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尼巌山の山名由来

尼巌山の山名由来を知りたくて長野市観光課に電話してみた。
職員氏は電話の向こうで
「5月3日の『虫倉山開山祭』にも是非お運びください」
当然と言えば当然だけど宣伝も忘れない観光課である。

虫倉山へも2007年に一度登っているが、いい景色の山だった

そして
長野市観光課から「尼巌山」と「奇妙山」の由来についての返答が封書で届いた。

結論は「はっきりしたことはわからない」ようだ。
参考にとこちらのサイト記事が同封されていた。

こんなところにも尼巌山がでてきたが、名前の由来記事はない

何かと世話になっている「信州山歩き地図」の尼巌山編には「これならそうかもしれないな」と思わせる文章があったので拝借します
『岩沢集落を突っ切って登山口に戻る途中で、今は懐かしい天秤棒で水桶を担いでいるお爺さんに出会った。
山名の由来を尋ねたところ、何でも「戦国時代に尼巌将軍という人が山の上に砦を構えていたらしいが、
その名前を取ったんじゃあないか。」とのことであった』

でもまあたくさんの観光資料を送ってくださいました。
結論は出なかったが職員氏の意気込みは感じいった。感謝

パンフレット画像の一番手前の大きな岩は、若穂太郎山山頂への途中にあるこしき岩(またまた難しい字で甑岩と書く)

次はあの岩に座って遠くの山々を眺めているかも・・・・

余談
奇妙山もやはり由来はわからない。
ただ奇妙なことに15キロ東にも奇妙山という名の山がある。
こちらは須坂市。いつか登ることがあれば地元のご老人に尋ねてみよう

消化不良な記事になったが、ひとまず1件落着

2 thoughts on “尼巌山の山名由来

  1. Unknown
    尼さんではなく将軍様でしたか?
    とにかく歴史的には由緒ある山だったんですね。

  2. 信玄と謙信
    真田地方なのでこの二人に関わる話はいっぱいありますね。
    里山は地元の人々とのつながりが深いので、おらが村の話を聞くのも楽しと思います。

    歴史的なといえば熊野古道もたいそうなもんでしょうね。

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