っているが、いい景色の山だった

そして
長野市観光課から「尼巌山」と「奇妙山」の由来についての返答が封書で届いた。

結論は「はっきりしたことはわからない」ようだ。
参考にとこちらのサイト記事が同封されていた。

こんなところにも尼巌山がでてきたが、名前の由来記事はない

何かと世話になっている「信州山歩き地図」の尼巌山編には「これならそうかもしれないな」と思わせる文章があったので拝借します
『岩沢集落を突っ切って登山口に戻る途中で、今は懐かしい天秤棒で水桶を担いでいるお爺さんに出会った。
山名の由来を尋ねたところ、何でも「戦国時代に尼巌将軍という人が山の上に砦を構えていたらしいが、
その名前を取ったんじゃあないか。」とのことであった』

でもまあたくさんの観光資料を送ってくださいました。
結論は出なかったが職員氏の意気込みは感じいった。感謝

パンフレット画像の一番手前の大きな岩は、若穂太郎山山頂への途中にあるこしき岩(またまた難しい字で甑岩と書く)

次はあの岩に座って遠くの山々を眺めているかも・・・・

余談
奇妙山もやはり由来はわからない。
ただ奇妙なことに15キロ東にも奇妙山という名の山がある。
こちらは須坂市。いつか登ることがあれば地元のご老人に尋ねてみよう

消化不良な記事になったが、ひとまず1件落着