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そば雑炊

今朝は一段と冷え、朝一番暖房いれました。とほほです

初めて食体験した「そば雑炊」
蕎麦どころ信州ならではのメニューだ。が探せばあるのかもしれないけど他店では見かけない。

穂高駅前ひつじ屋の水曜蕎麦屋さん「ふじもり」
汁椀よりやや大ぶりの器に、蕎麦の実と野菜たっぷり鶏肉少々のだし味(ふじもりでは基本的には肉・卵・牛乳を使わない)です。
いけますねぇ。
店主は”ざるそば+そば雑炊”をねらっているようです。
そばも勿論おいしいですよ。
そば雑炊が定番メニューになるのかどうか心配だ

蕎麦の実は、一般にスーパーや道の駅では入手できない。のが悔しい!
商品名「田んぼの宝石」古代末広米とレンゲ米と乾燥貝柱で試してみたけど、風味が違いました。
次回は古代米を増やしてみようかな?そばとは違うが新しい風味を発見できるかも

そば雑炊に「これをどうぞ」と八味とうがらしがやってきた
材料は七つだから七味とうがらしでいいのに、素材と製法のこだわり心意気が一味加わるから—八味とうがらし—だと勝手に解釈している
生産者は諏訪市の岩波金太郎さん
その他ハチミツ・炭焼き・地ビールも、そのこだわり様はハンパじゃありません。
味はやはりう~~~~~~んと唸る
七味とうがらしは「八幡屋礒五郎」で大満足だったんだけどなぁ

でもってネット注文すると翌日到着しました

  
クラシックな竹の入れ物も手作りらしい。センはどうしたか?って
心配しないで、筒の中にありました

おまけ
当ブログで実験営業についてふじもりさん紹介しました。
食器のセンス良さもひと味プラスです

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つばくら

冷えてきた。午前10時半の外気温15℃

7月24日に書き、アップをしていなかったお蔵入り記事を見つけた
今さらだが、燕岳登山後記として復活させることにします

「いつの頃までか、燕岳は”つばくら”と呼ばれていた」と常念登山でお世話になった山岳ガイドFさんから聞きました。
山小屋の前から眺めると山の形が燕が羽を広げているように見えるのが由来だということです

  10月6日撮影の画像
そりゃ見に行かねばならねぇ、といよいよ初志の燕岳へ——-いざ!

ということで10月6~7日で初志貫徹とあいなりました
いつも近所から眺める有明山の後ろに燕岳があったんです
だからもっと南の豊科や松本方面から斜めに眺めないと頂上は見えない。

山容はこの写真↑で見ると
左半分が”北アルプス表銀座”と呼ばれる燕岳~大天井岳~常念岳へと続く稜線
右端は有明山、その左の前山のぐ~んと後ろに燕岳がある

そうか、燕岳に登りたいと眺めていた山々は、正確にいえば北アルプス表銀座コースの一部だったのか。
表銀座があるなら裏銀座もあろうよと調べると、あった。
しかし縦走距離が長い。槍ヶ岳を含めて上高地側の穂高岳~大町の七倉・高瀬だから、4泊5日くらいの縦走のようだ。全く手が出ない・・・

う~ん表銀座なら、来年大阪の友人と縦走できるかもしれない
表銀座コースの常念岳から蝶ヶ岳へ足を伸ばすと”パノラマコース”というのもあるらしい
360度どこもかしこもパノラマコースだと思うけど・・・

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いよっ燕岳!バンザ~イ(2)

うぅ~、いやはや筋肉痛は・・・・

10月6日の私の夕食は午後4時30分の指定だ。
大勢の登山客の交通整理にはこれが一番。1回45分の所要時間を4コースに設定されている。因みに朝食は縦走組や下山組と出発時間が千差万別なので、4時45分から4コースを早いもの勝ち選択。
左:夕食  右:朝食

1テーブル8人で、ご飯と味噌汁はお代わりたっぷり!充実の食事には朝夕ともデザートつきである。
1泊2食9000円。食事なしは5600円、屋外で自炊し、部屋で寝る

オーナーは語る
■ゴミは必ず持ち帰ること
  生ゴミを残さないこと。鼠がでて、鼠を狙う狐がきて、ライチョウを襲う
■登山ルートをはずれて歩行しないこと。雨が降ると雨水の流れが地形に影響する
■登山道では登り優先がルール

おっと・・・夕食と朝食の間に落日と日の出鑑賞だ

  5時30分落日

  5時32分残照

イイ男2名
左:驚くほどの荷物をかついで来た人はカメラマン。装備からみてプロでしょう
すぐそばで「稜線のすぐ上の色の変化を見逃さないように」とアドバイスをくれたが、出来栄えはぱっとしなかった
右:頂上で話をしたテント組の彼は、熱いおでんの湯気を撮影している様子

一夜明け、3時半ころにはざわざわし始める。縦走組の準備開始だ。
また一眠りし目覚めると、結露の窓ガラス越しにかすかに朝やけが
すわっ出遅れた—————-か?!

左:5時30分  右:富士山も見えたぞう

早起きさせられた傍らの小学生男子が「なんで朝日なんか珍しいねん」とつぶやく・・・
それを言っちゃあおしまいぞ


2007年10月7日午前5時55分 わが有明山のはるか彼方に朝日が昇る

7時に燕山荘を出発。下山は登りと違い人の流れがランダムだ。
マイペースで下っていたら登山口への到着は11時になった。参考タイム3時間を1時間もオーバーだった。
やれやれ

左:おおきに燕山荘   右:朝日を受ける燕岳

見ず知らずのベテランクライマーから
「初めての登頂でこんな上天気に恵まれるなんて、あんたはほんまに幸運やねぇ」と

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いよっ燕岳!バンザ~イ(1)

念願の燕岳にエイヤッと登った
天気予報では6日~7日が決行日だ


12時20分到着直後の燕岳を、燕山荘前から

電話で燕山荘に聞いた
「一人だし初めてなんですが、どうでしょう?山荘ではツアアレンジはありませんか?」
「いいえ、初心者向きコースですから、一人でも充分大丈夫です。朝6時で出発してください」
中房温泉登山口には溢れんばかりの人人人・・・
登山記録を記入して、いざ6時10分にスタート。ゆっくりゆっくりマイペース

スタート地点は1462メートル

木立をぬけ、2200メートル富士見ベンチではかすかに富士山の右に流れる稜線が見えた
わが有明山(2268メートル)の裏側を見上げながら登ってきたが、ここらあたりで頂上と同じ目線になる
はるか下に、安曇野の稲刈りの済んだ田が黄色く見える

ここまで来るとやっと紅葉も

常念岳も連なる稜線や槍ガ岳のてっぺんもひょっこり

左:あと1段で燕山荘・・・・・この景色が飛び込んできた
右:目を移すと槍が岳も”さぁ、どうだ!”  
無事12時20分到着。6時間10分のゆっくりペースだった

荷物を置き、頂上を目指す。石のオブジェは自然石とは思えない神の創造物だ

往復1時間、頂上滞在30分。
ハイマツを抜け砂礫を登った頂上では、ベテラン達があれは鹿島槍、手前は餓鬼岳・乗鞍・カサダケ、○○・△△・□□と次々名をあげ盛り上がっている

  2763メートル

山男達は「こんな素晴らしいオブジェを見せる山は、日本でもここだけや」と満足げ。
20年ぶりに来た年配男性は、建物は綺麗になったけど、スタッフの対応が以前とちっとも変わらないと嬉しそうに話す。北アルプスの山小屋はどこも素晴らしいとも・・・

午後3時半ころには雲上がる


あとは夕食と落日を待つばかり

昨夜から雨になった。筋肉痛にうめきながらも好天だった山行に感謝である

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インド・スジャータ村

スジャータをご存知ですね。そうコーヒーに注ぐあのミルク。
そのメーカーのHPでは、このように説明しています。
『めいらくグループは、1976年にスジャータの発売を開始しました。
「スジャータ」という名称は、長期間の修行に疲れ休息していたお釈迦さまに乳粥を差し上げた、というインドの娘の名前「スジャータ」からつけました』

9月3日~4日連れの婦人と、ブッダガヤ~スジャータ村を訪ねた。
滞在先から車で5時間、のはずが道路工事中やトラックお横転事故やらで、6時間半を要した。

左:遠くに列車が走る田園風景
右:ブッダ・ガヤ(現地ではボーダ・ガヤ)の入口到着

滞在先の日本寺住職の紹介なので、ドライバーもその助手もホテルも安心安全だった。
ブッダ・ガヤは仏陀が悟りを開いた地、旧オーム真理教で有名になったマハーボディ寺院のあるところです。勿論初めて。

左:境内には成道の時に仏陀が座っていたという金剛宝座や大木菩提樹があり
右:アジアからの巡礼団が、熱心に祈りを捧げています

左:夜の菩提樹(仏陀の時代から4代目)  
右:早朝のマハボディ大塔内で若い僧が金色の仏像を磨いていた

寺院付近には日本寺、中国寺、チベット寺、タイ寺など仏教国の寺が点在しています。仏教の大聖地です。特別信仰心が強いわけではありませんが、もう一度来ることはないだろうこの地を踏んでおいてよかったとは思いました。

左:ご飯がてんこ盛りの遅いランチを終え(4人分で487ルピー=1400円くらい)ホテルへ
右:ミネラルウォーターを買うときはキャップに注意。混ぜ物水や再利用容器があるから

大塔から車で15分のスジャータ村に向かう。ミーハーだが、ここには大浴場を持つホテルがあるという。
”ホテル スジャータ”
日本人観光客が多いのでと、10人は浸かれる大理石浴場を6年前に改装したそうです。1泊2400ルピー(7200円)から。レストランも立派でした
当日の湯沸しはないとのことで宿泊はしなかったが、見学だけはしなきゃ・・・・
左:レセプション
右:男女別の浴室入口”お~ふろ”

大理石の浴槽とイス、洗面器  日帰り入浴システムはない

その後一人の中年男性がスジャータ村を案内するよ、と近づいてきた。ホテル内1階にある現地旅行社のスタッフらしい。彼は仏教徒だという。下層カーストから抜け出すために、改宗したのだ。今は幸せと胸をはった。

  遠くに仏陀が苦行した洞窟がある山とネーランダー川

スジャータを祀る寺

左:乳かゆを差し出す娘スジャータ(黄色の壊れた木象)
右:長い苦行で川を渡ってきた後、この井戸に伸びた髪を切手捨てたと伝えられている
らしいが、本当かどうか? 数人の男が寄ってきて、清掃など維持管理に寄付をせよと迫る

観光ツアでは行かない奥まで案内してくれたが、その夜の大塔見学には現れるし、翌朝の再訪時にもどこからともなく現れる。喜捨やリベートを要求しない人だったが、何故私の行動を先まわりするのか、後で少々気味が悪かった。
スジャータ村にはかつて日本人が学校を建設したり、日本語学校の看板などが見えるが、現地の若者や子供が寄付を要求してくる。どうも当時のボランティア団体などは、今存在しないようだ。帰国後、元関係者をNet検索したが見当たらなかった。

夕刻、頼まれたお土産を探しに露店をうろつく
菩提樹の葉10枚入りパックを10個、が指示された商品だが見つからない。
店のオヤジさんは、指定品を取ってくるから待ってて!とどこかへ消え、大きな袋を提げて戻ってきた。
だが菩提樹の葉50枚(数えたら48枚)入りパッケージだったので断る。
依頼品にはならない、と談判している横からスーと手が伸びてきて「これだろ?」の表情。

 
10日間くらい水に漬けて葉脈だけにし、乾燥させたものがこれ!

本命現る!とばかり値段交渉に入ると露天のオヤジが、烈火の如く喚いた。
たぶん「俺の客を横取りするな!」だ
しかし本命は本命。我らは新登場のおじさんと交渉開始するが、黒山の人だかりとなってしまった。結局本命菩提樹を10枚入り10ルピーを10個無事ゲットできた

怒りおさまらないオヤジの店で、不要だが48枚入りの菩提樹の葉と絵葉書を買う。
解決後、別の男性が”沈静化を計るべく割って入って終了させた”と自店の土産物屋へ誘導しようとする。
ったく、頼んだ覚えはないぞ。
この時期観光客がすくないので目立つし、争奪戦になる。

往復の道路には派手なトラックや路線バスが行き来する。渋滞で大行列だ
帰路やっと辿り着いたバラナシのレストラン「アンナプルナ」で食事していると、オーナーがおごそかに近づき、丁寧な言葉で
「日本のガイドブックはお持ちではありませんか?」
用件は直感でわかった。『私のレストランは紹介されているか?』
残念ながら持ち合わせはない

4人で600ルピー(約1800円)の豪華食事でガヤの旅を終えた

おまけ
時間に余裕ある方はサールナート滞在記をご笑覧ください

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「妹兄の家田戸」

第3回ひつじ屋シネマサロン」(DVD上映)9月28日は小津安二郎監督作品「戸田家の兄妹」
昭和16年、日本の軍部による真珠湾攻撃があり、太平洋戦争に突入した年の作品である

  実はこの案内ハガキのデザイン好きです
回を重ねるごとに観客数が増え、会場はやや狭くなってきた。
さらに若い観客が増加しているようにみえる

上流家庭の没落と家族の崩壊がテーマ。
現代にも通じる、邪魔者には社会の隅っこに移動してもらう・・・・

河崎義祐さんの解説から
聞き取りにくい音声と画面は雨降り状態でも、この映画を観る機会は非常に少なく価値があること。
あの名監督と言われる小津安二郎が、7~8人編成で制作していたB級C級映画から脱却し、スターオンパレードの初ヒットした作品であること
独身を通した人だが、昭和初期にはすでに家族の崩壊を予告していたという。
撮影方法はローアングルでフィックス(動きのすくない固定した様子)が特徴である

私は内容よりも調度品、とりわけいくつか登場するランプシェードに目を奪われた。
鑑賞後河崎さんに伺うと、小津さんはことのほか照明器具にはこだわった方だったということで、なんてことはないけど嬉しかった

第4回は10月26日(金) 溝口健二監督「西鶴一代女」
座席を少し詰めれば、まだひつじ屋さんの3階で開催できそうですよ

■余談
こんな蓼科高原映画祭があります。
小津安二郎さんが、友人の別荘があった蓼科をこよなく愛し、何度も通って映画の構想をねったり脚本を執筆していたという

■付録
安曇野にある「ちひろ美術館」でも、新企画いわさきちひろが愛した映画の上映(DVD)がありあます。入館料のみで鑑賞できます。
詳細は下記Webへ
ちひろ美術館・イベント

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秋の収穫

久しぶりに郵便局まで投函がてら散歩する。日中の気温は高いが秋の香りがする
左:わが有明山は今日もご機嫌!だが、先日の雨台風で稲穂が倒れている
右:田圃にブルーシートはやっぱり似合わない

雲はすっかり秋模様

 ヒガンバナは「さぁ、咲くぞ」とはじけてる

帰り道々、秋の収穫は栗。道路に落下しているものは頂いてもいい・・・・よね?

今年、信州では”マツタケ”は不作と報じていた。
しかし栗やどんぐりは豊作ではないかと予感している。我が家の庭も近所のブナの木も、とにかくどんぐりの落下数が凄いのだ。先日の台風の影響もあるかもしれないが、こちらに来て初めての経験だ。
山のどんぐりが豊作なら熊も幸せだし、出没被害も減るのではないか?と睨んでいる。
軽井沢の「ピッキオ」に聞いてみると、地域によるが木の実の豊作は感じているという答えだった。

  ”YAMADA電気”穂高店駐車場にて

余談
栗の右隣は山ぶどう。収穫にはまだ早すぎた。粒が直径1センチくらいになり、葉が紅葉すれば食べごろになるらしい

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Indian Collor(インド色)

便利で丈夫なブルーシートは、災害時や事件現場の覆いにと大活躍です。しかもほかの色の物より安価だと聞いています。
安曇野の今頃は、田圃の”はぜかけ”に掛けられており、違和感がありました。しかし今年は少し様子が違い、透明や淡いベージュ色のほうが多いのです。まさか昨年、私がブログでブルーシートは田園に似合わないなんて書いたから・・・なんてことはないが、景観に配慮しようという気運が育ちつつあるのであれば嬉しい。
山も空も雲も川も稲穂も蕎麦の花も、コスモスの揺れる景色にもどうもブルーシートは邪魔なんです。

では、まだまだ続くしつこいインド旅行印象記
インドにもブルーシートはあるのか?あまり目にとまらない。
そこであちこち移動する道すがら探ってみたら。。。
訪問したお寺の通りで、ある家の塀に直接商品や銘柄をペイントしていた。
この手法はあちこちで採用されており、たしかに広告用の材木は不要だ。
自転車、脚立、ペイントの白と赤と刷毛だけ。
そしてこのメーカーは躍進目覚しいのか、あちらこちらで広告を見かけた

道路沿いを乗用車から撮影

列車の窓から

これらの黄色は香辛料のターメリック色

黄色はヒンドゥ教徒にとって最高におめでたい吉祥の色だそうです。カレー粉の黄色はこのターメリックがあるから。ターメリックはショウガ科ウコン属の香辛料で、日本では黄色の染料や漢方薬の「ウコン」の名でも知られている。気にもしていなかったが、新聞の広告欄に「ウコン」の文字が踊っていることがある。たいてい健康に関する記事だったと思う。探す時は見つからない。今度見かけたら読んでみよう
夕食はターメリック、にんにく、しょうが、レモン汁を使った魚料理にしようっと。

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DELHI METROに乗って

思い出話ばかりですみません
8月31日は成田からJAL直行便14:40発でデリーへ

 7時間40分(通常は8時間)で到着した
主目的は資金・物資の運搬なので、当然荷物は多く安全の確保が第一。
準備段階からネット検索のゴニ・トラベルにお世話になった。
デリーでのホテル宿泊と送迎タクシー・国内線(デリー⇒バラナシ)チケット・バラナシ駅からデリー駅への鉄道チケットの手配を依頼しました。超多忙を極めていた時期だったので、きめ細かい対応に感謝でした。

さて
デリーにはメトロが走っていました。沿線には大きなビルも建ち始めています
8年前は、まだ工事がはじまるよ~段階だったので興味深々。その頃はまだエスカレーターに乗るサリー婦人の恐る恐るの顔つきに苦笑したものでした。
メトロ駅周辺は序々に整備されているようで、ビジネスマン向けらしいホテルが建つ

ポスト前は、上のメトロに並行した道路で、やっぱりオートリクシャやタクシー・乗用車・自転車がホーンを鳴らしながら、ひしめき合って走る

左:駅周辺は大型マーケットなど開発著しい 右:遠くのマンション建設ラッシュ現場

転じて駅の階段屋根に目をやると、ボコボコのトタン板はいかにもインドらしい

ホームの注意書き掲示板には、日本にはもうないマークが・・・・
そうです、街では平気でごみを投げ捨てる、タンを吐く、刻みタバコを吐き捨てる。

車内には、MITSUBISHIとの合弁事業を示す銘板がありました。

乗り方は、窓口で行き先を告げてトークン(プラスティックのコイン)を購入し、SUIKAのように読み取らせてバーを開閉し、降車駅で回収される。紙キップでなくトークンは使いまわしだから、環境には配慮しているのだ。
軍のお姉さんが駅にいて、写真は撮っちゃダメという。なんでこんなところをダメというのか?・・・。あごをしゃくって、とにかくエバっているのだ
デリーを中心に東西南北に走り、地下部分の距離は少ない高架線です。
コンノートプレイスは様変わりしていました。
ニューデリー駅までゆくと鉄道駅とメイン・バザールにつながっています
車内の女性は殆どがサリー以外のTシャツやブラウスにジーパンが多かった。
都会の若者のサリー離れは、確実に進んででいると思いました
2010年8月にはニューデリーとAirport Expressがリンクする予定だから、タクシーの運ちゃんと値段交渉しなくても、デリーへ出られるんだ。
やれやれ嬉しか~

付録
ゴニ・トラベルのオーナー、セナ氏は日本にもたびたび来ておられて、友人も多いという。
滞在最終日にホテルで会食しました。
実はガイドからの転進組の成功者で「地球の歩き方」でも超有名人だそうです。
全く知らずにあれこれワガママを聞いていただき、大変誠実な方でした

おまけ
今回は同行者がおり、またパキスタンへも立ち寄るというので、携帯電話の海外ローミングを初体験しました。インドからパキスタンへ移動しても自動的に接続会社へジャンプします。凄いですね。
しか~し、請求書がきたら青くなること必至。とほほ

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メイン・バザールは今でも燃えている

IT大国や、経済発展目覚しいといっても、それは限られた層の話。
庶民の日常は変わっていない、特に田舎ではノンビリと時間が進みます
左:サイクルリクシャ   右:物資を運ぶ婦人(いずれもサールナートにて)

さすがに繁華街の闊歩牛は減っていました

観光客相手の喜捨要求も旺盛だった。真夏の観光客、それも主力カモである日本人が少ないので狙われやすい。すり抜けながらの撮影でした。立ち止まると手が目の前に・・・
さてデリーの一番面白いスポットはなんといってもメイン・バザール。
今も変わらぬ賑やかさだ。外国人老ヒッピーもお愛嬌だった。若い頃の衣裳そのままだが白髪なびかせ、おまけに老カップルという人も・・・・
ヒッピーと言ってどの世代までがわかるのだろうか?
では、はっちゃかめっちゃかな雑踏風景から
左:鉄道デリ-駅前からバザールは始まるが、横断に一苦労。インド人に続いてすり抜け渡る
右:神様グッズの旗がひらめく。寛大なインド人ならでは

左:道幅6メートルに乗用車、営業車、オートリクシャ、写真のサイクルリクシャがひしめく
右:1本脇道なら喧騒は少ない

左:今でも写真撮ってくれとせがまれる。彼は清掃の仕事をしていると茶髪で笑う。
すぐ見せてとせがむのは、すでにデジカメは承知。昔ならポラロイドカメラだった
右:同じように若者向け衣服ショップの店員にせがまれるが、彼はe-mailで送ってと名刺を出す
やっぱり返信がきた。日本の山や街の写真を送れと言ってくる。そのうち日本で働きたいと言ってくる。引き時を・・・・

左:埃も一緒に混ぜて売るスナック菓子屋
右:2階から笑顔がこちらを見ている。1階は生地と洋服の店舗、2階は縫製室。しかし昼間なのに暗い

バザールの中間あたりのスパイス屋
オヤジさんがここで調合する有名な店。言葉が通じなくなると近くの息子の店を紹介する。息子は、配合説明や使用法を簡潔に日本語でしたためたボードを差し出し、英語と日本語で対応する
観光客プライスの店だからインド人客は当然いない

こんなこともあった
若い女性と行き違った。夕食を一緒にと話がまとまり入りかけた店の前で「あらっ、ひょっとしてどこかで逢った人!」
一人旅をしているとよくある話で、彼とはラオスであったことが判明。再会を祝し合流して「Chat House&Sonu」で会食した。
従業員氏”むちゃくちゃ旨いよ”と呼び込む。
私「”むっちゃ旨いよ”の方がウケるよ」
次に通りかかったら早速採用していました
左:若者は先進国でワーキングホリデーのあと、半年アジア各地を放浪しているって
右:むちゃくちゃ美味しい店のパンケーキはクレープで、散々待ってやっとき来たのはバナナのカットが転がっていた

おかまさんにも挨拶された
さすがに写真は遠慮したが、私の被った白い大きな帽子(日本のバーゲン品)がステキと肩を叩く。どこの国にもいるが、まだまだ化粧にセンスがみられないのが残念だ。
店は多少こぎれいになったが、ゴミは散らかっており、通行者がいても平気でほうきで掃いているか、ばら撒く。店先で扇風機用の発電機をブンブンかけるので、熱風にさらされる。
雑多な街は今でもメラメラ燃えていた

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