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安曇野に白鳥が飛来する

犀川はいずれ千曲川に流れ込む川です
犀川をはさんで穏やかな東山と西にそびえる険しい山々
その間に安曇野(平野)がある
写真左:東の山々  写真右:西の山々 (昨日同じポジションから撮影したもの)

安曇野の豊科IC近くと、そこから北へ明科を長野方面へカーブするあたりに、白鳥飛来地がある
①犀川白鳥湖(豊科)
②御法田遊水地(明科)(ごほうでんと読む)
看板にかなで書いてあるのをのを見た時、ゴボウデンと読んでいた)

11月から3月にかけて約1,000羽が、4000キロ離れたシベリアからやってくる
本日初めて①豊科へ行ってみた。午前8時の気温-3℃
 

カモのほうがずっと多い

自分の写真をよく撮るために、餌を与える人がいるそうだ
トラックの荷台を利用したコンテナハウスがあり、注意事項や写真、小学生の絵が展示してある

お勧め本の紹介があった

こんな題名の本は「郷土出版社」発行に違いない!よく見ると予想は大当たり
数年前の「職員会議に出た犬・クロ」に記憶はありませんか?
作者の神津良子氏は、現在出版社の代表です

現場で、立派なカメラを構えた紳士に逢いました
彼は鳥もカメラにもかなり詳しく、かつ仲間で写真展を開催しているという

■朝7時半頃、穂高・狐島の田んぼで集団を見ることができる
■②御法田へも是非行ってみるように
■カモは「オナガカモ・キンクロハジロ・マガモ・ヒドリガモ・カルガモ」の5種類いる。
■図鑑は1冊持つと楽しみが膨らむ
■そのほか「ショービタキ・ハクセキレイ・カワウ・カワセミ・トンビ」などがいる
■飛んできた鳥を撮影するのは、視野の片隅にチラッと感じたら、
  すかさずカメラをもちあげて待機すること

なかなか親切な紳士である。・・・・・で撮れた写真は・・・・・まだまだ

ちょこっと細工して

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12月の安曇野  除雪車登場

正真正銘のホワイトクリスマス
大阪の自宅では味わうことのなかった雪景色だ
昨夜から振り続けた雪で、24日朝は積雪20センチくらいになった

25年前くらいまでは京都の鞍馬・貴船方面に降雪予報があると、それっと長靴はいて
電車でエッチラオッチラ雪遊びに出かけたものだ。
しかも空振り防止のため、駅前の佃煮やさんに電話で確認してからという念の入れようで。
ひとシーズンに1度あるかないかの雪遊びだった

午前10時頃に除雪車がやってきた。こんな林の中は、誰かが要請しないと来ない

移住後初めての冬に、とんだ洗礼を受けたものだ
「かとうちべとう(硬く冷たく)」なってはいないのでご安心を・・・・

ところで、秋に準備した渋柿はその後どうなったのだろうか?
写真左:じゅく柿はすっかり食べごろになり非常においしく頂きました
写真右:つるし柿は黒く乾燥してきたが、白い粉はまだふきません。しかし甘さは充分です
     試しに冷蔵庫へ移した数個は、やや粉をふいてきた

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12月の安曇野  雪景色

13日午前6時の外気温は-4℃、積雪3センチ
★しょぼいクリスマス飾り
先日2階の小窓に飾ってみました
写真左:夜に外から見上げるとそれなりに・・・・ 写真右:1階の東窓のカウンターにも並べた

右端の白いアヒルは、以前ホームスティのデンマーク女学生パパの手作り木工です
大阪ではなかなか経験できないシチュエーションにちょっと満足

★しょぼくなってきた干し柿
乾燥が進んできたので室内に移動するが、適切な場所を得られず
ストーブ用のゲートを利用する


ホントか冗談か定かではないが、とりあえず撫でながら、
白い粉がふいてくるのを待つことに

☆わーい雪景色だ
所用で大阪へ行った帰り道、大糸線の車窓から曇天だが雪の北アルプスに歓喜する。
もうすっかり安曇野っ子である私には、大阪の喧騒が似合わなくなってきたらしい
写真左:積雪3センチ。日本海側の寒気団到来の影響か・・・・
写真右:樋のない屋根からつららが・・・・(長いものは30センチもある)
気づかず頭上に落ちてきたら、痛い!ではすまないぞ

今夜は絵に描いたような月と星空です(うまく撮影できないのが悔しい!)

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安曇野の宝「残月集」

11月18日の写真追加のため更新

早朝 まさしく朝焼けの有明と残月、残月集の世界を撮影できた

惚れた弱みの有明山考
移住の決め手にもなった有明山の風景に神社が絡むのは当然であるが、
私にとっては宗教的にどうとか山岳信仰崇拝者とかではなく、ほとんど
成り行きだった。
神社は有明山の麓にあり、有明山をご神体とする山岳信仰神社である。
山頂には奥社があり、中岳本社に手力雄命 大己貴命 八意思兼命の三神を、
南岳本社に天照大神、天細女命 金毘羅大神の三神が祀られています

ずっと古くから別の地にあった(第8代天皇の時代に造営された)神社を
明治21年岡村阜一氏が再興したのが現在の有明山神社である。

■有明山神社再興記念の和歌「残月集」のあゆみ

歌人・矢野口保邦のお孫さんの恂氏が、現在も当時の地所にお住まいです
話を聞くことができました

手作り文集「残月集」  明治30年8月1日発行。
発行者 岡村阜一(南穂高村)、
編纂者 歌人・矢野口保邦(有明村)・林親良(豊科村)の三氏だった。
おそらく企画から発行まで8~10年くらいがかかっていると思われます。
全国各地の高位高官や歌人から「有明山」「ありあけ」にちなむ和歌を収集し、
編集発行した文集である

茶色の和紙表紙で、毛筆の筆跡は保邦氏と確認されています
歌人として冷泉為紀に師事した縁もあり、信州歌壇の先駆けだった
矢野口保邦氏の功績は大きいでしょう。
それにしても通信手段や時代背景から考察して、宮中や高位高官(男爵など)
はじめ全国から収集されたのは大変なことだと察せられる。
ハガキで募集し、矢野口家に郵送されてきた色紙・短冊が1200余首。
中にはお断りもあったろうし、返信なしもあったでしょうから発送はがきの総数は・・・・。

・明治30年発行の文集(穂高図書館でコピーしたもの)

  
自費出版(おそらく3氏の)だったという。
明治20年代にこれだけの事業(収集と出版)ができたのは、他には伊勢神宮だけしか
考えられないと、関係者の間では驚異的なことと言われています。

送られてきた色紙・短冊の原本は有明山神社に奉納され、京都で表装された「残月集」は
社宝として保管されていました。

それを目にしたのがきっかけで、立派な平成15年版「残月集」は発行された

その過程で、締め切り後に郵送されてきた短冊を、矢野口氏宅で預かっておられた
80首の存在も明らかになりました。
新発見の短冊は寄付され、現在は有明山神社に奉納されています。

現在平成15年発行の「残月集」は穂高の図書館で借りられますが、手作り文集
「残月集」は禁持出文書扱いです

矢野口氏宅前から見る安曇野と有明山は、明治30年当時とあまりかわらない風景かもしれない

毎年7月中旬頃、有明山神社主宰(安曇野の各地区が年番で開催準備し引率してくれる)
の登山と頂上にて祭礼が行われている。
祭礼とは直接関係ないが、「有明山登山」の参考にしてください。きっと山に登りたくなるサイトです

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里山歩きの楽しみ 講座案内

11月17日午前6時の外気温1℃
写真左:昨日に続く冷え込みで有明山も冠雪したが、雲がどっかりと動かない
写真右:晩秋の里山

当BLOG、11月13日発行「安曇野の宝 残月集」内で
有明山登山の参考にしてください。きっと山に登りたくなるサイトです

と案内したサイト作者の講演会があります(安曇野市広報11 No.3から抜粋)
「一山百楽」講和 第1回
一山百楽(いちざんひゃくらく)とは田淵行男の遺した言葉。
その言葉にちなみ、現代のアルピニストや写真家を招き、
登山の楽しみや自然環境保護の大切さを学ぶ講座です

■日時  12月4日(日)午後1時30分から3時
■場所  豊科公民館講座室
■講師  中嶋 豊さん(長野県飯田警察署副所長)ホームページ「信州山歩き地図」
■参加費 無料
■その他 ・参加者の皆さんの中から抽選で「里山マップ」プレゼント
■問い合わせ  「田淵行男記念館」(電話0263-72-9964)
     ★市外の方ももちろんどうぞ!とのことです
    
余談
田淵行男は豊科在住のアルピニストであり写真家でした。
またチョウのカラー細密画でも有名です。
春、豊科に仮住まいをしていた時の散歩道沿いにやや古い家があって、
表札に「田淵行夫」としるされていた。
やはり田淵行男が昭和34年~昭和58年まで、ここに住まい著作活動をしていた家だった。
当時は大きな建物がなく、この家からも北アルプスがよく見えた。
この地域「見岳町」の命名は田淵行男だそうです(田淵行男記念館スタッフ談)
すぐそばの日赤病院で平成元年亡くなった

有明山の麓、中房温泉へ続く県道(宮城~温泉)が25日(予定)から
冬期間通行禁止になります。私もいよいよ初めての冬支度開始の時がきたようです

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不揃いの美 つるし柿

初めての経験である
大阪で渋柿を買ったこともない

渋柿を甘くして食べるための方策に、ふた通りの方法を教わった
その渋さは一口かじっただけで口が曲がりそうなほど・・・・
しかし渋ければ渋いほど甘くなるらしい

その1
傷のないものは、皮を剥かずにジュクジュクに熟すまで、
新聞紙を敷いて室内で自然乾燥させる(22個もありました)

その2
これが楽しいのである

①柿の付け根の枝を、ぶら下げる時に便利なようにすこし残して切ってある(写真左)
②包丁でひらひらのヘタを取り除き、ぐるっと一周の皮を剥く
 ピーラーで縦向きに皮を剥く(写真右)

③タコ糸で茎をひっかけながらぶら下げる。我が家は高さがないので5~7個にする
  玉暖簾のようだ
④風通しのよいところで、約2週間干す(合計90個に)

渋の成分タンニンは干すことで封じ込められるという

ここから先はまだわかりません
・乾燥したら、ポリ袋にいれておくと白くなる
知人の話では、
・「乾いたらひとつずつ優しく撫でると(間をあけて2回がベター)白い粉が
  出てきて、さらに美味しくなる」 ホンマかいな
ネット参照すると
・水分がきれたら、さらに室内乾燥すると白い粉が出て甘みが増す

白い粉は糖分の結晶で、外側はやや硬く中はとろとろの果肉となる
昨年の干し柿の冷凍ほどきを食したが、まさに絶品!まるで和菓子のようだ

たくさんの柿を頂戴した豊科の婦人お勧め「干し柿レシピ」
★柿巻1
 ①乾燥したら縦にわり広げて種を除く
 ②6~9個を少しずつ重ねて並べる
 ③詰め物は、刻みくるみ、土しょうがのみじん切り、ゆずの皮の千切りなど
 ④②に詰め物を載せ、巻きすできっちり巻く
 ⑤輪切りしてお茶請けに
 ⑥ラップで包み両端を飴のようにねじり、冷凍保存可

★柿巻2 縦長の柿の袋状を利用する
 ①種も、小さいヘタも外し、袋の中の果肉もすこし取り除く
 ②袋の中に、茹でたうずらたまごを縦型に詰める
 ③堅めのてんぷら衣にくぐらせて揚げる
 ④輪切りにすると美しいので、お正月おせちの一品にgood! 
 
皮を剥いて1個だけ裏庭に放置してみた
さすがに鳥も猫も食べにこない  

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花林糖・かりんとう

11月6日(日)午後
「花林糖」は当て字かと思っていたら辞書でちゃんとひける
英語では fried dough cookies と「三省堂エクシード和英辞典」にある

かりんとうといえば「新宿中村屋」ときまっていた
とにかく好きだった。ただただ美味しかった。濃密な黒糖はもちろん
サクサクした歯ざわりも・・・・
封を開けたが最後、袋の底のくずまで食べ尽くす
しかし安曇野に移住するまで、創業者相馬愛蔵が穂高出身で、碌山はじめ
多くの文化人・芸術家を支援し育ててきたことは知りませんでした。
穂高の研成義塾しかり、新宿本店の中村屋サロンしかり。

インドが好きで、当然カレーも好きでと通販の中村屋インドカリーも食していたにも
関わらず、である
住宅建築の単身赴任住居近辺の大型スーパーで、中村屋の専門コーナーがあるのが
「何故か?」と関心を持つきっかけだった。
地元紙「市民タイムス」とあれこれ読み始めた郷土関係の本、
臼井吉見記念館で見た小説「安曇野」などが情報源です

大工さんたちは、「松本にもおいしいかりんとがある!」と胸を張る。
それが久星食品の花林糖だった。3時のおやつに大工さんたちと
ぼりぼり食べました。中村屋のよりややあっさり系だ。

6月25日豊科に「蔵久」が開店した。7月上旬に訪ねた時は忙しいさなかで、そうめんを食べ、
出来立てかりんとうを買っただけだった。
5日、改めて訪問した
もともと1810年建造の造り酒屋の星食品4代目若社長が今風に展開している。
以前この屋敷は映画「犬神家の一族」やモノクロ映画「姉妹」のロケ地にも
なったことがあるそうです

商品販売は勿論、重厚な本棟造りの建物、食事が出来る和座敷、
立派な日本庭園、和座敷にある古い家具を再利用した赤い漆塗の衝立と、
間接照明を施した同仕様の床の間の掛け物が素晴らしい(写真右)

母屋と別棟の間に水を配し、ミニライブが出来る外カフェでは、
オープニングはじめ何回か催事があったと紹介されている
ここのデザインは橋本夕紀夫氏だとスタッフから聞きました

なかでも別棟の揚げ立て花林糖実演販売はなかなかのアイディアだ
写真右:出来立てほやほやのかりんとうは一袋100グラムで300円

黒糖カレーは好評と聞いています
大型観光バスが乗りつける観光スポットにならないことを願う

ついでといっては何ですが、途中スイス村の一角にある自然食品店で
「あずき(北海道産)入り完熟花林糖」を買いましたが、甘すぎて
”とろけるおいしさ”はやはりかりんとうには無理だった

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八坂村の「郷土かるた」

10月26日
郷土かるたの存在を知ったのは安野光雅著「安曇野」P36の紹介で、
かるたが出来たのはたぶん40年くらい前の話です

八坂村教育員会発案の「郷土かるた」を穂高出身の当時の美術教師・井上武美さんが
生徒に作らせた版画である。
詞句は村民から公募、八坂中学校生徒の版画がいい味わいの絵です。

そのコンセプトは「豊かな自然の中で、時には厳しい自然とのたたかいを経て、
幾世代にもわたって育まれてきた、村の生活や文化遺産を大切にして、その上に
さらに新しい伝統を加えていくこと、それが現在に生きる私達の務め」
(安野光雅著「安曇野」から転載)

八坂村の郷土かるたは今でも八坂村役場(電話0261-26-2001)で販売している。
1700円
役場の職員は一呼吸し気の毒そうな声を出した。ちょっと高いな!を電話口で読まれたみたい。
因みに18年1月1日をもって大町市と合併になるので、「八坂村かるた」は今年中に
買いたいものだ。と考えていたら、追いかけ「新そば祭りに来ませんか?11月6日までです」
女性職員のSさんはなかなかの腕っこき職員のようです。
会場は村内の「明日香荘」 そこではかるたは販売していません!
見るだけならどうぞと、八坂中学校。

八坂村を安曇野として紹介するのは少し方角が違うという意見もあるかもしれないが、
大目にみてほしい。このあたり一帯を支配した仁科氏が南下して安曇野を開拓したという説も
あるのだから。手に入り次第写真紹介します。まずは行ってきます

11月1日霧の朝、後

初めて霧の朝を迎えて(写真:最寄り駅午前7時40分)大町へ向かう

坂また坂の山の中「八坂村」は大町市から車で15分くらい(大町駅から村営バスも運行)にある。
八坂村は紅葉真っ盛りで、行き交う人も少ない静かな村です。
のどかな山の村役場     

写真左:コミュニティセンター アツキ全体(村民や観光客向けの情報センター)
写真右:ドーム部分拡大

ドーム部分の下は図書館になっていて、広いガラス窓から紅葉の谷あいが見えました。
木と石を使った立派な建物です

かるたを買ってきました
どの絵柄も詞句も良くて選別に困ったので、とりあえず「あ」と「わ」を紹介

「赤々と 天を焦がして どんど焼き」
 今は焚き火も禁止になりましたが村ではどうだろう?勢いのある炎がいい

「私らは 村に残ると 若夫婦」 
 櫛の歯が抜けるように過疎化が進む村だったのだろう。
 村に残ってくれる若夫婦を誇らしげに詠った老親の様子が目に浮かぶ

やはり紹介したいカードが・・・・

「炭やいて この谷老ける 人もなく」
 現在の炭ブームを予見したかのような一句
 防湿・防カビ剤 香料 石鹸 木酢液etc

「雪深し 明日は楽しい うさぎ狩り」 
 躍動感いっぱいの元気なうさぎが素晴らしい。作者はきっと生き生きとした中学生なのだろう

文化芸術の質の高さに唸る
残りわずかの「八坂村の郷土かるた」は、売り切れごめんの貴重品です。
 
9月1日現在の人口が、1,128人 男女の比率があまり変わらない。
バランス感覚のよい村のようです
もっともっと紹介したいのだが、スペースの都合上ここまで

平安時代創建とされる「藤尾覚音寺」
金太郎とその母大姥様が棲んでいたという「大姥山」などなど観光名所もあります
金太郎さんは大姥と有明山の八面大王との間に生まれた力持ち坊やという伝説の子。
わが有明山と因縁浅からず・・・が面白い

つい最近、あの懐かしいアニメ「まんが日本昔ばなし」が再放送されています
TBS系、水曜日18時55分から30分
坂田の金時も、龍の子太郎も、伝説だからきっと似たような話は全国にいくつもあるのでしょう

山村留学で話題になった村でもあります
当日の夕焼けは、朝方冷え込みのプレゼントでした

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10月後半の安曇野

10月23日有明山神社内のオブジェ(記念碑)更新しました

「八坂村の郷土かるた」を11月3日の新タイトルに移動しました

21日
老舗の和菓子やさん
穂高富田信号(広域農道)の近くに個性的なロゴの「丸山菓子舗」があります。

先日来客用にと店に立ち寄った折、ショーケースに「矢村の矢助」なる和菓子が
目にとまったのは、最近伝説本「安曇野に八面大王は駆ける」(中島博昭著)を
読んだ中で見かけた記憶があたったためです。
「この和菓子に関するパンフはありますか?」と聞くと
よくぞ聞いてくれました!の雰囲気で別コーナーへと誘導する。

丸山菓子舗では以前から、安曇野を紹介し郷土を大切に守るために、
安曇野にまつわる名を冠した和菓子を作っておられたのを、
「店内にそのギャラリーを設けませんか?」と勧められたのがきっかけとか。
写真左:紹介パンフ  きりえ制作は やまぐちひろみさん(もう故人になられたそうです)
写真右:銘菓 矢村の矢助

この他に民話の里シリーズとして、八面大王、有明山、御船だいこ、安曇野風土記などなどあります
このギャラリー開設を提案したのは、またしても登場の「中島博昭氏」ですって。
犬は歩くと棒にあたりますが、私は訪ねると中島博昭氏にぶつかります。
安曇野が狭いのか、縁が深いのか?

この店を初めて知ったのは、住宅建築のため大阪から上棟式の準備にやってきた今年2月です。
内祝用の注文でお世話になりました
そのときの対応がよかったので、その後建築に参加するための私の単身赴任中にも何回か
買いに行っていましたが、
ある日
農道を走っていた時、一転俄かに掻き曇り、それこそバケツをひくりかえしたような
大雨に遭いました。トラックのはね散らした水をかぶるわ、免許とりたてで雨中走行は初めてと、
散々な目に・・・・
ちょうどさしかかった広い駐車場に、緊急停車の判断は正解
傘をさした若いスタッフがドアの側で「どうぞ雨宿りしてください」と
誘導してくれました。

無料の休憩コーナーもあり、セルフサービスでコーヒーがいただけます
雨でなくても、穂高散策の休憩にどうぞ

2回の誘導にノックアウトです
明治42年創業の老舗にあぐらをかかず、完璧なCS(顧客満足)を実践している。
和菓子だけでなく勿論洋菓子だって負けていません!

またまた散歩中に・・・・
豊かな水路が幾筋も北アルプスや有明山を水源に流れてきます、よく澄んだ水です。

脇の畦道で、まるで春の若葉のような柔らかい蓬(よもぎ)を見つけた。
そうだ!お正月のお餅にまぜよう(臼でなく電気餅つき器ですが)
洗って干したら70グラムもありました。充分な量です

せせらぎを聞きながら散策していると、こんなロマンティックな橋もあります
橋自体はそれほどロマンティックではありません。
しかしその先の養護老人ホームの看板はすごいです「お年寄りの地上の天国」
私は「お年寄りの地上の楽園」のほうが素敵だと思うのですが、命名者にもきっとそれなりの
思いがあったのでしょう

有明山が好きで、いつか山に登りたいです。まずは手始めに有明山神社を散策

21日の朝6時の外気温9℃ 室内14℃ 久しぶりに有明山がくっきりみえます
有明山の麓にあり、手力雄命(たちからおのみこと)ほか三神をまつり有明山を信仰する
山岳信仰神社である。

鳥居を過ぎ裕明門をくぐったすぐ右手にまだ新しい石のオブジェがあります。
およそ古めかしい神社に似つかわしくない感じがしたが、よく見るとなかなかユニーク

写真上右:西面に「吉呼員和」(喜びを集めて和やかに)
写真上左:東面に「吾唯足知」(分に安んじて貪らない)
石の真ん中の口を上下左右につけて読むと、写真説明の「」になる仕組みです

“開運招福の石”と名付けられており、直径2.55メートル 厚さ0.3メートル 重量2.4トン
有明山神社々務所の立て札の説明によると
百拾有余年前に、全国から集められた和歌が、神社の社宝として保管されていたのを
「残月集」として発刊した記念碑だそうです。
この四角(□)をくぐりぬけて、吉運を集めてくださいとのこと。
日本に一つしかありませんとも書いてありましたので記念にくぐりぬけました。

帰宅後「残月集」を編纂したのは誰で、何処へ行くとそれを見ることができるのか?
このオブジェの作家はどなた?など疑問が沸々と湧いてきました。

まずは穂高の観光課へ・・・・電話口の担当者は????
ではと、穂高ならお任せのJR穂高駅前「ひつじ屋」さんへ電話すると
うちの大家さんならきっとご存知です・・・・・・

大家さんとは矢野口まことさん。
矢野口さんは「残月集」発刊関係者のお孫さんであることもわかりました。
今日はここまで。しっかり調査して確実な情報をお伝えしますので、乞うご期待!

では神社に戻りましょう
鳥居手前の坂道を登り山門をぬけて東へ、小さい石仏の並ぶ細い山道を5分くらい歩くと、
「魏磯鬼窟(ぎしきのいわや)」古墳がある。
坂上田村麻呂に討ち取られた、あの伝説の大王が最後に棲んでいたとされています

鳥居へ行く道の角には、そば処「くるまや」 水車小屋が目印です
ここは美味しくて安いよ!品切れごめんの大繁盛でした
競合店なしの店ならもっと高いはずなのに。。。嬉しい誤算でした
回りのテーブルを見渡すと、追加一品のグリーンの小鉢が並んでいます。
モツ煮ですって 信州ですから勿論馬モツでした

10月23日午前9時
久しぶりの快晴。ここ2日の冷え込みで燕岳も白馬方面の山も初冠雪(写真右)
写真左:有明山の左にほんの少し白く見える。しばらくして池田町のクラフトパークへ撮影に走るも、雲の中でした

さて、石のオブジェの後日談
有明山神社の宮司(等々力満)さんからオブジェについて聞くことができました

・これは宮司さん自身の発案である
・「吾唯足知」は「京都・龍安寺」のつくばい(茶庭などに据える手水鉢)から拝借 
(水戸黄門からの寄進とされており、本物は未公開の茶室にある)
・「吉呼員和」は宮司さん考案
・文字は石川さん(どちらの方か聞き漏らしましたが、おそらく残月集編集関係者ではないか?)
・御影石は中国産というより中国で制作され、運ばれてきた
以上がオブジェの成り立ちです。

11月5日:スイス村(豊科)内自然食品店の奥にあったタペストリーには

吾唯足知 下に龍安寺のサインが見えます
「友人からのプレゼント」とのことでした。

平成15年発行「残月集」は図書館で借りてきましたが、
縦305ミリ、横234ミリ、厚さ33ミリ、重量約3キロ、重いぞー

由緒ある方々1200余名の有明山を詠った色紙・短冊の写真入り和歌集です
当時収集された短冊や和歌を、明治30年小冊子にして発行編纂された矢野口保邦さんのお孫さんが、
上記の矢野口まことさんでありました。
これは安曇野の文化芸術の質の高さを知る貴重な事柄で、もっとゆっくり調べたいと思います

すっかり秋なのに
畑にはサトイモととうもろこし(さすがに実はありませんが)並列しています
その間にはマネキンかかしが立っています(写真左)
北アルプスはもう初冠雪だというのに、まだコスモスががんばっています
茶色に見えるのは蕎麦の実(写真右)

信州の季節感は面白いです

24日 6時の外気温9℃ 室内15℃
たびたび登場の堀金物産センターで商品名「本かりん」を買いました

5個で500円、1.5キロあります。
ずっと以前に梅酒を作って以来の果実酒つくりに挑戦します
同封のレシピから転載

カンタンかりん酒のつくりかた
【用意するもの】
かりん  1キログラム
氷砂糖 100~200グラム
ホワイトリカー 1.8リットル
【作り方】
かりんをよく洗い水分を切り(管理人補足:右端のように柔らかいモゲモゲの薄皮があります)
輪切りにし、つけます(管理人補足:漬け込む容器の水分を充分に除くこと。カビの原因になる)
1カ月すれば飲めます。
1年たったら実をとりだします

ほら作り方もレシピもカンタンでしょ
1カ月先から飲めるなら1年も実は残ってないと思う。。。。