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ラダック・・・ラマユルからミニトレッキング

トレッキングに出かける朝。ドラゴンホテルの窓から
朝焼けでピンクになるはずなのに、白く輝く

山肌にうっすら掘り物がある。観音さんを表しているらしい。
白い石を埋めて形作っています。そうね大文字焼きの要領かな?

しっかり者の、ドラゴンオテルのマダムに送られ

いよいよ月世界を進むトレッキング開始。

昨日見学したラマユル寺が送ってくれる

ホテルを出て登り口へ向かう道すがら、マニ石を彫る石工さんに出会う


注文しておいて来年受け取りに来るってのもいいなぁー。

里を離れて山に入ります

休憩した谷筋にはハイマツのような低木もあった

ガイドのツェワンさん撮影
峠を目指して

このコースは車道が出来るまで人や馬やヤギが頻繁に歩いた道。
馬のひづめ跡があり、ヤギの行列跡がみられ、現在でも利用されている街道だそうな。

タルチョが旗めく3725mの峠です。

この後はワンラ村へ向かって下山し、到着~

のんびり歩いて約4時間の行程でした。
ワンラには、ドラゴンホテルのオーナーが迎えに来てくれましたが、これはタクシー代として
ツア代金に含まれています。

因みにホテルドラゴンはホテルと称してはいるが、三ツ星・・・などのランク付けはない。
しかしこの近辺では、オーナーとその家族、スタッフとも揃った良いゲストハウスだそうです。

ガイドの説明では
この月の世界ではまだ進化の途中だそうで、岩石の変化を示して

左から右へ堅牢になっている。

NH1はNational Highway(国道1号線)。一路レーへ走り、夕刻宿へ帰着した

標高3500mのラマユルから3725mの峠までだから、難易度の高いトレッキングではない。
ただ、高山病には注意が必要である。

我々は全く兆候なし!

この勢いで、明日から1泊2日の神秘の湖滞在ツアへ出かける予定。

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ラダック・・・ラマユル滞在

ラマユル地域は、かつて巨大な湖が干上がって出来た黄色い岩石がぼこぼこと盛りあがり不思議な光景を見せるので「月のような世界」と呼ばれています。
月に行ったことがないので検証の仕様はないが・・・とにかく荒涼とした山岳大地でした。
ラマユル・ゴンパ遠景

ラマユルのゲストハウス「ドラゴンホテル」の食堂。みんなで一緒に食事をします。
宿泊者にはインド人男性がいたようだったが、夕食も翌朝食も我々だけで頂いた。

テーブルや、カーペットを敷いて座る台などは伝統的なチベット仕様です。
ミラズハウスも同じです。

建物はかなりの年代ものですが、食器棚は新たに作りつけしたようで、年代物の重厚な食器、道具類が並んでいた。

この壺もかなりの年代物。はったい粉のような粉がはいっていて、チャイに使うらしい。

夕食のカレー

トゥクパ

朝食

前後するが、夕食前にラマユル寺を見学

道ばたの家の前にて。顔がパキスタンのフンザで見かけた子供の顔に似ている。
歴史をひもとけば、あるいは流れてきた民族かもしれない、確信はないが・・・・

チベット族の男性。右足を斜め前に構える立ち姿。
ミラズハウスのお婆様は左足を斜め前に構える立ち姿。
何か理由があるかもしれない。

勤行中のお堂
ブオォ~とラッパの低音がお腹に響く。
小坊主達はパックジュースのようなものを飲んでいたり、隣同士でおしゃべりしたりと、今日の勤行はのんびりと悠長な風景。

はにかむというより斜に構える、撮影慣れした小坊主達か?

星空も見ずに眠りこけた。
相変わらず快眠快食快便の日々が続く・・・

明日は月世界の風景を眺めながら、3725mのプリンキティラ峠を目指しワンラ村へ抜けるトレッキング。

それでもオーナー&ガイドは、我々に高山病予防薬は飲まなくてもよいという。

付録
道中でよく見かけるマニ石。
お経が掘られており専門の石工がいます。勿論何を彫るか注文できます。
エべレスト街道でもいろいろな色彩文字がありました。

翌日、トレッキングに出発直後の路傍で偶然石工の仕事現場に出くわした。

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ラダック・・・ラマユルへ1日目

16日17日と高地順応のためゆったり過ごした後
18日から1泊2日の『ラマユル~ワンラ 半日トレッキングと下ラダック観光 』に出かけた。
ラマユルは「月の世界」と紹介される地域である

行程は、
1日目。レーからスタート→リキル寺訪問→アルチ寺訪問と村内散策→ラマユル泊
2日目。「月の世界」山岳地帯をのんびりトレッキング→3725mの峠を目指す→予定のゴンパ訪問を外してレーへ帰還

前日、安心のため持参の高山病予防薬(ダイアモックス)の飲用を申し出るが
「二人とも不要です」と却下された。
大丈夫かいな?

通過の村の入り口のアリ塚?

雪解けの川と緑豊かな大地。遠くに山岳の厳しさを見せる風景

途中の橋にて。欄干にはためくタルチョ タルチョの波

通りがかりの男性にお願いして撮影させてもらう。

遠景にゴンパ。たしかスピトクだったと思う、美しい佇まいだ。

その後に近景を撮影

手前のインダス川と向こうからのザンスカール川の合流地点

渓流下りのゴムボートが見えるが、昨年も今年も乗船風景は見なかった。

一路リキル寺へ向かう。
金色の大きな弥勒菩薩像が建物の上に座っていることで有名なお寺。1998年建造の高さ25メートルもある。

昨年に続き進入口が封鎖されており、またまた断念かと思ったらまわり道を指示された。
5~6キロはあったろうか、かなりのデコボコ道で酔いそうになる。

迂回路のおかげで背中側を見ることが出来た。

背中の中央縦に階段が設置されており、おそらくお掃除用と思われる。

普段は観ることはない後ろ姿は幸せな遠周りだった。

このゴンパはダライ・ラマ14世の弟が座主を務めるお寺なので、7月の14世来訪のための修復突貫工事中だったのです。
傾斜のある山肌に建つお寺では、機械化は望めない。
我らがガイドもお手伝い。

勿論お堂の中も見学しましたが、いろいろ説明を聞くので、覚えきれません。
面白かった構図は、勤行時の僧侶が纏う防寒着の鎮座光景

帰りがけにハンサムな小坊主さんに遭遇

先を急ごう
世界に知れるアルチ寺へ向かう。
昨年撮影できなかったチベタン民族衣装の女性達。
山高帽子をかぶるのは既婚女性です。

アルチ寺は昨年も時間をかけて見学したっけ

そして昨年お誘いを受けながら巡礼出来なかった村内散策コースを歩くと、
インダス川のすぐそばに出た

撮影出来なかったが、この写真の右手遠くの山側に大きな水力発電所があった。

帰りがけに出会った家族。かなりユニークなお婆さんですね。

ラマユルへ
明日の軽いトレッキング基地となる村です。
途中「パーミッション(通過許可証)」を提出するため待機します
派手はでトラックの行列

今日の宿は「ドラゴンホテル」

綺麗で広い角部屋でした。

到着早々のウエルカムドリンクにジンジャーティをお願いすると、ティーバッグがぶら下がり、ワイルドだね~。
美味しかったです。

到着時はパワーダウン中、つまり停電。
この地域では、我々ゲストの点灯は19時間半~23時だけでした。

次回は夕食からご案内

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ラダックへ・・・懐かしいゲストハウス

成田を15日18時50分発。デリーには現地時間16日0時過ぎに到着した。
日本時間-3.5時間=インド時間となる。
初めてANAを利用したが、前泊不要の直行でデリーへ、おまけに待ち時間少なくラダックへ乗り継げる。

16日5時50分Jet airwaysは定刻にてレー空港へ向かい、7時20分到着。

信頼度の高い航空会社です。
この先は国外の携帯電話は不通になる。

空港へ迎えに来てくださった裕子さんと懐かしいミラズハウス

オーナーのツェワン・チンレイさん(ツォ・モリリにて)

左がオーナー夫人の裕子(ひろこ)さん、中央はオーナーの母上、
右は春から同居のお手伝いのドルマさん

仲良し家族のようです。
ドルマさんはとにかくいつも体と手を動かして黙々と働いています。
また会えますように・・・・

昨年泊まれなかった、小部屋とバルコニーつきの部屋

庭のポプラの木

到着した時はカラカラの畑に、インダス川から引いた灌漑用水を畝間に通すと
一晩で数センチも伸びます

作物は日本とほぼ同じ
ジャガイモ、ナス、菜っ葉、キャベツなど。

早朝から美味しいパン「カンビル」を焼いてくださるママさん

チャイを頂きながら傍で見学します。

今回ご一緒した長野市のMさんは山行の経験も豊富だが、海外旅行には旅行社のツアばかりだったので、
個人旅行の楽しさを満喫されました。

16日と17日は高所順応のためモモ作りや近所のティクセ寺観光にと、ゆったりと時間を過ごした。

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ラダックへ、いざ

標高4600mにある高山湖ツォ・モリリ。

「女神の湖」と呼ばれる湖。
湖畔のテントホテルに泊まり、寒さも経験しました。

ミーハーの私は長野新幹線新型車両E7系で東京へ、エクスプレスで成田へ。

大人の休日倶楽部はありがたい。

全日程を好天に恵まれ、高山病にも悩まされず、6月24日成田に戻りました。

デリーの酷暑と標高4600mでの滞在と5300mの峠越え。
3725mの峠を越える4時間のトレッキング
お世話になったゲストハウスでの”もも”作り体験など・・・・

夏服と防寒着は山のような洗濯物。

やっとこさバゲッジを片付けて一息つきました。

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世界の果ての通学路から学ぶ

上映館が拡大してきました。
世界の果ての通学路

世界にはこれほど苦労して学校へ通う子供たちがいるのだ。
労働力として育てられ、親の理解を得られず学校には行けない子供達がう~んといます。

アジアを歩くと実感する。
旅行社のツアではなかなか見えないです。

日本に限らず最近の子供に関わる事件が多すぎる。
しかも残酷すぎる状況に胸が痛む。

他の人生を奪う権利など誰にもない。
楽しい学校生活、遠くまで続く未来、新しい友達・・・・
置き去り幼児の事件には涙なしでは理解できない。

私が守る私の人生なんぞ・・・・

まず実現しない戯れ願望を言えば、
子供や若者の命を奪った犯人の刑罰は、2倍いえ3倍にしてください。

そして大人は危なそうな状況に対して細心の注意をはらい、
同じような事件を繰り返さない努力をしようよ。

深夜に一人で歩かないで。
ネットにはもっともっと気をつけて。

私自身は昔から、「旅先で野垂れ死に」が本望です。
強運持ちの私には、滅多なことでは「旅先で野垂れ死に」は実現しそうにないけど。

15日から再びラダックへ行きます。画像はお世話になるゲストハウのHPから拝借
今回は現地のツアで、美しい湖ツォ・モリリとツォ・カルへ。4600メートルに滞在し初めてテントホテルに泊まります。

そして半日トレッキングのあるゴンパ巡り(昨年感動したアルチ寺を含む)コースをいれました。

チベット圏の文化と芸術、豊な自然と人々に会ってきます。

映画の通学路に比べれば決して難コースではないが、高山病には要注意です。
25日頃までごきげんよう。

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DVD上映会

母がフランス映画『望郷』を観たいという。
最近、復活目覚ましい母の希望・要求の高度化に驚く。

部屋のテレビには録画&再生機能はない。

う~ん。

DVDを探し、amazonで格安に入手する。送料なしで433円なり。
親孝行には過ぎるほどのDVDである。

今回はパソコンを持ち込んで鑑賞したが、

次回は我が家で観て欲しいよ。

字幕スーパーをしっかり読んでいた。
私より視力がいいからね。
ジャン・ギャバンについて、「昔はいい男だなぁと思っていたけど、
近頃は日本の男のひとがハンサムになったからか、たいしたことないわ~」ですって。

演技で勝負してあげて。

映像美で勝負なら『第三の男』
毅然と去りゆく女性の姿と、BGMで流れるチターのもの悲しい音色を記憶している。

圧倒的な存在感のオーソン・ウエールズを観たいという。
では・・・と次の上映会は『第三の男』に決まり。

私がお墓に持って行きたい映画が『カサブランカ』
リック(ハンフリー・ボガード)の男気でしょ。
洒落たセリフの応酬ですぞ。

じゃー次の次は『カサブランカ』・・・・に決まりですと。

まいった!

59歳で亡くなった2歳下の妹は、『ウエストサイド物語』が好きだった。
急死だったので地方都市の小さな町でビデオを探しまくって、お棺に納めたっけ。

母に何をいれて欲しい?とは・・・・ちょっと聞けない、今では。
なんて答えるか聞いてみたい衝動にかられるが。

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勧誘電話

踊るヤマボウシ。苦節8年、3つ咲きました。

先日
●○システムから電話があった。

電話帳に掲載していないから、基本的に勧誘電話はかからないはず。
だからいきなり名乗らないようにはしている。
連絡待ちのタイミングでうっかり名乗ってしまった。

結局太陽光発電の勧誘だった。
ところが電話口の女性は、いきなり「若い方はおられますか?」と言うではないか。

私は声が可愛くないから年寄りじみて聞こえるのかもしれないが、失礼なヤツ!
「若く見られる年寄りですが、御用は何でしょう?」ととぼけた。

該当すると思しき会社に確認すると、現在長野県内で勧誘電話をかけているという。
「森の中で太陽光には恵まれせん。以前にもお断りしたはずです。リストから削除してください」
ついでに「電話のかけ方をもう少し教育したほうがいいですよ」

振り込め詐欺の手口ほど巧妙でなくてもいいからね。

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スイーツピザ

ピザは好きです。
日本人はイタリア人に次いでピザ好きではないかと思う。

しかしこんなピザってどうなんだろう?

『森永ミルクキャラメル&マシュマロピザ』

森永製菓さんから画像拝借

キャラメル味のソースに、4色のマシュマロとアーモンドをトッピングだって!

体裁はわかるが、私が食べられる味なのかどうにも想像が出来ない。

な~んか商品開発に頭打ちの、苦肉の策のような気がするなぁ~。

私の想像力欠如ってことかな?

森永キャラメルといろんな店がコラボするキャンペーン中です。

ピザーラならあるんだけど、ピザハットは安曇野市にはありません。幸か不幸か・・・・・

そうそうモスバーガーとミスタードーナツが、お互いの一押し商品をトレードして開発した新商品2種類ずつ販売しているとニュースで見ました。

モスバーガーは2年に一度くらい頂くけれど、ドーナツは相当コレステロールが高そうだから、全くパスです。

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補聴器

画像の整理で見つけた2013年3月の母。安曇野へ来て半年の頃。
よく耐え環境に順応して生活を楽しみ、たいしたもんです。
ベッドでごろり、いつもの新聞を読むスタイルだ。

このあとちょっとおめかしして食堂へ行く。

91歳の母は50代頃から耳が遠くなった。
本人が言うには子供の頃の病気の影響か? 耳の手術をしたらしい。

60代になって初めてデジタル式の補聴器を誂えた。当時はたいそう高かったと記憶する。
高い音は低く、低い音は高くする機能で便利だが、自身の耳穴を型取るオーダーメイドだったので面倒だったようだ。

いくら性能がよくても消耗は避けれらない。最近の会話に私がえらく疲れるようになったのは、
聞こえが小さくなり私が大声をだすのが原因だとにらんだ。

製作からお世話になっていた補聴器センターの、松本店に相談。
機器の清掃・乾燥・調整の結果、当初ほどでなくても聞こえはやや回復した。

やれやれ

今後のさらなる機能低下には、耳かけ型補聴器で対応出来る方法がある。
これは本人が出向き装着テストをし、ある日数お借りできるお試しもあるという。

ありがたいことです。これで看護師さんたちスタッフも少しは楽になるでしょう。
とはいえ、館内大きな声が鳴り響く時があり、年齢を重ねればみんな一様にこういう状況になるのだろう。

ブルームからお土産に頂いた花の種、切り花にして部屋へ届けられるように育てよう

追記 6月1日
耳かけ型補聴器について

このタイプは音量調節は出来ないので、聞こえが落ちれば矢印付近の部品を交換することになるそうです。
イラストはWidex社のHPから拝借(矢印は加工)