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レンゲを育てる2

播種は10月上旬

10月16日

11月18日
1ケ月でこんなに変化

密集しているのは間引く必要があったんだ。
間引くのが惜しいのでこのままにする。
越冬が厳しいかもしれないので保険として残すことにしよう。

この記事↓を参考にさせていただきました。
葉っぱの岬

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徳本峠クラシックコース2

岩魚留小屋から徳本峠小屋まで4.4キロ
小屋の標高は1260m。
徳本峠小屋は2140m。
標高差900mを歩くんだ。
資料では岩場道ではないが丸太橋や板橋を渡る場面が多いとある。

必至で歩いていたので、とにかく写真が少ない

栃の実

くねくねとS字カーブをひたすらあるく。同じような景色の連続だった。
ひと休みの回数が多くなる。

途中の木橋は、ずいぶん補修・架け替えされているのがわかりました。

峠まであと1.8キロ

青空が大きくなってきた。頂上は近いぞ!

翌朝の写真だが昨日、中央に見える道を上がってきてここ頂上に到着。

結局島々登山口から8時間歩いて来たことになる。

夕食前のベンチで、岩魚留小屋であったご夫婦と再会。
彼らはテント泊なので、この後夕食の準備が始まる。
その隙間に、なんと濃厚な会話がはずんだことか!。
忘れられない思い出になりました。

彼はロッククライミングもされるほどのクライマー。
海外登山の話しから、私が「インド・ラダックでハイキング並みだけど歩きました」。
彼らも登山ではないが新婚旅行にラダックへ行きました、という。
レー在住の旅行社でお世話になったHidden Himalaya上甲さんの話に及び、
もう懐かしくて泣けそうでした。
こんなのどかな山小屋の庭先で『ラダック!』
大盛り上がり。

まもなくそれぞれの支度へ離れました。

寂しかったのは、今回も是非お会いしたかった高山さんが徳本峠小屋では会えなかったこと。
上高地の明神「嘉門次小屋」へ非常勤でお仕事をされているとのことでした。

1組のふとんにゆったり、気持ちよい眠りにつきました。

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徳本峠クラシックコース1

年末が近づくと「あぁ今年はこれが果たせたし、あの山へも行ったっけ」と思う。

今年果たせたことは、御嶽山山頂へ。

もう1山はトレッキングを始めて間もなくからの懸案登山・・島々宿からの徳本峠小屋へ。
上高地明神からは2度歩いている。
2018年9月21日
急登もあるので島々駅近くの石川旅館に前泊した。

早朝登山口まで送ってくださるサービスありです。

さていよいよ22日スタート

やさしい流れの川沿いを鼻歌交じりで

花を見る余裕も

やがて樹林帯へ

悲しい伝説跡の看板。ここが街道筋であったこと。

戻り橋

かつて活用された炭焼きかま跡。このあたりが生活地域だったこと

高度をあげたので急流になってきた川

結構多くの古い丸太橋が、歩き易い板橋にかけ替ええられている。
多いということは、樹林帯で湿度が高いため傷みも早いのでしょう。

※訂正11/11:この写真はい岩魚留小屋から頂上へ向かう途中の写真で、掲載間違いでした。
かけ替えに関しては、帰路の上高地で貴重な話を得ることに。

簡単にここまで来たように読めるが、実は怖かった~場面も。

さあぁ晴れてよかった!と晴れ女はルンルンで出発したのだが・・・・
前日までの大雨で、数か所で急流の沢になった水場を越えることになったのです。
通過する道は細く、右手は崖とまでは言わないが川の淵の砂地。
もし落下しても高さは2mほどなので、死ぬことはないなと踏んでいた。

1ケ所だけは足がすくんだ。好みの行動食”みすず飴”を食べて落ち着く。
じーっと睨んでいたら、後続の男性が
「少し上に登った所でじゃぶじゃぶ靴ごと漬けて通過しましょう」と誘導してくださった。
ありがとう

ほどなく岩魚留小屋への階段に到着

ひとまず半分は消化したのかな?
当時は行き交う登山者や旅人や村人でに賑わったのだろう。

夏場なら売店が開くのかもしれないが、どうも荒れた風情。

ん?ビール500円!これは山の現在価格だよ。
クラシックコースのシンボル、有名なカツラの木。

ウエストンや芥川龍之介、髙村光太郎も智恵子も見上げた大木。
ふと疑問が。
ここまでの道を智恵子は登ってきたのか?
ガイドや地元の木こりたちに担いでもらったのではないかな?
帰宅後 徳本峠小屋ホームページの「峠の歴史」を見つけました。

とにもかくにもシンボルのところまでは無事到着。ふ~

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吊るし柿の災難

昨日の朝やけ。冬の訪れが近づいてきた

山の方から猿の集団も訪れてきた。
とうとう我が敷地にも・・・・

今日の午後庭で物音がしたが気にとめなかった。
夕方、かじられた柿が3個転がっていたので「とうとう来たか!」

これは昨年の画像、今年はまだ撮影なしだった。

こんなグラグラする立棒によじ登ったのかと想像するとおかしくもあり、
そんなにお腹がすいているのかと哀れにもなる。

緊急避難のため室内に移動したが、
この姿もやや哀れを誘う。

今年はもともと個数が少ないので、被害は小さいが
口がゆがむほどの渋い柿を3個も食べ散らかして、
どんな顔して去っていったであろうか?
顔つきを見たかった。

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季節外れ

先日、庭にて発見

春から夏に咲く花の蕾が見えたり   
ミヤコワスレ

しっかり咲いている花も・・・
白花マツモトセンノウ

名前の由来の一つに松本地域に自生していたからという。

マリーゴールドは12月頃に咲いているのを見かけるが、
やはり最盛期は春から夏でしょう

これは天候のしわざ?

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匹と尾

コスモス。いよいよ秋本番です。
かねてから欲しかった「レモン色のコスモス」ゲット!

近頃テレビ局のアナウンサーに、イントネーションと勘違いが多いように感じる。
昔のNHKではずいぶん煩く指導教育されていた。

私の認識不足のほうが問題なのか?
10月12日 6時半からのニュースで「築地営業開始」の中

『大きいマグロ3匹・・・』
従来魚は「尾」と認識していたが、大物では例えば

「数え方の辞典」(小学館)から
まぐろ【鮪】
匹、本、丁、さく、切れ

生きているものは「匹」、水揚げされて商品として取引されるものは「本」で数えます。
頭と背骨を落とした半身は「丁」で、ころと呼ばれるブロック状の肉片を小さく切り分けると「さく」で数えます。
さらに刺身などにする、ひと口大に切り分けたものは、「切れ」で数えます。

とあります。

ではNHK放送文化研究所 発行の
「魚の数え方」【ブリ】を例にとると、
◆頭から尾までそろっているものなら、「匹」や「本」が一般的です。場合によっては、「尾(び)」でもよいでしょう。(切り身なら、「枚」です。)

◆もっと詳しい解説もある。
市場から、ブリが丸ごと売られている様子を伝えるのであれば、「1匹、2匹・・・」と数えるのが一般的です。頭から尾まで魚の形が前部そろっている場合は、「1本、2本・・・」も使われます。(もちろん、切り身であれば「1枚、2枚・・・」となります。)

魚の数え方にはいろいろありますが、最も一般的なのは「匹」で、これは魚が生きていても水揚げされたあとでも使います。
魚が水揚げされて食材として扱われると、その形や性質によって、さまざまな数え方が現れます。ブリやサンマ、カツオ、マグロなど見た目が比較的細長い魚には「本」、ヒラメやカレイなど形が平らな魚には「枚」が使われます。
「1尾、2尾・・・」という数え方は、『数え方辞典』(小学館)には、「主として、釣りの獲物や、鮮魚店等で商品として取引される魚、料理の材料となる魚を『尾』で数える」とあり、高級魚や料理の材料として伝えるときに主に使われます。
また、同じ魚でも、調理法によって数え方が変わるものもあります。アジなど干物にする魚は、もともとは「匹」で数えますが、干物になると「枚」になります。ウナギは、もともとは「匹」や「本」ですが、開いて串に刺せば「串」、蒲焼きは「枚」で数えます。マグロも、丸ごとの状態では「匹」や「本」ですが、解体されていくに従って、「1丁、2丁・・・」(頭と背骨を落とした半身)、「1冊(ひとさく)、2冊(ふたさく)・・・」(短冊状に切り分けたもの)、「1切れ、2切れ・・・」(刺身など)となります。ほかに、サヨリやシラウオなどの細い魚を数える「条(じょう)」や、古くは大きな魚を数える「喉(こん)」(大きな魚を運ぶとき、魚の喉に縄を通して運んだことから)など、日本語には魚を数える助数詞が実にたくさんありますが、一般的には使われなくなったものもあります。
放送では、その魚の状態や形状、調理法、伝える場面や文脈などを考えて、よりふさわしく、わかりやすい数え方を選択するとよいでしょう。

ふ~ん。
こりゃ、日本語は複雑です。

余談
介護の現場で、外国人の応援を求めている昨今。
医療関連の言葉もえらく複雑、日本人でも読めない文字がある。
資格取得のテストに頓挫する人が多いと聞く。

もっと平たくして日常言葉にする施策があればなと思う。
何か問題が起きるのかな?

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御嶽山 頂上へ

10月3日
ぐっすり眠りさわやかな目覚め。
午前5時半
北アルプスの槍と吊尾根が見える

八が岳方面に朝焼け

この小屋の素晴らしさは
この立地条件が最高だということ。

オーナーも『一目ぼれで決めました!』
朝食を頂き7時半に「来年の夏の再会を」とお別れしました。

いよいよ頂上へ向かう。
4年前に噴火し多くの犠牲者を出し、いまだ発見されない方も。
胸がキューンと締め付けられます。

登りきると慰霊碑があり、さらに

最後の長い階段は前半40段 後半39段(たぶん)。
映像で見ていた様子と全く違います。
被災されたご遺族の皆さまには、登山経験のない方もいらっしゃるはず。
九合目まででも相当大変です。
さらに頂上までのこの長い階段。
頂上まで行ける日を待ちわびながら、体を鍛えておられたのだと想像できます。

壊れた建物の屋根のトタンが風にたたかれカタンカタンと響き、もの悲しい音がする。

祭壇の前の広場に、山伏さんによるご供養の儀式が始まりました。

偶然に立ち会え厳粛に拝見しました。
青空に居並ぶ祭壇の仏像の中には、頭がない像も何体かあります。

祭壇の右手にある釣鐘は傷んではいるが立っている。

ロープが張られて火口側はみえません。ここの向こう側で噴火が発生し、

灰が積もったままの池に繋がります。

お参りを終え慰霊碑の隣にあるシェルターにも入ってみました。

3基あり、1基に30人が収容できる設計ですが、狭いです。立って時をやり過すことになりますね。

ステンレス製の上下に開閉する椅子が奥行いっぱい、幅40㎝ほどので2本あります。
信仰の山なので高齢の登山者によく会いました。その対策でしょうか?
写真左の壁が噴火口側です。

1時間ほど滞在して下りました。
ナナカマドでしょうか、いい色に染まっています。

8合目の小屋でゆっくり休憩し、ロープウエイ乗り場へと下りました。

来年7月1日が小屋開きのようなので、もう一度登れるといいな。
今年は今日8日が小屋じまい。
二ノ池ヒュッテの元気なおかみさんにまた会いたいです。
息子と同年代の若い方ですが・・・

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御嶽山 二の池ヒュッテへ

10月2日は晴天に恵まれラッキーでした。
エッコラヨッコラ 今夜の宿ヒュッテへの分岐点へ。

やや下り
さらに道なりに下った左側に灰色の池が広がります。
左に見えるのが御嶽山の頂上。

この池はどこへも注がないため、厚く積もった灰が残るこの状態のまま時を経てゆくという。

途中の通路脇にある石

人が二人寄り添っているように見える。

分岐点から10分ほどで二の池ヒュッテに到着。
正面に飛び込んでくる看板は、オーナー高岡さんのご友人作だそうです。

リュックを降ろす。
部屋は個室です。私は若い女性と相部屋でした。
ご夫婦も個室、友人同士でも2人部屋と4人部屋のようでした。
館内の様子は撮影しなかったので、↓こちらの紹介記事をお借りします。
小林千穂さんの「山でわくわく」

降ろす荷物があり、夕方ヘリが降りてくる予定だということで待機してました。

おつかれさまー

小屋のシンボル

この方向は遠くに白山が見える側
夕景

キッチンの入り口上にタルチョ(チベットの祈祷旗)がかかり、嬉しくなりました。

宿泊者は、丸テーブルの豆炭こたつに足を入れ、それぞれの山談義に花が咲いていました。
私のテーブルは7名(男性5名女性2名)
日本百名山を踏破された方と奥方、退職後から登山に目覚めずいぶん大きな山行も、
山口県からの青年も。

夕食には、ヘリの方から頂いたとマツタケが少し入ったごはんでした。

〇〇小屋のトイレには『九条を守れ!』の張り紙が・・・・
◆◆山のトイレには『幽霊が出る』、これは結構有名な話だとか・・・・

いつも夜中に1度トイレに立つ私は、朝までぐっすり寝られたのは幸いだった。
もう一方のテーブルにはたしか6名(女性1名)だったと思う。
ちょっと難しそうな『コンパス~~』が耳に入り、私にはさっぱり。

私には山の武勇談がないので、ラダックのトレキング経験を紹介した。

大きな岩や湿った木の階段などではストックは使えない状況だったので、持参せずによかった。
時々岩を支えた右手に負担はかかったが、腱鞘炎には影響なく無事に山小屋まで来れた。

明日はいよいよ登頂だーーーー