Posted in

南イタリア 遺跡「ギリシャ劇場」

シチリア島には、2つのギリシア劇場がある。いずれもシチリア島東部の海岸に近い丘の上にある
ひとつは東南部のシラクサにあるギリシア劇場。紀元前3世紀ごろ建造で直径約138メートルとシチリア島の中でも一番大きい。
客席は岩山を削り取って造られており、1万5000人を収容できる。今でも古代劇が上演されているという。

紀元前3世紀なら中国の統一国家建設頃?日本は弥生時代半ば頃?
う~ん

少し離れた地には古代ローマ3~4世紀の円形闘技場跡もあった

シラクサ宿泊のホテルから朝の散歩で見た遺跡
劇場かどうかはわからないが、こんな街中にごく自然に遺されている

もうひとつはタオルミナのギリシア劇場。紀元前8世紀に建造、直径109メートル収容数は1万人ほどかな。
大きさはシラクサに次いで2番目だが、客席から青い海とエトナ山を望む絶景スポットだ。
こちらも夏に野外バレーやオペラが上演され現役である。
当初は洋画の歴史物にでてくるような猛獣と人間の決闘などが催されていたが、後世演劇場として使われるようになったそうだ。

それにしてもでっかい!
タオルミナの劇場も底の部分、舞台の周りには通路があり、上演者が出入りする入り口もあり、すべて石造りのままのようだった。
座席は板貼りだったけど・・・・

世界史の本をパラパラと紐解く。
3~4世紀といえば、卑弥呼が活躍した頃
過日奈良県桜井市で纒向遺跡が発掘され、再び卑弥呼にスポットがあたっている。
宮殿らしきものも想像されるとテレビ報道が伝えていたので、歴史が楽しくなってくるではないか。

余談
アホみたいな駄洒落
むかしシラクサは「シャラクーサ」とよばれたことがあるらしい。
『しゃらくさ~い』(洒落臭い)とも聞こえる
—-分に似合わず、気の利いた風をする。生意気である—-
の意。おそまつ!

タオルミナのギリシャ劇場からかはるかに見えるエトナ山へ、前日の行程の最後に登ったので次回アップ予定に。

Posted in

南イタリア 「自転車いっぱい」

車・自転車・スクーターなどイタリア車はデザイン性が優れていると、人気があるそうだ。

いままで特別の興味はなかったが、現地では中国の自転車、インド・タイのオートバイほどの量ではないが、
街ではよく見かけた。ランダム羅列で一挙登場.

パレルモの古い街にて

この近辺で撮影のロゴだが、どの自転車かわからなくなった。
由緒あるメーカーのようだ

女性の自転車やスクーターやバイク姿をめっきり見かけない。乗用車を運転する人が増えたのか?
港町シラクサ、朝ホテル近辺の散歩に見かけた”くまのプーさん”シール。おやっ女性か、珍しい。
乗って行ったのは大男だった

遠くのマンションのような建物は、豪華客船。港町の古い石畳の自転車はやっぱり男性二人

路地にも大男。子ども用自転車に見える

釣に行くとき使っていたのか?錆び付いた自転車の車輪に、なぜか竹ひごが編みこんであった

遺跡入り口のレンタル自転車。日本でもこれくらいのカラーは欲しいところ

丘の街タオルミナでは、遺跡ギリシャ劇場へ向う同じ方向に自転車軍団が行く
極細タイヤはツーリング用?競輪用?

サドルの高さは私の胸あたり。とほほ

近づいてロゴを盗撮

これもツーリング用?

これはちょっと小ぶりでタイヤも太いから、通学用? 

印象としてタオルミナは、ヨーロッパからのリゾート客が多いだけにおしゃれな街だった。

Posted in

南イタリア 「車と船」

イタリアといえばFIATと縦列駐車・・・・はいかにも単純発想か!
うろうろ出来ないので、単一的な捉え方だなぁと認識はしている。
11年ぶりに見た街で、狭い道路でもRV車は走っているし、可愛いFIATも流行のデザインがある。

名物縦列駐車

そのためか?バンパーがゴムみたいにやや柔らかい素材の車があった

SUZUKIがんばる。ジムニー似?

SAMURAIのロゴがついていた。どこの国の車だろう?

TOYOTAやHONDA車が少ないのは変わりないが、HYUNDAI車(韓国製)が目立っていたように思う。

余談:
ホテルのテレビはSUMSUNG(韓国製)が多かった。

パレルモの街を走る観光バス。重厚なバロック建築とのミスマッチが素晴らしい

パトカーと女性警官。”ハーイ”ののりでカッコよくなごやかに観光客を見ていた。

いつも見かけるガソリンスタンドの6本足犬の社名ロゴ
コンセプトは4本足より『もっと早く走れるよ!』らしい

シチリア島からブーツのつま先への移動は、メッシーナ港からフェリーで。
船上から

船底には、2台の自転車搭載乗用車も出航をまっている

どこの街でもバイクと自転車は多かった

この航路には珍しい輸送方法がある。
鉄道駅から列車ごとフェリーに積んで運搬するシステムだ。
該当する列車はごく限られているので、うまく乗船する機会は旅人には滅多にない。
11年前、フィレンツェからの夜行列車でシチリア島入りした時も残念無念だった。
船底の列車を見学した記憶がある。

余談
世界にはこのシステムが3ケ所あると以前聞いたことがあるが、わかったのはこことドイツ・ハンブルクからフェーマルン島を経由し、デンマークへ抜けるフェリーで体験できるという。
いつか列車で海峡を渡ってみたいものだ

Posted in

南イタリア 遺跡「古代ローマの別荘」

アグリジェントの「神殿の谷」からシチリア島の東南シラクサへ向う日。
途中の内陸部にある地、ピアッツァ・アルメリーナ(モザイクの町)に立ち寄る。
そこには富豪の「古代ローマの別荘」が発掘・保存されている。

40室の部屋や床暖房を備えた浴場が備わっていたと言う

接客室や食事室の床を飾ったモザイク画(色の石を小さく砕いて貼り付ける手法)のあれこれを見学
モザイクは地元の石だけではなく、ギリシャやアフリカからも運ばれたという。

エンジ色が特に鮮やか

腕に掛けたマント風のストライプが斬新だと思う

ビキニ姿の女性が10人描かれた絵(10人の娘の間という)を剥ぐと、下にもモザイク画のあることが発見された(左上隅)
3~4世紀頃の館とされるが、なんとまぁモダンな絵心であることよ
ダンベルを持つ、ビーチボール?で遊ぶ、薄絹?のリアルティ・・・・
お見事!

小声で案内された、現在修復中のモザイク画

インドやイスラム圏のモザイクもすごいが、いやはや
想像するだに搾取の臭いも紛々ではある。

こちらは・・・かわいくお見事

Posted in

南イタリア 遺跡「神殿の谷」

シチリア島は地中海の要衝だったため、さまざまな文化をないまぜに林立している。

アラブ、ビザンチン、ノルマン、ギリシャ、ローマ帝国の繁栄と世界史をぐるぐる
思い出すが、あれやこれや盛りだくさん。
ガイドの女性はローマ在住の日本人。すらすら年代や遺跡群の説明をする。
仕事だから当然だけど、聞いているほうはそうそう覚えていない。

アグリジェントにある古代ギリシャの「神殿の谷」遺跡群
画像以外にもっとたくさんある。
ギリシャ人はなんでまぁこんなにたくさんの神殿を造ったのだろう?
建造にかかわる人員を想像するに、すでにかなりの人口がいたのだろう。

神殿を囲う壁の崩れた間から遠く地中海が見える

テレビなど映像で見る機会の多いコンコルディア神殿

駐車場から一番近くに見える8本の円柱。最古で紀元前520年くらい建造とされているが、
復元されたものとガイドブックには書いてある

樹齢1000年かといわれるアーモンドの樹(屋久杉に樹齢1000年があるから驚かないが)

遺跡級の巨大サボテン(赤い美はイチジクのような味がするそうです)
サボテンは今後あちらこちらで見かける

神殿の谷・・・確かに。遠くの丘上には脈々と続く人々の生活がある

Posted in

南イタリアへ


シチリア島の東部タオルミナの丘のギリシャ劇場から見えた、雪を被る活火山エトナ山

右の山は、うふっ信濃富士・有明山に似ているではないか!

10月26日~11月6日の旅行は、こんなコースだった

ヘルシンキ経由でローマから一気にシチリア島パレルモへ、2泊
専用バスでアグリジェントの「遺跡の谷」からシラクサへ、1泊
専用バスでタオルミナへ、2泊
メッシーナからフェリーでシチリア島を離れ、専用バスで長靴のかかとアルベロベッロへ、2泊
さて、ここからはバスと列車でトスカーナ地方のアレッツォへ移動し、農家ペンションにて3泊。


ここでは美味しい、そう”べっぴんイタリアン懐石料理”を頂き、オリーブの収穫を体験した
私が宿泊したのは別タイプの建物

標高650メートルくらいの民宿は、我が家と同じ環境。後ろは広い平野で遠くの山はなだらか

1998年にも、ひと回り若い友人とシチリア島~アルベロベッロへ個人旅行をしている。
今回の旅は一味違う17名の手配旅行。
企画者の方も含め年配者ばかりだが、旅慣れたメンバーに我ら夫婦は初めての参加組。

日程順ではなく、カテゴリ別にのんびりと旅をふりかえろうと思う

Posted in

亡妹と旅する

畑の秋冬野菜が順調だから・・・・

大根は虫食いに遭いながらも順調で、白い肌なんぞ出してます

ほとんど虫の餌になった白菜と、にんにくの芽

防虫ネットに同居のキャベツとブロッコリー
青虫を見つけたキャベツ1個を引き抜き、初収穫とした。甘い

イチゴの次郎ちゃん三郎ちゃんの約100個を定植完了
好天に恵まれミニトマトが復活しているが、霜がおり始めたのでもう終わりだろう

ほうれん草もネギも健在なり
おっと、ひょうたんは色が鈍くなったものの、めっちゃ軽くなり乾燥は完了している。次は磨きと加工だ。

・・・・さぁてこれで心おきなく、しばらく安曇野を離れられる

妹は可愛がっていた犬を亡くし、喪失感は大きかったと言う。
しばらくしてそれが直接の原因ではないと思うが、59歳の若さで妹も亡くなった。
3年前の6月のこと

「仕事を離れたら、二人でゆっくりイタリアへ行こう」の約束が果たせなかったのは、
宿題を忘れているような日々だった

縁あってゆっくりのんびりのツアーに誘っていただいたので、彼女とわんこの写真とともに南イタリア観光へ行きます。

最後の滞在地トスカーナ地方(中部)が例年より早く冷えてきたと連絡がはいった。
緯度からいえば、北海道と同じくらいの気温だろう、つまり安曇野の”今朝の外気温”を準備すればいいんだ。
午前6時8℃

東京・上野の森美術館で開催中の「チベット展」を見て、友人にも逢って、それから飛行機に乗って~~~~
11月8日頃まで、蔵くら日記は留守となります。

Posted in

おぉパキスタン・・旅を終えて


居候先の友人宅ではまあ良く食べましたねぇ。
毎朝巨大マンゴー1個をかぶりつき、日本では高くて食べられない敵を討つ。
暑い料理担当は友人が、水を使って涼しい食器洗いは私が・・・図々しい居候だった。

イスラマバードの友人宅は、2階のマンション仕様だ。トイレ洗面つき2ベッドルームに40帖はあるリビング、私はのんびりゴロゴロ過ごしていた。室内は天井ファンだと気温は33~34度。日中の外気温はおそらく40度はあったと思う。元々エアコンを使わない体質なので、用意してくれたアイスまくらで夜を過ごした。

買い置きのミネラル・ウォーターのタンク。20リットルくらい入っていそうだ。飲料、煮炊きに使う。

毎日午後3時頃になると明るい音楽が聞こえてくる。手まわしオルゴールのようなのどかな音。アイスクリームの移動販売自転車だ。押して歩きながら保冷庫と音楽の電源をまかなっているエコ販売車だそうだ。
感心するけど試食は無理だ。確実におなかを壊す

世界を席巻しそうなイスラム教
スンニ派やシーア派は何かとニュースでおなじみだが、北辺地域はイスマイール派が多い。コーランの教えがゆるく喜捨とお祈りは1日3回だけだそうです。ホテル近辺や沿道のモスクでもスピーカーから大ボリュームのアザーンは聞かれなかった。
市井の人々の顔は穏やかで、礼儀正しくいつもフレンドリーだった。

日本で報道される自爆テロは、過激派だ。しかし我々に全くかかわりがないとばかりも言えない。所要で出かけたメロディー・マーケットで、帰国した2日後に自爆テロがあったという。友は強運を喜んでくれた

町にあふれる乗用車は、印象として9割はTOYOTA車。パキスタンでは車検制度はなく、自己責任だ。
滞在中見かけた一番派手な満艦飾トラック

中古車ばかりでなく、新車も多く走っている。
カラチにはTOYOTAの工場があり、ラホールへの往路高速道路では、8台の新車を搭載したトレーラーを何台か見かけた。
中古車は、元の所有者名を残したまま走っている車もあり「○○工務店」「▲▲社」面白いのでは老人ホームの名前。別の人は「自民党」を見たそうな。

余談
JICAのシニア・ボランティアについて
カラコルム・ハイウエイのツアーはほとんどがJICAのシニア・ボランティアでした。たくさんの苦労話やほのぼの話などが聞けた。
自らの応募により選んだ道とはいえ、途上国での生活は平穏な日本に比べれば過酷だ。生活費が支給されるだけで、滞在先の住宅探しや、家主とのトラブル解決など自己責任である。
その上赴任先からの高度な要求に対応しなければならない。約束の任期を全う出来ず中途で帰国する人もいるという。体調を壊すなど問題を抱えながら、それでも多くの方が勇気と情熱をもち、世界中で日々を過ごしている。

友人の追っかけを通して知る実情である。
「JICA国際協力機構」は独立行政法人つまり税金で運営されている。もっと広報活動を活発にしてもいいのではないかというのが感想だ。それも予算不足で出来ないのかな?
なにも出来ずクダクダ語る私が一番問題だ~

友人夫婦の”イスラマバードの風”
ツアー同行の”Aroud the World with Camera”

パキスタンの旅 完

8月1日追記
間違いがいくつかあり訂正しました。生死にかかわるほどではなかったのでご安心を・・・
間違い箇所見つけられるかな~。見つけた方コメントください。景品はないけど!

Posted in

おぉパキスタン・・インド国境


クンジュラブ峠は中国との国境
ラホールはインドとの国境の町
7月1日
滞在先のご主人の紹介で、安心安全のレンタカー会社から車とドライバーを借りる。
1日2500ルピー(約4000円)+ガソリン満タンの契約である。夜中12時を過ぎて帰宅しても2日分にはならなかった。

町に入ると「ありゃ~インドや!」
ラホールの中心地から1時間のWAGHAは、目と鼻の先がインドというボーダーである

そこでは毎夕にぎやかにセレモニーが行われている。
観客は1時間前から座席につき、盛上げ屋のパフォーマンスに拍手したり歓声あげたり・・・
インド側・パキスタン側双方の大音量のスピーカーからPOP音楽が鳴り響く

女性専用席に座っていたが「こっちへおいで・・・」と観光客は前列に。隣近所は中国人観光客だった

 向い側の男性専用席

インド側席は男女混在だ。そしてパキスタン側より人も音量も賑やかだった

インド軍とパキスタン軍が、双方からすれすれ3メートルくらいの門扉まで歩み寄り、開けたり閉めたり

それぞれの国旗を揚げたり下げたり

開会が1時間遅れて午後7時から。セレモニーは30分。ぞろぞろ車にもどり、高速道路をぶっとばし4時間半。
友人には心配かけてしまった

しかし印パ緊張などと報道されているかと思えば、一方ではこんな暢気なセレモニーを毎夜くりひろげているのだ。
世界は知らないことで満ちあふれている・・・

Posted in

おぉパキスタン・・おじいさんと子ども


女性の写真撮影は基本的にタブーのイスラム圏。
かつてモロッコやチュニジアではOKの場面もあったけど。

パキスタンでは特におじいさんの横顔とシワに惹かれた

撮影させてくれたのに「ありがとう」と握手の手を差し出す。
暖かいシワだらけの手だった

ギルギットのバザール近くで、絵になるおじいさん発見
何枚も撮らせてくれた。お礼に折り紙の箱を差し出すと、閉じて開いてを不思議そうに眺めていた

 第一印象は目が合った瞬間
肩にかけた長いショールの巻き方といい、ステッキの持ち方といい完璧

バザールの帽子屋さん 

↑写真2枚目のおじいさんが被っている帽子。
ウールの帽子は手ざわりよく、信州の冬に似合うような気がしたが、ここでこそ・・・と思い直した。今思えば買っておけば良かったと後悔。
ツアー仲間のSさんは購入の動機を「養老院用に」 完璧似合っていた

ツアー旅行は運動不足になりがち。いつも翌朝ホテルの周りを散歩することにしている。
最初に泊まったホテルの朝

 目が笑ってる
私の手をとり、こちらへどうぞのしぐさ。
どうも「朝ごはんにおいで」というしぐさのようだけど、土産を買わないかい?とも受け取れる。
地方のこの年齢の人々は、現地語しか話さない。
記念撮影をして別れたが、丸ポストなら完璧だった?

あっおじいさんだ・・・間に合わず後姿もいい感じ

訪問先の70歳のおじいさん。
おじいさんとは呼べない。なんせ若い奥さんとの間に「5人目のこどもがほしい」とおっしゃる。
長い歴史の民族の誇りをもつ横顔

北辺ツア全日程を一人でこなしてくれたドライバーのボラさん。
らくだや馬のように美しい長いまつげを持つ。私にも分けてほしい長さだ。
あごを上げて運転するので、遠くからは目を伏せているように見えるため「眠ってるぅ」と心配させたドライバー。テクニックは完璧!

長谷川スクールの脇で、石を叩き削り形を整える石職人のおじいさん。
立派なホテルなどの、建物の土台や壁を飾る石はこうして造られている

  増築の準備かもしれない
余談
長谷川パブリック・スクールについてはこちらをご参考に。
日本の教育現場のありようを思うと、考えこんでしまう。
同行者に偶然長谷川氏が通った高校に縁のあった方がおられて、朝礼で挨拶をされ「Hasegawaは努力の人だった」と結んだ。

子ども達はおおむねシャイだ。まして”ピース・パフォーマンス”などしない。
カメラを向けると逃げる子もいるが、モデルになってくれる子も

学校に通える子もいれば、学校に行けず働く子もいる。

町や村でぶらぶらしている子は、ごくまれに「ワン・ペン」と囁くようにせがむ。ペンを1本頂戴だ。

どちらの子ども達にも幸せあれ!と願う