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夏野菜始動

朝夕の冷気が抜けず、つい最近まで遅霜情報があった初夏。

長い時間苗をポット保管していたので、気が気でなかったが、定植を完了。

トマト   ナス

キュウリ  かぼちゃ

枝豆  ジャガイモ

じゃがいもの花が咲く寸前、テントウムシを2匹発見!

寒い時期に定植し、害虫予防に寒冷紗をまとい
キャベツも

外葉を始末しないとね

レタスも

健在なり

ピーマン3本の画像もれ。 
万願寺とうがらし モロヘイヤ オクラ 松本一本ねぎ、大葉 バジル パセリなども少量づつ。
ズッキーニの苗はトホホ品切れ。

今年は整枝をまじめにやり、伸び放題を卒業し、さらに有機的なる施肥をめざす。

越冬したタマネギは、雑草とカモミールのなかで成長していた。

大雪の影響だろうか、長い濃緑の葉が伸びている。
さて肝心の結球やいかに!
畑友さんからのアドバイスは「タマネギは頭が出ても土寄せせなんで■△%#●・・・・」

数年前からの手作り堆肥の活用が奏功かも?

併せてコンパニオンプランツの活用を考えている。

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リベンジ大林山

4月に行ったが、残雪にやむなく諦めた大林山。

5月17日にリトライ

仲間から頂いた国道から見える全景。左が大林山、右は八頭山

4月と同じコースで、始めは急登だが、次第にのんびり歩く。
やはり新緑は美しい

写真は撮らなかったが、ミツバツツジが随分賑やかな山でした。
名前が分からないいが、おじいさん大木にも新しい枝がニョキニョキ

はい山頂、1.5時間くらいかな?

遠くに(少し雪が残る)蓼科山

登山道はそれほど整備されていない分、登山者が少なく前回も今回も一人しか会わなかった。

いずれ八頭山へも。

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エベレスト街道を歩く 雑記

素晴らしい山々の画像は、あまたあるサイトにお任せすることになった私の街道記。
心残りを雑記として・・・・

トランプ 『FACES OF NEPAL』

なかのカードも  子供だよ

街道沿いの童たちも概ねこんな感じ。
連れて帰りたくなるような・・・・

民家のすぐ側の空港は標高2800m

日本では考えられん!

操縦士は外国人。

思い出したが40代前半のアルバイト先。
へり操縦ライセンス取得希望者をロスアンゼルスの学校へ送りこむ会社にいたことがあった。その頃イスラエル人が多いと聞いていた。
今はどうかな?

カトマンズではネワール人、街道筋はチベット人が多かった。
過去にヒマラヤ山脈を越えてネパールに移住した子孫達です。
ヒンズー教信者が多くカースト制度もあります。

ルクラで大人気のブランドは


わがもの顔で平然と並んでいるのはある意味カワイイ。
中には登山者が置いてゆく本物と思しき中古品もあるとか

カトマンズのスンダリ・ミカさん。HPはこちら
彼女にはカトマンズでの公式行事や観光にお世話になりました。
カトマンズ在住の日本女性で、ネパール大衆歌謡の歌手。のびやかな声とメリハリのある歌唱力です。

ネパール女性が切望する、安全な日本製基礎化粧品のブランド化をめざしているそうです。
これはネパール産の2つの希少価値の高いオーガニック原材料を使うので、
ネパールの地方の零細有機農家の現金収入を支える事業になります、と
精力的に活動するミカさんに拍手!

不思議でした・・・・帰宅後の肌がツルンとしていた。
トレッキング中の道路は砂ぼこりが多い、が車は一切走っていない。
お湯がでなかったので水で石鹸洗顔し、化粧水と日焼け止めクリームだけで過ごしていた
にもかかわらず、全く荒れていなかったのだ。
医学的科学的なことは分からないが、思い起こすに自然環境が良かったのではないか。
畑に農薬散布はなかったのだろう。

街道沿いの野性的なトイレを覗くと、板張り床の下には枯れ草がどっさり混ぜてある。
鼻をつく臭いもない。
それら枯れ草はあちらこちらの畑に山のように積み上げてあった。
板敷きトイレは立っているだけで怖かったので、画像なし。

そして山からの水の恩恵を頂く。

街道沿いの農家にリンゴの木が点在していた。

ルクラの商店街の裏道にある農家のおじさんが嬉しそうに「アップル!」と教えてくれました。
農家の財源として生活の自立が出来れば、やがて子供達の就学支援に繋がると思う。
参考:HAT-Jりんごプロジェクト
ルクラから1時間ほど右側の奥まったところにHAT-Jの看板が見え、ガイドさんによれば
「リンゴはできていますよ」とのことでした。
地元農家さんの努力を讃え、さらなる発展を願う。

街道筋にごみ分別ボックスが何ケ所か設置されている。

以前ゴミを減らす運動が起こった時、野口健さんや田部井さん達が運動された記事を読んだことがありました。
結果がこのように活かされているのだろうか?
ルクラにはゴミ焼却炉が建設されているというのですが、あいにく見つけられませんでした。

楽しかったトレッキングのしめくくりに。
脚長パンツ、広告的にいえば美脚(に見える)パンツ
ちっこい私が一見容姿端麗に見える写真(思いっきり自己満足)で街道記事を終わることにした

後ろ姿は山ガール 前にまわれば山ばんば

おそまつでした

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白い花

白い花が好きだ

白を中心に出来るだけ少ない配色で庭作りをしている。

冬の終わりから春一番に咲くスノードロップ

続いてスノーフレーク

そして日本すいせん
 

パンジー

  
オシロイバナ

  
リキュウバイ

ナデシコ

5/21追記:図鑑でよく調べると、なでしこだけど園芸種のようだ。
以前はもっと花びらに切り込みがあったような記憶。

一向に花をつけないがエリモツツジも花は白である

今年はヤマザクラが花をつけ、

杏も・・・・

2本のブルーベリーにたくさん花をつけている

畑から参入の賑やかなカモミール

今年もバットの木(アイダモ)と、今年こそのノイバラに期待できるか?

華やかさに欠けるラインナップだがますます好きな庭になってきた。

9年目のご褒美? 土ほかの環境が我々に寄り添ってきたのか?
冬の大雪の置きみやげか?

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エベレスト街道を歩く4 祈り

タルチョはチベットの五色の祈祷旗である。寺院や峠、橋で見られた。
街道沿いでは、民家の道路わき、村の入り口、吊り橋の両サイドなどにはためいていた。

五色の順番は青・白・赤・緑・黄の順に決まっており、それぞれが天・風・火・水・地を表現する。

民家の庭にて

U状に広がる集落を見下ろす

マニ壁も

この場面では必ず左側を通る

積まれたカタとともに

ナムチェ・バザール3440mへ向かう途中の吊り橋。ここの橋の欄干金物ロープ(とらロープじゃないよ)にも、
破れながらびっしりとはためいていました。

下の吊り橋は現在はお役ごめんです。
我々はこのあと上の橋を渡りました。街道中いくつも渡ったんよ。高所恐怖症には心臓に悪い。

故ヒラリー氏をまつる仏塔(確かそんな説明でした)

彩色文字が書かれているマニ石の画像が得られなかった、残念。
村の入り口には屋根付きの門のような小さな建物があり、大きなマニ車がある所もあった。

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エベレスト街道を歩く3 子供と少年

成田空港へ行く前日に、東京都内で見たキュメンタリー映画『世界の果ての通学路』

ケニア アルゼンチン モロッコ インドの、夢をかなえるためのけなげな子供の姿に胸を打たれる。
単館上映なので、長野に来るのは随分後になるだろう。
と思いながら塩尻市東座に問い合わせすると、7/28~8/31(上映時間未定)でした。
因みに大阪は、5月11日から「シネ・リーブル梅田」にて。
その他の上映館情報

街道沿いにも学校はあるようだが、制服を着て並んで通学している姿は見なかった。
クムジュンでは、ヒラリー卿が始めてその後各国からの援助や、今回主催の松本ヒマラヤ友好会のように支援が続き、立派な学校になっている。
やはり遠くから通ってきているし、寄宿舎もありました。
ヒラリー卿は多くの学校を建設しました。

本題の、街道で出会った子供と少年たち。
団体で歩いているので、なかなか写真を撮るチャンスがつかめなかった。

石造りの民家にて

休憩した庭にて。そっけない対応だった男の子

あとで仲良くなりました。同行者から提供された画像です。

へり不時着現場にて

母親と一緒に荷担ぎしていた少年。おどけたスタイルでお手伝い。

バックは有り得ないスタバの店だが、店内は外国人トレッカーで大賑いだった。

番外
カトマンズの市中での光景。

エベレスト街道ではこんな大きな荷物を担ぐ大勢のポーターが行き交う。

余談
ルクラの最後のロッジで出会ったガイド&ポーター君

彼は、日本人女性で一人トレッキングのサポートをしていました。
日本語は話さず、ゆっくりと英語で話します。それも一生懸命に丁寧なんです。
私でも分かるくらいでしたが、彼女は「私もそこそこなんで、会話が弾みます」と謙遜する。
いいえ彼女は達者にちがいないと直感し、まるで青年を育てているといった雰囲気だった。

最後に、「付かず離れず絶妙のバランスでした」とも。
何社か見積もりをとったが、この会社が一番安く良心的だったそうだ。
カトマンズにあるツア会社の名前を聞いておきました。
こんなシーンに会えるから、旅に出るのが好きなんです。

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エベレスト街道を歩く2 山を見る

結局エベレスト街道は念願通り歩いた。
しかし、せっかくの雄大な山々の撮影は出来なかった。
カメラと私の技術力不足が大きい。

もともと人々の暮らしや営みに興味を持って参加したことが影響して、山姿に心が動かなかったとも言える。
だから残念無念の感慨はない。

概ね天候に恵まれたとも言い難く、山岳撮影を主目的にしている方には物足りなかったと思う。
しかし私とは全く違った視点で素晴らしい撮影を成し遂げられたことを祈っている。

私なりに気に入った山は「神の山」と呼ばれ登山を許されていない(サーダー/シェルパ談)『クンピラ 5761m』
この山!ナムチェに向かう街道にて正面にそびえる、美しくて神々しい佇まいだ。

中ほどに点々がみえるのは、タルチョです

もう1座は 『アマダブラム 6866m』 早朝コーヒーブレイクに立ち寄ったホテル・エベレストビューの展望台にて。
母の首飾りという意味の山だそうだ。
画像の左にエベレストとローツェの雄姿が見えるはず

※行程と山名には気をつけたつもりですが、誤りがあれば、ごめんなさい。

ホテル・エベレストビューは、長野県青木村出身の宮原巍さん創業です。
フロント奥のこの窓からエベレストもローツェも見えます。証拠写真なくて・・・・

雑記1
2013年世界一高い所にホテルが出来た・・・・と。
コンデリゾート
本社はカトマンズだけど、日本案内所は長野県東御市だって。

雑記2
映画『人類史上最も困難なエベレスト登頂』3D上映も
6月28日全国公開だそうだ。が長野に来るのはいつのことやら?

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エベレスト街道を歩く 1

成田発香港経由でカトマンズへ。

ホテルでトレッキング中の荷物作りをし、スーツケースを預ける。

ローカル機は機内預け10キロ以内、手荷物5キロ以内。
重たい文具類を含めるので、私は8キロ以内だ。
さらに、ゾッキョや、ポーターさんが運ぶにふさわしいバッグに詰め替える

※今回のダッフルバッグは、旅費込みとのことで帰路に頂いてきた。災害用グッズの収納に使えるかと・・・・

カトマンズで公式行事と市内観光をすませ、

4月26日朝ルクラ空港(カトマンズから東北へ50分くらい)に無事到着。

このフライトの成否がキモである。天候不順で欠航の可能性大。
行きは上々、帰りは前篇の如し!

空港出口で大きな箱にベルトをかけている女性

ベルトをおでこの上辺りに当て背負い、階段を上がって行った。ひぇ~

この先、中年男性 初老の男性 青年 少年 なかには若い女性などどれほど多くの人が、
荷を担いで登り下りしたことか。
車道は全くないのである。

ルクラ空港を出るとすぐトレッキング態勢に入る。ほんの小さな村である

遠くに荷を運ぶ馬が見える。
比較的低いといっても4000mくらいまでは馬やゾッキョが運ぶようだ。

トレッキング者のためだけでなく、上の村の商店やロッジのために、また建築用具や生活用品などを運搬する。

登りも下りも、運搬するポーターや動物が優先。

我々の荷物を運び、案内をして頂いたのは、アジアントレッキングのメンバー

左から2人目の小柄なポーター君は、我々の同行男性のカメラ機材の運搬専属でした。

下りに弱い私につかず離れず、段差の大きい石場ではそっと手を貸してくれていた。
何度世話になったことか!
シェルパやガイドは英語や日本語を話すが、ポーター君たちはネパール語かシェルパ語のみだったように思う。

大きな声を出さず、慈しみのまなざしで接してくれていたのが、予想ほど疲れず気持ちよく歩けたのではと思う。

街道沿いには何本かリンゴの花が咲いていた

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無事帰国

3日夜、ネパールから安曇野に戻りました。

エベレスト街道トレッキングの出発地ルクラ空港へ着いた直後、毛布に包まれた死者の担架とすれ違った。
これが先月、雪崩で16人(死者13人、行方不明者3人)の犠牲者を出した事故だったのだ。
結局、今期のエベレスト登山は閉鎖となった。
シェルパ達の決断である。

すでにベースキャンプまで装具備品を運んだ複数の登山隊も、撤退することになった。

今朝のニュースで、『野口健さんが犠牲になったシェルパ遺族に1000万円を寄付』
彼らしい。ネパール政府の支援の少なさに抗議も含めて・・・とあった。

お世話になったシェルパやポーターや、街道沿いの住民や商店、ロッジ経営など、
減収による地元の生活を脅かすほどの選択だったに違いない。

私達はといえば
帰路の5月1日午前中ルクラ空港発のフライトが天候不良で中止に。
カトマンズのホテルをルクラのロッジ連泊に切り替え、翌日の午前中フライトに懸ける。

しかし確約はなく、2日深夜のカトマンズ発国際線に乗れないと、そのリスクは大きい。
結局ルクラ発カトマンズ空港へのヘリコプターを予約するも、天候次第。
カトマンズのホテルキャンセル料金は100%、ローカルAirもボツ・・・・トホホの選択だ。

カトマンズの雨情報にヤキモキしたが、ヘリコプターの1便と2便をめでたくゲット!

と・と・ところが・・・
代表と体調のすぐれない2人と青年2人と荷物を1便に押しこみ小雨の中を飛び立った

遅れて2便機も到着。さぁ私の番だよー

冷たい小雨の中飛び立ったが、さあ間もなく到着と思った1時間後、右に左に旋回する。
厚い雲が行く手をはばみ雲の切れ間をみつけて抜けるが、燃料が10リットルを切ったところで畑に不時着した。

そこには風圧に揺れるトウモロコシの苗が。アッチャ~

付近の住民が、普段は高い空に飛ぶ機影を眺めていたであろうヘリコプターが、
「おらが畑に舞い降りた」とばかりわらわらと集まってきた。
なかには腰の曲がったおじいさんが杖をついて見学に来ていた。

この画像は左窓際の参加者に撮影して頂いた

10分ほど待機し、再び雲間をめがけて飛び立ち無事カトマンズ空港へ。
体調すぐれない人が1便で良かった。
ご夫婦参加の奥さんが1便、ご主人が2便に。無事に戻れてよかったよかった!

この1と2便でヘリコプターのフライトも一旦中止になったと、後で知った。

余談・・・今だから
天然無垢の素敵なメンバーが「始めはサービスフライト ?○×△#□ かと思ったけど」オプションかい?
私は「オーバー30分はおまけサービス。滅多にない経験・・・いえ生涯に一度あるかないかの貴重な体験」

バチアタリメ!とお叱りを受けそうだが、終わり良ければ全てよしってね。

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エベレスト街道

嬉しさのあまりもう1枚。 杏の花が青空に映える

桜やリンゴの花が咲くなら、ひょっとしてエベレスト街道でも杏の花が咲くのかな?

よもやもみじはなかろう。庭の七変化が芽吹き出した。

さて
エベレストは英名
ネパール語ではサガルマータ
チベット語ではチョモランマ

エベレスト街道とはネパールのルクラから世界最高峰エベレストへ向かう登山道をいうらしい。

ヒラリー氏も植村直己氏も田部井さんも通った道だ。
全く関心がなかったが、というより私ごときが行ける所ではないとハナから興味がなかった地域だ。

ところが今年縁あって【エベレストに登るんじゃなくて】この街道のほんの一部を歩き、エベレストはじめ5000メートル以上の山々を眺めながらのトレッキングに、参加できることになった。

行程はルクラ標高2800m パクディン2610m ナムチェ3440m クムジュン3780m あとはひたすら下ります。
その時の都合で4000mもありとか!・・・・私次第だったりして、とほほ。

ロッジを渡り歩く5泊6日、1日3~7時間のトレッキングです。
前後カトマンズ滞在と、主催団体が支援しているクムジュンの学校へ文房具を運ぶお仕事付き。
その文房具類は、安曇野市穂高北小学校の生徒とご家族が集めて下さった支援物資だそうです。
だからスーツケース重量は18キロ以内に抑える。

松本市とカトマンズ市の姉妹都市提携25周年。
松本ヒマラヤ友好会発足25周年記念事業の一環。

私自身は年齢的にも体力的にも技術的にも、そろそろ高い山は終盤だと思う。
大阪にいた頃は、こんな人生になるとは予想だにしなかった。
有明山を初めて見たのが2004年、その後常念岳 燕岳 赤岳 爺ケ岳 鹿島槍 槍ケ岳、念願の雨飾山、いくつかの里山・・・・

今回は〆のトレッキングとなるだろう。

老母は呆れて声も出ない。
「お母さんが元気な今だから行けるんよ。安全運転していてもトラックが飛び込んでくることだってあるしー」
そうやねぇ~、と納得していた。
さすがの私も、この先病院に臥せった母を置いては行けんじゃろう。たぶん

余談
しまった!
3本目の槍、白馬鑓ケ岳と有明山登山が残っている。う~ん