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10月の安曇野 拾ケ堰見学

ようやく秋の気配が

堀金物産センターにて
朝早く出かけないとお目当ての品がなくなる大盛況ぶり

今月の月刊誌「KURA」は道の駅特集
堀金物産センター女性群の笑顔が紹介されています
大阪では見なかった地方誌ですが、信州のことならお任せである
(一部の紀伊国屋書店にはあるそうです)

シールに「甘柿」○○作とある
すぐ隣の婦人に
「これはどうして食べますか?」
「このままかじって!農薬かかってないよ」
「ん?」
「これ私が作ったの。もう一袋あげます」と私の手提げ布袋にいれてくれたが、
二人家族には多いし、レジで困るよなあ。
結局その農婦人は私が1袋分の支払いが済むまでじっと見守ってくれました

直径5センチ、長さ5.5センチ。艶よし。
可愛い柿は小さいだけに種が邪魔ではありますが
おつまみのように、美味しくいただいていま~す。

10月11日
拾ケ堰見学&レクチャーバスに、押しかけ便乗しました
堀金物産センターから14:30発車を待ち構えて見学バス便乗を交渉する
アジア(カンボジア他)からの研修生一行約20名のプログラムのひとつを
JAあづみがサポートした研修ツアである。
講師は中島博昭氏

先生が日本語で説明すると、通訳二人がアジア言語と英語で伝えるのだが、
時々二重奏になる
    写真:表情豊かなアジアの若者達

(1)安曇野の豊かな水はどこからくるのか?
北アルプスの山から幾筋もあるが、扇状地に地下浸水してしまうので、
農業には不毛の土地だった。
江戸時代後期(1816年)農民達の手で治水事業が始められ、拾ケ堰ができたという。
北アルプスは曇天で全く見えず、研修生は想像で聞いていたことになる。

(2)戦争の頃、山の木を伐採したため大雨が降ると拾ケ堰は氾濫した。
10年前に川の幅を広げてコンクリートで護岸工事をし、ミニダムをつくった

写真左:堀金の取水制限システム  写真右:緑豊かな農作物をバックに写真撮影する研修生

以前写真でみたような緑豊かな川ではなく、想像とは違っていた
おまけに下車した時、プ~ンと臭い、流れに草やゴミが浮かぶ。
すでに稲の刈り取りが済んでおり、流水を制限しているためだった。
田に水を送る時期はもっときれいだと・・・・説明があった
せっかくの見学に時期が悪かったなあ、残念
全長15キロでしょうか、全域がコンクリートになっているのか?
一部でも緑地帯の箇所があるのか?いつか探しに行きたいと思います

(3)奈良井川の取水制限システム
「南安曇郡(現安曇野市)拾ケ堰土地改良区」なる看板のある建物で
コントロールされているダムである。
山から流れる水が不足した場合、ここから安曇野へ水がおくられる。
約1000ヘクタールをまかなえるという。
写真左:取水制限ダム  写真右:熱心に説明を聞く研修生たち

(4)ポイントは標高570メートル!
拾ケ堰は南から北へ流れています、つまり安曇野を横断して水を供給している。
奈良井川の取水制限ダムから平行に、つまり標高570メートルを横断している。
そこで研修生の一人が「ん?」と疑問顔。
そうです、ある地点(地名がわかりませんでした)を境に標高570メートル以下にできているのです。
先人の知恵と技術もすごいが、あの時間内の説明でこの疑問をぶつける研修生もすごい!
こうしておいしい安曇野米は、県下でも優秀な量と品質を誇っています。
西山から東へ、温泉観光 りんごや米 わさび栽培と今の安曇野を形成したのです。

バスの中では中島先生が「安曇節」を熱唱しやんやの喝采を浴びる。
細い道にバスが通りきれずバックするやら、見学地へ行く時間が不足したりで、
ちょっとマネジメントに難はありましたが、無事終了となりました。

研修生達からお別れの「バイバイ」を頂いたり、堀金物産センターの
ライスクラッカーをプレゼント(ほんの少し)したりで、3時間の押しかけ研修がおわり、
夕暮れの中を家路につきました。
JAあづみさん、コーディネーターのHさんどうもありがとうございました
アジアの人々が、自国でこの経験を活かし活躍されることを願っています。

後記
北野 進著「安曇野と拾ケ堰」(平成5年4月発行)の写真には護岸工事前の緑豊かな水べりを
見ることができます(分厚過ぎて完読は無理かもしれない)

拾ケ堰の拾は当時の安曇平10ケ村を表し、工期は3ケ月の突貫工事であったという。
当時の土木技術から察するにその意気込みと努力がうかがえます。

最後に、著者の「あとがき」より転載します
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安曇平のルネサンスの原点には「拾ケ堰」があったといってよい。中略・・・ 
安曇平に今も点在する道祖神には江戸時代後期以降に造立されたものが多い。
これは、産業技術史的にみて、「拾ケ堰」が開墾と農業生産拡大という
発展段階に無関係でないと考えている。
このような視点に立てば、安曇平の道祖神も芸術も文化も「拾ケ堰」の
水の流れとともに四季折々に育ってきた。
若き日の荻原碌山や山本安曇などの心をはぐくんだ安曇の自然と風土の中には、
万水川、乳川、中房川、烏川の自然の流れのほかに「拾ケ堰」が、豊かな水量と
緩やかな流速をもって美しい田園を潤していた。
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10月の安曇野 「そばサロンいとう」と「美容室Dep」

10月12日

林の中の「そばサロンいとう」
うわさは聞いていた
散歩の途中に発見。住宅に人影が・・・入って話を聞く。
オーナーの奥様は大阪人で、さすがひとなつっこい。 偶然私と名前が同じで
より親しく話が盛り上がりました。
オーナーは蕎麦打ち40年のベテランで、2年前からここ穂高有明の林の中で
営業されていますが、一見普通の住宅である。
写真左:見つけるのが苦労かも  写真右:暖簾の奥がサロン

実は松本出身のUターンで、元ビジネスマンでしかも有名人であるらしい。
日に数組のお客にとことんこだわりのおいしい蕎麦とお料理を奥様と二人で提供する。

あづみ野ゴルフカントリーや穂高ビューホテルに生そばを納入し、
年末の宅配先がそうそうたるメンバー。
「うまいといわれるのが嬉しくて素人で始めたら、蕎麦をつなぎに人が人を呼ぶんですね」と
伊藤さんの言葉(「安曇野サテライト通信」から抜粋)

要予約 電話:0263-83-4791 ランチ 2000円 夕食は蕎麦懐石。
お料理の他そば湯と抹茶で作ったゼリーのデザートも好評とか。
当日はオーナーが不在でしたので、いずれ楽しみに頂きにあがります。 

10月14日のち

この看板と建物で何屋さんか分かりますか?

主要地方道51号線「池田町ハーブセンター」(道の駅)2軒南の奥まった所に、
この八角形の建物があります

美容院Dep.の看板(北方向から走ってくると見落とす)

建物の面白さだけでなく、窓から見えた客の座る椅子がすばらしいのも目を引いた。
オーナーは若い女性で、以前喫茶店だったのをリフォームして美容院として開業。
すでに7年たつという。
今どきの、大きなコンクリートの箱にいくつもの椅子が並ぶ美容院のつくりは、地方でも花盛り。
大阪でそうだったから、「安曇野!おまえもか」の中で紹介された店を、気に入ってます。

オーナーは美容コンテスト入賞のご褒美でフランスでの修行を経験しています。
椅子はフランスから取り寄せたそうで、どうりで・・・・
店内中央にある120度づつカーブした3面の鏡は、外見の建物ともマッチしており、
座った時に隣の人の顔が鏡越しに見えないのも新鮮である。
3席と入れ替わりのない男女スタッフ2人、ひとつのシャンプー台(これもデザインがGood)
こじんまりとした静かな空間です。
要予約 電話:0261-62-8454

店を出て振り返ったら、遠くに有明山が・・・・


出来すぎのシチュエーション(大好きな山からまっすぐ東にこの店はあったのです)
そしてブルーのVWはオーナーの愛車だって、ウヮーォこれも出来すぎ~

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安曇野市誕生へのカウントダウン

9月30日夕方
5町村合併により、あすから安曇野市になります
そのイベントがスイス村で催行されるというので参加することにしました
一生のうちにもう経験することは無いだろうとボランティア募集に応じた。
が期限がきても通知が来ないので確認すると、応募者が足りず検討中との事。
当日現場でわかりましたが、出演や出展・出店参加者が多くて
「こりゃ、ボランティアどころではないわ!」
結局私は役に立たないボランティアでお茶を濁してしまいました、とほほです。

豊科町 穂高町 明科町 三郷村 堀金村の合併で人口が98,922人、
長野県で6番目に大きい市になりました。
「安曇野市」

おそらく全国どこの市も町も村もそれぞれ豊かな文化・伝統・芸術を有し
素晴らしい農漁業産物を生産していると思うのだが、あわせて歴史も観光も
となると安曇野はやはりピカ一だろう。

ではイベントの内容は
開会宣言
小学生による金管バンド
民謡「安曇節」ほか舞踊
筝 琴 太鼓ほか演奏
ストリートダンス バンド演奏
(かなりのボリューム音にもめげずご年配者も赤ちゃんも着席していたのが印象的)
安曇野吹奏楽団演奏
人前結婚式 午後11時00分~
(親戚友人だけでなく、一般参加者おそらく500人くらいが立会人)
その間に5町村からリレーされたトーチが、会場で5つの灯りとして燃えている

0:00 
5つの灯りをかざした5町村長が一つになって点火、クス玉炸裂・花火打ち上げ
太鼓演奏でフィナーレ

翌10月1日
真っ青な空を期待したのだが、今日も曇天
自慢の常念岳や有明山は墨絵の中です。

9時からイベント再開
安曇野市誕生オープニングセレモニー 旧町村長紹介、来賓挨拶など
屋外では賑やかにヨサコイ踊り
舞踏 合吟 筝演奏 津軽三味線(各町村のクラブや社中)ほか
HONDAロボット「ASIMO」が11時と13時の2回の実演
(しぐさのカワイさにおとなも子どもも思わず微笑み、手を振ってさよなら・・・)
千人コンサート 
150人合同演奏と会場参加者とで合唱したり
未来に向けたメッセージが書かれた紙飛行機が会場いっぱい飛び交い
フィナーレとなりました

写真左:ASIMO君   写真右:ヨサコイ踊りのたぶん最年少君

ストリート・ヨサコイ踊りがこんなに盛んだとは知りませんでした

中ホールで同時開催
名誉市民紹介 アート展 安曇野の四季写真展 企業紹介 
SONYのロボット「ORIO」が子どもと遊ぶ ガラスやキルトの販売

屋外スペースでは
「無料そば」ふるまい
定番の屋台と旧町村自慢の物産店ブース 
「信州あづみ野穂高温泉旅館組合」 青年部主催の足湯ステージ
(無料で配布していた「あづみ野伝説絵巻物」は青年部の手作り。なかなかの力作です)

実行委員のみなさま 会場整理や清掃のボランティアさん 警察 消防関係者さん
お疲れ様でした

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地元の祭りに遭遇

9月23日戻り残暑の日

池田町のハーブセンターへ所用で出かけた時、「今日は祭りや、是非見て」と勧められた。
携帯電話のカメラしかなく、画像に無理があるのはご勘弁を。年に一度の機会です
京都の祇園祭りと岸和田のだんじり祭りを混ぜて小さくしたという印象でした

池田町1丁目の交差点の歩道側に10人の若者(男子ばかり)が正座している光景が・・・
写真左:未成年でもなく罰を受けてる風でもない。その証拠に一升瓶をラッパのみしながら
次々と隣へ渡している。
私の近くにいたハッピ姿の若者に「何なの?」と聞いても、その人も真っ赤な顔でもう出来上がっていて、
話がチンプンカンプン!
今年青年になったイッキ飲みかと思ったのですが、どうも景気をあおっているようです
(インドの結婚式会場で「盛り上げ屋」なるチームを見たことがある)

写真右:そこへ威勢の良い掛け声の2階の青年たち、綱引く青年と壮年組の山車がやってくる。
奥まった辻に別の山車が待機しています


写真左:山車のなかでは中学生くらいの男子が座布団にかこまれて笛と鐘を奏でる
写真右:ハッピの襟に「小若連」の文字が読める
「大きくなったらあの山車の中で笛が吹けるね」と私
「いいえ男子だけなんです」とお母さん
「そんなあほな少子高齢化の今、そんなこと言ってたら人手不足で祭りが衰退するでぇ」 
叫ぶ私。。。。。


辻にあった山車は全部で8基。町中を練り歩いて帰ってくるのがここ八幡神社の境内
しかし帰還は午後9時前後で、とても付き合いきれません
山車の帰還順序は毎年決まっているとか(宮司さん)
写真左:山車の格納庫の一部  
写真右:安曇野なら野菜や特産品かと思ったら、
大阪と同じ昔ながらのたこ焼き おもちゃ ヨーヨー あてものなどなど原色風景でした
なかに中国焼きなるものがあって塩味のお好み焼きという感じ
去年もここで?と聞くと「去年は御柱祭りがあったので諏訪にいた」と。
そうか地元の祭りに野菜や特産品はいらないわなと思い返して苦笑い
(まだまだ観光客気分がぬけません)


安曇野を歩いたり走ったりしているとき、若者はあまり見ない。農作業はだいたいおじいさんとおばあさん
何処からこんなに湧いてくるのかと思うくらい若者がいっぱいでした

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9月後半の安曇野

9月17日

移住後初めて大王わさび農場へ
写真左:今も変わらぬ澄んだ川面
写真右:湧き水を水上散歩できるクリアボート(ゴムボート)


こんなイベントを開催していました
意見の分かれるところですが、今年初の取り組みにてとりあえずご案内

開催日程  9月23日・24日・25日  10月の日曜祭日
営業時間  11:00~14:00 予約不要 雨天中止
料金(税込み)・約8分間 ¥600  ・約15分間 ¥900 
問い合わせ 農場 0263-82-2118
クリアボートと熱気球の組み合わせコースもあります

わさび農場の頭に「大王」がついているのがいつも疑問でしたが、
わかりました。
八面大王が再び復活せぬよう身体を刻んで埋葬したとの伝説があり胸を埋葬したのが
この一帯で塚を建立、その縁で大王わさび農場と命名されているそうです。
悪者扱いだった大王は、実は村人の苦難を救ったのだとの説もあり、昨今脚光をあびているようです。
そのゆかりでユニークなデザインの「八面大王足湯」が誕生しました。無料ですよ

農場の澄んだ湧き水は黒澤監督の映画「夢」の撮影にも登場しています
また最後のシーン撮影時の定宿が「ペンション クラーレット」で、監督が泊まった特別室がありました。
安曇野を一望できる高台にあります(数年前と今年の2回泊まりました)

9月19日のち

すっかり黄色く色づいた稲の刈り入れが始まっています
今年は暑かったせいか概ね日程が早いと農家の方から聞きました

散歩の途中で農作業の男性Aさんと話したこと

「稲が倒れています」
以前からあちこちで見かけていたので、台風の影響かと思っていました
これは農家の厳しい現実です。決して病気ではありませんが、天候や雨量を推察して
育成するなかで、肥料か農薬の量を間違えた結果だそうです。体力が落ちているわけです

Aさんの刈り入れ後の様子
コンバインで刈り取り、もみを機械的に1日間乾燥させる
わらの一部は短くカットして田んぼに撒いておき土壌を守る
長いまましばらく寝かせて乾燥させ、畑のイチゴや野菜の越冬用の布団にする
△に束ねているのは、ぞうりや縄その他に加工して利用するのでこれも乾燥する
と無駄なく使います

「最近こんな光景が少なくなりましたが」

ハゼ掛けといって20日間くらい天日乾燥する昔ながらの方法です
この方法は大変美味しいが手間がかかりますから、いまでは農協などに出荷しない
自宅用にやっているのだそうです。つまり機械乾燥と天日乾燥を併用しているのです
勿論天日乾燥だけにこだわった米づくり、理解ある購入者と契約販売をしている
農家もたくさんあります
因みにコンバインの運行は、田植え時は時計回り、刈り取り時は反時計回りだそうです

「ところで雨も降るでしょうし20日間くらいで乾燥できるのか?」
疑問をぶつけたら
そこは専門家だから雨のすくない時期など、総合的に考えて刈り入れ日程を決めると、
胸を張っていました
また雨に濡れても、もみがついていた穂を下にして風通しよくするので、乾きが早い!

しかし減反の話になると顔を曇らせて「悲しい」と
このおじいさんからお米を買いたいなぁ・・・・・

9月21日
魚が好きです。海のない県で美味しい魚をというのは勝手すぎるのか?
現在のように流通がしっかりしていれば、山の上でない限り差は無いだろうと思うのだが、
先入観からか「おいしい魚」と口走ってしまう。

山麓線松川村を走っていてこんなワイルドな看板を発見 んっ

店の名前は「釣人」
「魚は何処から?」
「糸魚川漁港と沼津漁港から、そして店長の釣った魚!」ですって

「とんぼ玉美術博物館」から大町方面(北)へ右側です。
もう少し北へ「安曇野ちひろ美術館」から1分北の西側に姉妹店「海の家」(こちらは未体験)。
ランチに行きました。魚がメインなので「野菜の煮物があったらなあ」などと贅沢を言ってはいけません。
生簀で泳ぐ魚をみながら・・・ ごちそうさまでした

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安曇野(あづみの)はどこからどこまでを指すのか?

安曇野は、かな書きなら「あづみの」が正しい

しかし「あづみの adumino」で漢字変換するとパソコンも携帯電話も「安曇の」となる
「あずみの azumino」と打ち込むとしぶしぶ「安曇野」と表示される。毎度消化不良である
街中の看板は「づ」表記「ず」ありとまちまちですが・・・・

「信州」に観光的な集客性があるように「安曇野」も大変響きのよい言葉です

安曇は、九州・福岡からやって来た安曇氏の開拓により拓けたといわれています
松本平に続く安曇平とも呼ばれていた
安曇野は臼井吉見著「安曇野」で初めて「平」から「野」と表現されて、一躍有名になった
経緯があります

新信州人としては、疑問がある
その1
JR梓橋駅のホームに看板があります。松本からやってくると
「ほう、そうかここから安曇野なんだ」と感激しました
梓川から北を安曇野、南は松本市だからこれは分かる

梓橋から先のJR大糸線の駅には、ここから~~、つまりここで「安曇野」は終わり!を
あらわす看板を見つけられなかったので、JR松本駅に聞いてみました
「そのような看板はありません、梓橋駅の看板もいつからあるかも分からない
JR東日本でもわからなかった」とのことで、国鉄時代の作品ではないかと想像しています
(梓橋駅の係員も知らなかった)

その2
安曇野とはどこからどこまでの範囲を示すのか?
沿線でいえば穂高町までというのと大町市も入るという説があるらしい

大町市役所観光課の説明で納得しました
・北は大町市南の高瀬川から南は梓川までの肥沃な平野を安曇野といい、
   おいしい安曇野米の産地である
・大町と北の小谷村、白馬村などは「北の安曇野」ともいえるが、
  どちらかというと山岳地帯であって野というイメージではない

私なりの結論
伝説的な有明山、象徴的な常念岳からずっと扇状に高瀬川へ向かって伸びる台地を安曇野と呼ぼう  
このあたりでも標高500メートルほどある
そうして南北に流れている高瀬川から東の山へ向かう明科町と池田町の田園も含めよう
池田町の山手から眺める平野と北アルプスに落ちる夕日の美しさといったら・・・・
土地を探している時に常念岳を眺める明科町を勧められたことがあり
今なら「さもありなん」と非常によく理解できます
JR大糸線での範疇駅数は、観光基地の賑やかな穂高駅や無人駅もあり、13駅となる

写真上:朝夕はやや賑やかな豊科駅  由緒ありそうな駅舎の看板

写真左:池田方面の山からの朝日(雲海と飛行機雲)  写真右:安曇野の稲穂

安曇野を大町から木崎湖まで含める本がありました
ああだこうだ田舎はとかく暮らしにくいと言いながら、やっぱり離れられないんだろうなと読み取れる
1978年刊行本です。27年後の今どんな思いか聴いてみたい

ところがその後いくつかの本を読み、ネットで見つけた情報から推察した結果
「小太郎伝説」(日本昔話の/龍の子太郎にそっくり)など民話、伝説からみて
大町は安曇野でしょうね

海洋の安曇族により開拓されたという伝説、
大昔安曇野は湖につかっていたが小太郎によって平野になった、
海のない穂高町の穂高神社で「御船祭り」があり、そして境内には「小太郎の像」がある
これで少しまとまったみたいです
穂高神社の氏子が住む地域はまちがいなく安曇野です(当然過ぎるか)

安曇野は「安曇族」「小太郎伝説」と有明山伝説「八面大王」で形成されているのです

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9月の安曇野

14日に更新しました

6日台風が九州に上陸
衆議院選挙について更新(30日選挙について一部訂正)
30日オクラの花の写真を追加

稲穂が黄金色になりました。
先日から気になっていた謎の人物がいる田んぼの畦道へ行ってみると・・・・
リアルなかかし
マネキンに服を着せ虫網を持って(電動で網が揺れるといっそう面白いのに)すずめ?からす?退治
写真左:横から     写真右:後姿

写真左:ヒールを履いてる(水色のペンキ塗装)    写真右:畦道に座ったTシャツの女性


作業中の農家の婦人は持ち主ではないが、「評判で毎年作っている。遠くからも撮影に来てるよ」と
解説してくださり、すっきりしました

オクラの花はご存知ですか?
じゃあその花を食べたことはありますか?
3日
本日堀金物産センター(信州堀金村 道の駅)で売っていました。鮮やかな黄色で16個100円なり
花の長さは5センチから10センチのものまで混ぜこぜ
生でサラダや酢の物にどうぞ!とのことで、早速夕食の「キャベツときゅうりの胡麻酢和え」に参加させました
写真を撮り忘れたので、残りの花を並べてみました(実物はもっと綺麗です)
写真右:道路わきに咲いていたオクラの花(9月下旬の小布施にて)

絵葉書の風景をさがす
写真左:夫が7月に知人から頂いた絵葉書の写真は、近所に違いない!と探索開始
写真右:
9月1日  夫の執念(笑)でついに発見
9月3日  改めて撮影に。しかし夏の山は冬のように美しく見えることが少ない
しかも蔵はリフォームされていた

ついでに季節の花 「蕎麦の花」 すぐ右隣の畑で揺れていた

新信州人の初選挙投票

大阪(前住所)から9月11日の衆議院選挙投票の案内封書が転送で届いた
あれっ!すでに転出転入を済ませているのに・・・・
国政選挙の投票権利は、3ケ月以上在住していることが「公職選挙法」
定められているためであった

ちなみに地方選挙(たとえば市長選など)も同様です
10月1日「安曇野市」が誕生するが、それに伴う市長選などの選挙権はありません
 
早速役場へ出向きました

会場にて職員立会いの上開封する

3通(比例代表、小選挙区、裁判官審査)の投票用紙にそれぞれ記載し封をし、署名する
担当者に手渡す  これで終わり。つまり「不在者投票」の要領である。
勿論大阪での立候補者名を記入する

「期日前投票」とは、平15年の選挙法改正で登場した施策で、面倒な署名を省き
投票日当日の要領で投票ができるため、人気があるようです

9月7日
夫は先日見かけた看板の撮影にでかけました
自宅から車なら5~6分の電柱にそれはあります

ギョ

実は昨年春にも出没情報があり「まさか!」と思っていましたが・・・
夜間に出没することが多いらしい。ラジオをかけて歩いたり、鈴をさげたり、
出くわしたら目を見ないで少しずつ後ずさりし、決して走らない。などなどが対策だとか
お腹がすいて里に下りてきてるのだから、昔からよく言われている死んだフリなどもってのほかですぞ

9月8日
台風14号の影響はいかがでしたか?
被災地域の皆様にお見舞い申し上げます
わが安曇野は山に囲まれた盆地のせいか、風より雨がしんどいです
台風一過、よく晴れわたり爽やかな風と青空は初夏を思わせる朝です

散歩の途中に(穂高町のすぐ北隣・松川村にて)

ヤマボウシの実がいっぱい。生の味は少々苦いがジャムにできるそうです
我が家のヤマボウシも来年にはこれくらいの実をつけてくれるのか?

こんな綺麗な蜘蛛の巣なんぞ見たのは何年ぶりだろう
直径80センチはあります

9月12日ぬけるような青空
皆様、昨日は投票にゆかれましたか?

さて静かな安曇野の林の中には、色とりどりのきのこが・・・・
写真左:直径12~3センチはあろうか、まるでブール(フランスパン)のよう 
写真右:黄色にはいかにも毒がありそう


写真左:女性のセクシーな唇を連想させるちょっとワイセツな感じ  写真右:透明感のある白に淡い茶色のぼうし

いずれも食用の可・不可はまだわかりません。後日図書館の図鑑で調べます
春は山菜とり、秋はきのこ狩とあちこちの山や林に人影がみえます。最近は近所の敷地でもロープを張って
「立入禁止」の札が目立つようになりました
マツタケがあるわけではありませんが、結構食用きのこが採れるんでしょうね。毒にご注意!

9月14日夏が戻ってきた!

「堀金物産センター」(道の駅、常念岳に菜の花の構図で有名)できのこを調達
シールに生産者の名前が書いてあります

     茶色えのき
ヒマラヤひらたけ しめじ これだけで280円分です

早速今夜のメニューは「きのこたっぷりマーボー豆腐」にしました  

ところで全国に「道の駅」はいったいいくつあるのだろうか?
ドライブ中に情報、トイレ、温泉入浴 食事、土産、地元の新鮮野菜と重宝な存在
2005.9.5現在 830箇所もあり、詳細は「全国道の駅一覧」

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8月の安曇野

8月27日(土)緊急更新
たいしたことではありませんが、昨日更新の記事に今朝新しい展開があった
今朝の新聞とWebに「ボンカレー」のクラシックパッケージが37年ぶりに
復活だそうで、松山容子さんから松坂慶子さんを起用とのこと

8月26日更新 久しぶりに
8月14日のち夜
安曇野は観光シーズンど真ん中。あちこちのナンバーを付けた車で混在しています。
お気に入りのレストランを見つけたので紹介します

8月上旬、引越し前泊の宿に初めて利用した「グレイスホテル吉野」
以前から看板は見ていたが、泊まる機会は無かった。
観光シーズンにはいり穂高の宿はどこも満室だったが、記憶を頼りに電話するとOKとのこと


勿論部屋に問題は無く安くて助かったのだが、朝食が素晴らしい。
525円とは思えない。レトルト食品の温めでなく、ホントの手作り料理だった
チェックイン時に和食か洋食か選んで予約します
レストラン「BAKU」  0263-82-7050
ここはランチもいただけます
美味しいからと週に3~4回ランチに来る婦人がおられるそうですよ
ただし夕食は不可。しかし予約をすれば対応してくださるそうです
お誕生日会や親戚の歓迎会などにどうぞ

8月26日 数日の雨続きに台風一過 久しぶりの天気に恵まれました
稲穂が黄金色に輝き始め、少し頭を垂れています

頭を垂れながら(謙虚な気持ち)
「自身の足元をしっかり見つめて一歩一歩着実に歩めよ、さすれば願いは叶う」
と教える脚下照顧   
穂高の大王わさび農場に続く道にある曹洞宗 吉祥山東光寺山門の大下駄です

あまりの大きさに笑っちゃいます

笑うといえばこちらも通るたびになぜか笑ってしまいます(ふたりともタスキをかけているように見える)
国道147号線沿いにあるクラシックな看板
地方で列車の車窓からたまに見かけるカンコー学生服、オロナミン(めがねのおじさん)、
ボンカレー(笑顔のお母さん)などの懐かしさに似ています

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7月の安曇野

7月24日 更新しました 23日 の現場にて
7月14日 更新しました

4日のち
雲が降りて幻想的な景色と成長著しい稲。  うっ雨粒が・・・・

写真左:上棟式当日に拾い記念樹に決めたどんぐりは、ぐんぐん大きくなり、23センチに成長している
写真右:近所から頂いたアジサイも元気いっぱい、しっかり土に馴染みました。山あじさいならもっと嬉しい

ホントはしないほうがいいのだけれど、誘惑にまけて鳥のえさを木にぶらさげました
落花生の両端をカットし、針金を通して輪にするだけです。巣箱をかけた時来やすい
のではとバカな人間らしい発想です

巣箱作りに挑戦

安曇野で有名な喫茶店「ガルニ」 ガイドブックにはきっと掲載されている店です
その庭の木に鳥の巣箱がかけてあり
二つのうち右の箱には、今シジュウガラが巣作りをしているそうです。シー
さすがデザインはGood!です

いつか巣箱をかけてみたいとかねがね思っていたので、これは実現する時が来た!と直感しました
夫の来信を機に、早速ホームセンターで材木、モクネジ、のこぎりを調達する
さて作品は・・・・・


木を傷つけないため麻ひもでくくりつけ、穴の大きさは直径3センチ(角の穴は横2センチ縦3センチ) 
シジュウガラに適当な大きさです。この巣箱には”ロクジュウガラ”と名づけました。

絵本から
写真左:本屋で偶然見た本に”有明山”のそっくりさん
写真右:本の表紙 福音館書店 「月 人 石」 書;乾千恵  文;谷川俊太郎  写真;川島敏生

 


かなしみを うけとめてくれる しずかなやま

旬の味  ベリーセット
堀金物産センター(収益力バツグンの道の駅)で¥350でてんこ盛り 生のまままたはジャムに

23日 の現場にて
寒い3月から、大勢の職人さんたちや私達を守ってくれたコンテナハウス(左の白い小屋)

特に暑くなってからは、窓と入口を開けるとさわやかな風が通りぬけました
「里(市街地近辺を里と呼んでいました)から来るとここは涼しい」と嬉しい小屋でした

今日は外回り清掃のお手伝いをかねて現場入りの棟梁の奥様とお姉さま、原口さん、舛田さんの6人で
夕方の休憩時、小さなパーティになりました
お姉さま持参のしそジュース・干し柿(写真左:落花生の文字は包装紙)
きゅうりのカラシ漬け・きゃら蕗・梅の甘煮(写真右:)などすべて手作りです
旬のものをたくさんつくり、冷凍してあるそうです(適材適時?)

知らされていなかった私にとっては、久しぶりの女同士の会話にすっかり疲れがとれました

25日
さよならコンテナハウス
今日で撤収されました

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6月の散歩道

上旬
雨乞いをしたくなるほど晴天続きです。
記念樹のどんぐりや頂いたアジサイを植えたものの、ちゃんと根付くか心配です。

幹線道路から現場へ向かう林の道が素晴らしい。マイロードと呼んでいます。

正午過ぎ通過したとき穂高連峰が墨絵のように綺麗でした。帰りに撮影しようとしたら
こんな惨めな被写体になっていました。シャッターチャンスは逃さないことです。
仕方ないので、ちびの私が生意気に乗ってる車をモデルにしました。遠くの山は有明山

先日撮影した庭にある結構立派な山椒の木です。現在押し葉をしています。
できればしっくい壁か珪藻土壁のほんの下のほうにはりつけて遊ぼうかと考えています。
ついでにペン先で実を散らそうかと・・・・・

早速押し葉がふたつできました。とげまでしっかりついてます
左官工事のブルベリおじさんに提案したところ、手持ちの稲穂やもみじを
勧めたかったのでしょうが「いいでしょう」と賛成してくれました。
どうも稲穂は旅館や蕎麦やの壁になりそうで、敬遠したかったのです。
情熱系の彼は、私の情熱にあわせてくれました。

自宅の庭にあるものを使うのはよい記念になります

中旬のある日
こんなもの発見しました

近くのスーパーマーケットの片隅にひっそりとそれはありました。
4個1パック販売は低糖版と同じです
「チヽヤスヨーグルト」 チチヤス でないところに、こだわりを感じますね。
長い間「低糖チチヤスヨーグルト」を愛用していますが、このヨーグルトは初めて見ます。
ラベルに「1886年創業以来、培われてきた伝統の味」とあります。
「チチヤス乳業」ホームページには、ケースの形へのこだわりも読めます。
以前、ケースについてプラから紙にならないか?4個分を1パックにならなか?と
お客様相談室に投書しましたが、返事はありませんでした。このこだわりでは
そうそう変更はしてくれそうにないです、納得しました。
広島でガンバル企業ですが、特別な関係はありません、念のため。

小雨の中を現場へ
田んぼの稲の緑がめに鮮やかになってきた今日この頃、畑では麦の穂が背伸びして黄色くなってきました

都会ではあまり見かけない踏み切りです。
仮住まいを始めてから一旦停止は何回もしましたが、本日初めて列車の通過に遭遇

6月25日
大阪から打ち合わせに来信の夫と二人で、近所のレストラン「ガルニ」でランチを。
手入れの行き届いた庭にカメラを向けると、鳥の巣箱を発見しました。
「箱の一つに今、シジュウガラが子育てをしている」とスタッフ


巣箱2台
右:よく見ると部屋だけでなく外側に縁側?がありそう 
左:こちらなら作れそうです。枝の止まり木に愛嬌が・・・

私達の狭い庭の松の木に架けたい。素人大工の一品に参加! そこで
ネットで巣箱を検索すると、架ける時期や鳥の種類によって入口の大きさを変えると
書いてありました。ほ~