Posted in

老母の誕生日プレゼント

いまだ面会制御中

25日で98歳に、安曇野へ移住して8年になる。本人も私もこれほど長くなるとは予想していなかった。それじゃぁ何年までだったの?と言われても困るけど。

毎年孫からお花を頂いているが、部屋の暖房で傷みが早く後始末も手間がかかり、今は私が入室不可ため大好物の和菓子を指定。創業200年以上の京都/鶴屋吉信さんです。

「プレゼントの柚餅を送りますが到着が遅れそうです」と連絡が来た。

「本と室内履きを用意しているので、タイムラグで2度美味しい!」と返信しておいた。

きっとバレバレで私の分も来るに違いない。嬉しいな

 

Posted in

老母のコロナ禍中

外出できない寂しさを味わっている母。前回の面会日にはお寿司が食べたいと嘆いていた母。収束の目途なしのいま、もう少し我慢だよとも言えない辛さ。

それどころか再び面会禁止となり可哀そうです。だって2月下旬には98歳。先を思えば、今は元気と言えどもチャンスはかなり下がる。

ホームのスタッフさんのご苦労と協力には感謝の日々です。母には部屋で支払った領収書の管理させているので、昨日おやつの時間に持参してくるよう伝言を依頼しました。母が見つけられずスタッフさんへ以前からの保管場所を告げ、入手できました。記憶力⤵か?

玄関の中入り口のガラス越しにロビーで待機する母を撮影。

散髪もままならず、ヤマンバの趣に。

数日前には最新号の「週刊現代」をリクエストされた。コンビニで購入し私からのメモを挟みスタッフに預けました。

『お茶でコロナが消える』-奈良県立医大の論文の中身- この記事が読みたかったのかな? 毎日欠かさずお抹茶と緑茶を飲んでいる母としては、確信の情報が欲しかったのかもしれない。

私なら『藤 圭子と高倉 健がいた時代

私からのメモには ”〇〇子も読みたいので捨てないで” と。

 

Posted in

老人ホームのご苦労

終わりかけのクリスマスローズ。うなだれているので寂しい。

老人ホームに限らず、どちら様も大変な昨今です。

 

お世話になっている母のホームは、もちろん出入り禁止です。

スタッフさんたちはかなり緊張してお世話してくださっていると思う。感謝&感謝です。

あれこれ部屋での生活資材は消耗加減を見ながら部屋へ届け、ついでにおやつしたり談話していました。97歳の母にすれば不甲斐ない娘でも気休めになっているだろうに。

現在は窓口で預かっていただき部屋へ運んで頂いてます。部屋は狭くなるが、予備量を増やしてストックすることにしました。いつも気軽に対応してくださるので、申し訳ないなぁ。

桜の花がほころぶ頃には外出できることを願っています。

移住前は退院後も大阪にいたいと言っていた母ですが、この事態ではつくづく呼び寄せてよかったと安堵の日々です。

Posted in

長寿

2020年2月25日は老母の97歳の誕生日。

終戦前後の東京での混乱を超えよくぞここまで・・・・

 

長寿のお祝いは (サイトから拝借)

 

こんなもんじゃありません

『ウィキペディア(Wikipedia)』の記事では

  • 60歳 還暦(かんれき)、華甲(かこう)
  • 70歳 古希(こき)
  • 77歳 喜寿(きじゅ)
  • 80歳 傘寿(さんじゅ)
  • 81歳 半寿(はんじゅ)
  • 88歳 米寿(べいじゅ)
  • 90歳 卒寿(そつじゅ)
  • 99歳 白寿(はくじゅ)
  • 100歳 百寿(ひゃくじゅ・ももじゅ)、紀寿(きじゅ)
  • 108歳 茶寿(ちゃじゅ)、不枠(ふわく)
  • 111歳 皇寿(こうじゅ)、川寿(せんじゅ)
  • 119歳 頑寿(がんじゅ)
  • 120歳 大還暦(だいかんれき)、昔寿(せきじゅ)
  • 250歳 天寿(てんじゅ)  

出典は分かりませんでした。

さらにこのような表現もありました。

100歳以上は百寿者はセンテナリアン   ひょとして可能性も? 

110歳以上はスーパーセンテナリアン   ここまではちょっと・・・・ご勘弁を。

狭いながらも楽しいホームの自室にて、昨年末のお茶のお稽古写真です

ソファはあるが、この雑然としたベッドサイドがお気に入り。

2022年には白寿。99歳のお祝いです。白いセーターを贈ろうかな?

白寿の名称の由来は、漢字の「百」から上部の「一」を取ると「白」になる。

最近では満年齢でお祝いする方が多いそうです。

 

 

 

 

Posted in

冬モードになりました

今朝は障子が白く明るかったので、きっと雪だ!

開けると1.5センチくらいの積雪でした。

母は2012年の11月に移住してきたので、8回目の冬を迎えることになる。
月日の経つ速さは私以上に感じていると思う。

先月下旬から腰痛に悩む彼女にとっては、移住前の大腿骨骨折での手術と
リハビリの辛さがよみがえったことだろう。

29日、車いすのまま乗車できる介護タクシーで穂高の大森整体院へ。
ベッドの高さを低くして頂いても施術態勢を取るのは難儀な様子。
帰りのタクシー内では「もう行かない」という。
1週間後にますます痛みが増したら、整体院なり整形外科へ行こうと約束した。

私の経験から整形外科へは勧められない。
1時間以上は当たり前に待つ。
レントゲン撮影と飲み薬をもらう。
貼り薬はかぶれるからと小さいウソをつき、支払いにまた待つ。

結局和らいできたようだ。
昨日ベッドから、柵を握りながら自身で起き上がり室内履きに足を入れようとする。

それ!機会到来
普段使用の愛車 シルバーカーを腰かけている膝あたり据え置く。
私は荷台に腰掛け重石になって「立ってみる?」
「やってみようか」と、のってきた。
ハンドルを握りエイヤッ!

出来ました。ブレーキも握れました。
「歩いてみようか」
1歩・・2歩目 今日はここまで。

セブンイレブンの”お湯を注ぐだけのおしるこ”を、美味しくいただきました。
めし茶碗に似る形に把手つきのコーヒーカップを持参。

冬には おしるこ・・・・大好きです

Posted in

いよいよか?

<
数年前の株が毎年咲くくたびれたシクラメン

まもなくの誕生日で96才になる母

つい最近の連夜、私の携帯に電話をかけてきた

1日目
午後9時20分ころ。いつもなら熟睡中の時間だ。
なんだ今頃
母「今かけてきた?」
私「いいえ、こんな時間にかけたりしないよ」

と、これだけ聞けばスムーズな会話である。
が、とんでもハップン会話が成立しないのです。

母「電池が切れているから充電していたら、電話が鳴ったから」
もちろん充電中に呼び鈴なんぞ聞こえない。
私、大きな声で「部屋へ行くから、早く寝て!切るよ」

2日目
翌日の午後8時、またしても母から電話
母「今部屋の外の、お墓の前の空き地に警察官がいっぱい来て、穴を掘ってる」
母の部屋は2階。たしかに20mくらい離れた先に小さな墓地があります。
私「そこは明るいの?様子が見えるの?」
母「大きな穴を掘ってる、お巡りさんがたくさんいる。きっと事件だよ」
私「わかった!明日新聞に載るかもしれないね。あした行くからね」

私が眠れなくなった。
ありえない!投光器が照らされるはずだから・・・
母はたしか耳は遠いが目は悪くない。

あっ、名古屋から出荷した豚から”豚コレラ”が長野県で発生した。
殺処分になったニュースが流れ、私もいたたまれなかった。
これだ!夢を見たんだろう。

しかし夢み心地で携帯電話をかけられるのかな?

いよいよ来たか!

翌朝重い気分で、しかし明るさを保ちホームへ向かった。
スタッフが『やっぱり来たね』の顔で迎える

案の定 朝食の時に話すが、周りの人たちは「知らない」
誰もばかにしなかったらしい。
みんな優しい仲間だ。

部屋を訪ねると同じ話をし出したが、私は優しくないので
「今朝の朝刊を読んだ?そんな大事件ならきっと地方版にでるわ」
「おかあさん、まだまだ認知症への道は遠いからね」と一蹴。

母はとぼけた顔で「お茶点てようか?」

あほかいな。

潮の満ち干のように時が流れてゆくのだろう。
お茶を点てようがお習字の時間を元気に過ごそうが
訪れる現実。

母は、『さよなら』と手を振りながら息を引き取るタイプだと想像はしているんだけど。

Posted in

95歳の夢


昨年育たなかった大根に花が出た

お蔭様で元気な母と、久しぶりに外食。
お寿司を頂きご機嫌で帰宅の車中での会話。
「夢を見たの」
「ほう、どんな?」
「車の運転をしている夢」
「な・な・なんと?」
いくら元気だってそれはまぁ・・・

自転車には小さい頃から娘時代まで乗っていた、という。初めて聞く話である。
だから自動車の運転もしてみたい、と思っていた。
そこで夢の話しにつながったようだ。

「じゃぁ運転するなら免許をとらんとね」
へんてこな話になってきた。
教習所に行きたいなどと口走ることはないだろうが、お腹を抱えて笑った。

認知症がらみの危険運転防止のための教習があるっていうのに・・・・

Posted in

さくら見物

先日、母のホームでは希望者たちがお出かけして桜まつりが開催された。
あいにくの天候だったので公民館でお弁当を頂き、スタッフによる余興があったと話す。

それなりに楽しかったのだろうが、消化不良気味で私と桜を観に行くこととなった。

車で入れて、なおかつ母がシルバカーを押して歩けるところとなると・・・・難しい。

「有明運動場公園」

小川があり、ロケーションバツグンだが歩行には厳しい。

結局
敷地三辺に立派な桜並木を持つ穂高南小学校を車内から観て、安曇野市中央図書館へ向かった。
館内のロビー一角にある「食事OKテーブル」にて持参のランチを。
帰路の前に庭内の桜並木を歩き、部屋にこもりがちな母の体を虫干しできた。

ホームに帰ると、迎えてくれたスタッフさん達に「あ~堪能したー」と報告していました。
観光地ではないので人混みは避けられるが、私は疲れたー。

Posted in

補聴器

2月25日が誕生日の母をつれ3人で外食
好物のお寿司でも食べ方が減ってきたようだ。

”聞こえ”が落ちた永年利用の補聴器をなんとかしよう・・・と何度か進言するが愛着があるようで。
そうだ!この機会だ

母も観念し、今は気軽でしかも安価に買えるからと納得し、
「メガネのナガタ穂高店」へ。

実は、過日マーケティングは済ませている。
相談に感触よい対応があった。
他の店ではとにかく買い替えを勧めるので、足が遠のいていたのだ。
ベテランらしき男性スタッフは実に丁寧に点検してくださり、
判明したのは
右は機能不良。耳と機器の隙間が出来て、型を取り直し再生にはそこそこの費用が掛かるとのこと。
左は丁寧に埃やごみを除き、聴診器のような器具で性能を確認。

結果
左耳のみ装着し、自身で聞こえるように顔を傾けるようにする。
施設のスタッフさん達さんにも周知して頂く。
慣れてきたら食堂の座席を左端から右側へ移動しましょうと、ケアマネさんからの提案も。

いいね! 
メガネのナガタさん ホームのスタッフさん ご協力ありがとう。
一番の功績は、高齢でも『聞く耳』を持ち私に協力してくれる頭の柔らかいかあさん。
ありがとね。
実は訪問日の、1.5~2時間でも疲れて帰宅してたんよ。

3月1日の介護認定審査日には、やや快適に話しが出来たようです。

性能が落ちた携帯電話のカメラにて

朝日がたっぷり入る自室。
この位置から手が届く範囲に、メモや筆記用具や輪ゴムなどが所せましと並ぶ。
工夫して生きている姿に感心する日々です。

Posted in

薬のやめどき

母も私の人生も風前の灯ではありません。

うっかり芯を折って短かくなっただけ!
Good Old Landさんのローソク

将来を見据えた医療制度のあり方が問われて久しい。

日本は世界一の医療制度(国民皆保険)を持つ国だといわれている。
その”負の遺産”というべき「薬大好き日本人」が形成されたようだ。

以前から母の受けている投薬について疑問をもっていたが、
今回思い切ってお世話になっている老人ホームの嘱託医に、減量の余地を相談した。

やめどきというより、ひとまず”減量どき”ってこと。

その理由1
4年前、大腿骨骨折の治療を受けた大阪の病院から安曇野市へ。
退院時に頂いた投薬リストを提出したところ、介護度3から要支援2に下がった今も同じ処方箋。
これはいかがなものか?
当時は初めての入院生活で不安もあったろうし、今後の生活はどうしようと
独居希望であれば眠れぬ夜もあったと思う。

その理由2
母の様子を週一のペースで見ているものにとって、私より元気な母に
睡眠薬や胃腸薬は必要かな~。

その理由3
医療制度に甘んじていては、子や孫の世代に遺恨を残す・・・
母も私も同じ考えだった。

母は昔から血圧で医療機関にかかったことはない、という。
便秘気味は気にかけていた。
ホームのスタッフも医師も「ほんのちょっぴりの分量ですから、害はありませんよ」
ほんのちょっぴり、その程度なら飲まなくてもいいのでは?

「やめて後、もし大きな変化が見られれば、すぐ走って相談に来ます」というわけで、
交渉成立。

削除は
胃腸薬錠・・・・・レバミピド錠100mg(「ムコスタ」という胃薬のジェネリック医薬品)
睡眠導入剤・・・トリアゾラム0.25mg
貧血薬錠・・・・クエン酸第一鉄Na錠50mg これはかなり少量になっているようだが。

残したのは
降圧薬2種・・・・カンデサルタン4mgとアムロジビン5mg
(なぜ2種類が必要なのか?次回の宿題)
便秘薬・・・・・ センノサイド12mg
別途、1錠/月のカルシュウム剤(骨粗鬆症予防とか)・・・・リカルボン50mg

かなり勇気のいる決断です。
「眠れないと心配するなら、昼間ゴロゴロ寝るのはやめて座って本を読んだら?」と進言。
訪ねると本や新聞を被った状態で眠っている姿がよくある。

「食べて寝っ転がっていれば運動不足でお通じにも良くないよ」
最近は食事やおやつ、トイレにレクリェーション(時々)参加とよく歩き(シルバーカー押して)
歩数は増えてきた。

前払いの薬代がまもなく終わり、減量となる暁にはどんな変化が出ることやら・・・・

私の責任は重いけど。