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景観保護は贅沢か

今朝、で外気温は5度 10時頃には風はあるものの
あちこちから福寿草のたよりが。

近くの散歩道、建築中の家の前で安曇野在住の男性建築設計士と会う。
話題が自然や景観になり、先日電車内から見た木曾福島内のエンジ色屋根

(3月9日の当ブログ記事)について聞いてみた。

あの地域は何年か前に立派なリーダーがいて、屋根色がばらばらにならぬよう揃える方向になった。勿論全戸がエンジ色ではない。グレーの瓦屋根もある。
ところが最近になって、エンジ色をもっと落ち着いたグレー系に変えてゆこうという動きがあるらしい。山また山の谷あいの町なので、これ以上暗い色はどうかとは思うのだが・・・。

安曇野市もせめて壁と屋根の色を制限し、田んぼや敷地内庭にあるブルーシートを白かグレーかベージュ色(こんなシートがあるんかいな?)やめてもらうと、ずいぶん違うのになあ。こんな嘆息を漏らすのは市内でも少数派、特に新信州人が多いという。
田畑から開発会社の分譲住宅に変わってゆく傾向は確実に増えている。
地元の多くの方々には生まれた時からの生活の全部であり、また北アルプスや里山や田畑や屋敷林が美しいと叫んでも、『生まれた時からだべ』。県外の人々が「美しい安曇野」を羨ましがっていることも特に認識していないのではないか?自治体の認識も大同小異かも。

との結論に達した
宝物が手中にあるのに、失って初めて知るということか。惜しい惜しい残念

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我が家の古繭で学習しました

3月3日の繭↓(当blog「もうすぐ春ですよ~」に登場)の後日談


時期的には繭としてはすでに完了しており、これ以上なにもない。

穂高有明の天蚕センターに行きました
自然の山野でクヌギ、ナラなどの葉を食べて繭を出すものを天蚕(てんさん)といい、
日本原産の野蚕である・・・という。飼育地は乾燥気味の場所が良く、水分を嫌う。
一般的な家蚕は、水分が切れると死ぬらしい。
天蚕は全国的にもあまり無く貴重な産業であることもわかりました。
なにせ絹織物商品としては高価で、その美しさは繊維のダイヤモンドとも言われる

写真左:繭玉製造中(センターのデモ・モニターから)
写真右:虫も緑色で、孵化すると白い蛾となる。そのまま放置されたものが
     上の写真のようになる

写真左:天蚕農家の背の低いくぬぎ畑。緑の葉が繁り、幌をかぶせて(猿害・鳥害予防)
     蚕を繁殖させ繭を採集する。
     安曇野市が買い上げ、絹製品にして販売している
写真右:別室で機織デモンストテーションを見る事が出来る
     ここで、私のかわいい繭があるんだが、なんかできませんか?と質問すると
     以前、繭の上下をカットし紐を通して紐タイと洒落た紳士がおられたよ・・・と

湯につけて柔らかくする→
綿のようにほぐす→
糸状に引っ張り出して手で紡いでみては?
などと嬉しいことを伝授してくれる。ダメ元で挑戦しよう

さらに学習したいかたにおすすめ
http://www.avis.ne.jp/~yojikoba/tensan.html

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安曇野の白鳥 北帰行始まる

数日前から始まったと地方誌に記事があった
まさに「スワンが来るころ帰るころ」である

写真左:05年12月27日 豊科IC付近の犀川飛来地の案内板
写真右:06年1月8日  明科付近 御宝田飛来地の案内板

年末年始の飛来数である。報道では一時期2300羽ともあった。
それがどうだ! 私達人間が「もうすぐ春だべ」と感じれば、白鳥だって・・・・

3月5日現在きっちり200羽いなくなったのです

白鳥保存会の皆様いつもお世話いただきありがとうございます
今年は、負傷鳥はどうだったのだろう?
無事の北帰行を祈るばかりです

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3月も もう5日、ラフティング初体験に歓喜する

4日~5日は

昔から
1月はいく 2月はにげる 3月はさる、などと日のたつのは早いことを表現。全くである。
朝の外気温はマイナスでも晴天ならGood day
写真左:ひさしぶりの撮影 有明山の朝焼け
写真右:帰り道、のんびりまどろむボンネット上の猫2匹(鋼鈑が電気カーペット)
     どなたか一句よろしく

横浜からのお客人たちは、
4日のスケジュールを大王わさび農場→蔵久→ちひろ美術館にしぼり、青空の常念岳はじめ
北アルプスや白馬連峰を眺めながらゆっくりとドライブ。
晴天なら「私は晴れ女」と自慢し、雨天なら「誰?雨女は」と人のせいにするいつもの旅気分は、
揉めること無く過ぎてゆく

写真左:雲の上に頭を残す常念岳
写真右:遠く白馬連峰まで

写真左:わさび農場駐車場近くで、木のてっぺんに白鷺が羽を休める
写真右:観光客のまばらな、シーズン前の水車小屋も風情あり

写真左:ちひろ美術館内、広いガラス窓に有頂天な子ども?
写真右:賑わいシーズンを待つ、リゾート感覚のパラソルと木製の椅子がある陽だまり

この美術館の人気の高さはおそらく安曇野一
大人の方に是非お勧めです

3月5日は「水辺のつどい」という万水川を深く知るための、イベントに参加しました
ラフティングボートで約30分の体験乗船。
わさび農場駐車場そばから犀川本流に出たところまで。
30年に一度あるかないかの洪水災害にそなえて、川の護岸工事計画が
もちあがっているという。今日はその万水川とそこに生息する魚や鳥や植物の素晴らしさを
無料で体験できるイベントです
写真左:安全に遂行するために楽しく注意を促すスタッフ
写真右:ヘルメットのガムテープ名札に、父は「おやじ」娘は「m」 楽しく過ごす極意

写真左:初めてだけど少し予行演習して、いざスタート
写真右:水量の少ないこの時期だが、スムーズに流れてゆきます
     釣人の前を通過するときは「ごめんなさい/どうもありがとう」の心で・・・・静か~に

自然保護のあり方は、もうすこしキチンと勉強しようと思います
よいきっかけになりました

お客人たちは、午後2時18分の特急「あずさ」乗車に間に合いました。
今日のラフティングは安曇野の景色のすばらしさとともに最高のお土産になった!と熱い
喜びメールが届いています。
催行担当の「わんだー えっぐ ネイチャー&チャイルド」のスタッフの皆様お世話になりました

おっと遅れてしまった3月のカレンダーは
八坂村の郷土かるた「春らんの 花山里に 春を告げ」

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巨大ボーリングピンの正体

2月22日午後。もう春が来たかと勘違いするほどの暖かさ
しかし騙されてはいけない、明日から「寒の戻り」予報です

道端に巨大ボーリングピンが立っている。
写真左:池田町1丁目交差点を東へしばらく走り、左へカーブをきった途端に出現
      ピンと木々の間から遠く北アルプスの白い峰が覗いています。
写真右:窯元の建物。築100年以上の古古古民家です

どぎまぎするほど大きく、おそらく高さ5メートルはある。
所有者はすぐ前の「相道寺焼の窯元」宮澤さん。”あいどうじやき”と読む

経緯はこうだ
ずっと以前明科町との境界近くにボーリング場があって、建物の上にド~ンと立っていた。
約30年前の閉鎖に伴う取り壊しの運命にあったピンを、当主が看板にするつもりで入手し、
しばらく寝かせていたのだが、20年前くらいに土台を造り立たせたそうです。
窯元だからといって陶器ではありません。
現在文字も絵もなく真っ白のまま、ただ立っています。
建物の周りや陶芸教室には、昔の小学校のモノと思われる机や椅子がいっぱいありました
懐かしい、欲しい

ピンについて何かアイディアが浮かんだ方はWebサイトから提案メールを送ってみてください

余談
近辺の散策地図ですが読めません

近くには「俳句坂」なる隠れた名所?もあるそうです
今回は行けませんでした

ボーリングピンと窯元の間のこの道は「美しい日本の歩きたくなるみち500選」
中部ブロック・長野県第1位に選ばれています
北アルプス展望の道として、池田町のクラフトパークから大町市の国宝仁科神明宮までの
東山沿いの道です。こんな本も出版されています(写真はamazon.comから拝借しました)

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池桜せっぷん道祖神

外気温-3℃で晴天、”暖”のち”冷”はこたえます
最近「熟年離婚」や「団塊世代の大量離婚」や「年金受給の新制度待ち離婚予備軍」
などとどうも夫婦の問題が危なっかしい。
「こども受難」時代でもある。拝金主義思想も蔓延しているようだ。
ここでもう一度素朴な日本を見直してみよう。

安曇野には、江戸時代中期から後期にかけて石を彫り夫婦(男女)和合を表現した道祖神が
たくさんあります。
(穂高駅前のひつじ屋さんの安曇野道祖神図鑑参照してください)

本来は民間信仰のひとつで、道辻や集落の境などの路傍にひっそりと佇んでいる神様たち。
子どもを守る、旅人を守る、五穀豊穣で農民を守る、悪霊を祓うなどさまざまの役割を
受け持ち、さらに家内安全、商売繁盛、防災、縁結び・・・と忙しい。

微笑ましく、過激でもあり珍しくもある道祖神を昨日見つけました
安曇野市明科池桜
JR明科駅(19号線)を北へ、木戸交差点東入る(403号線戸倉方面)白坂口バス停から山道を北へ上がる

急勾配の細い道を登ること5分。もう限界!標高700メートル付近の民家へ車を置かせてもらう
さらに徒歩3分でやっと到着

おみごと!
江戸時代後期の作品と推定さている。
昭和27年に学者から注目され、パリ拓本展に出品し好評を得たという
民家のご主人の話では、拓本は集落で作成して送ったのだそうです

帰り道、見上げると道祖神のそばにひっそりと墓石が数基並んでいる
現在この集落には高齢者世帯3軒しか住んでいないが、数年前まではもっと住宅があったのだ

民家を辞する時、もうすぐ80歳になるご主人が回覧の配布に2軒を訪ねると言う
杖をついて山道を一周するとおよそ1時間くらいかかるのです。
「ほらあそこに」と指さす方角に小さく民家が見えた。
「何度も嘆願して、最近やっと標識を設置してくれたんだわ。よく来てくれたなぁ」と
満面の笑みで見送ってもらいました

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『2月4日疎水百選』拾ケ堰その後

朝6時の外気温-4℃、12時現在も0℃ですがです

拾ケ堰について田沢橋西の「安曇野農業水利事業所]」で説明を聞きました。
今年の3月で安曇野の排水設備事業は終わります。
『のどかな原風景の残る拾ケ堰』の発見はできませんでした。結論から言うともうないのです。
しかし原風景から大きくはずれない努力と知恵で整備してきたと、制作パンフは訴える。

堰は拾ケ堰だけではない。
立田堰ほか平安から鎌倉時代に築かれ、新田堰・矢原堰も拾ケ堰の前に出来ており、
いずれも現在も現役である。
これら堰は1000年にわたり需要する農家の負担でそれぞれの土地改良区という組織で、
営々と維持管理されてきていることを初めて知りました。

台風や洪水による堰からの溢れた水で田畑や家屋を壊してきた歴史から、
安曇野を守る為の水利事業が、まもなく終わろうとしている
安曇野農業水利事業(農林水産省と一部県)だそうです。
その施策に国や県と土地改良区との軋轢は無かったのか?と心配する。
よそもんの私が、漬物石(みたいな)を積み、サイクリングロードが走り鉄柵を設けて・・・
などと感傷ごとを言うのは憚られる。
う~ん。。。。水路に人が落ちたら誰が責任をとるのかという発想にも見える。

写真左:農林水産省 関東農政局安曇野農業水利事業所発行のパンフ
護岸施工・景観に配慮した用排水兼用水路など工法の説明と、施工前後の比較写真などを掲載
写真右:平成12年発行の20ページのパンフ。堰の歴史や偉業を紹介(発行は同水利事業所)

右写真が今も変わらぬ風景であることを願ってロケ探しに行きます

農業・生活形態の変貌、林業の衰退にともなう山林の荒廃、農地転用による住宅開発、
商工業地域化などさまざまな水使用形態の変化がもたらす影響もあろう。
とにもかくにも排水機能をもつ水利事業はひとつの役目が終了するのである
これからも安曇野の財産である平野、水、山、風、森、空を大切に見守り続けたい
「拾ケ堰応援隊」なる住民参加組織の設立が予定されているらしい

写真:最近撮影の万水川(わさび田へ続く川)
地元の方の話では荻原碌山が住んでいた頃に比べると、最近は汚れてきたそうです

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『疎水百選』に選定

2月4日 朝6時の外気温が久しぶりに-7℃
温まるニュースが本日の「市民タイムス(地域紙)」に。

安曇野拾ケ堰(ジッカセギと読む)が農林水産省の『疎水百選』に選定された。
(ページTopは穂高の水車小屋近辺に違いない)
一般公募226000件からの入選は嬉しい
昨年10月に、サイクリングロードや鉄柵のないできるだけ昔のままに近い風景を
探しに行ったが見つけられなくて・・・
上記サイトを是非。美しいだけでなく「先人の知恵と努力の詰まった堰」の紹介です

2005年10月撮影:豊科南部公園近く

当サイト10月の安曇野 拾ケ堰見学にも紹介しています。
つい先日「原風景に近い拾ケ堰はどこかに残っていますか?」と農政局農業水利事業所
(田沢橋西)に問い合わせた直後だけに興味深々。近々情報を頂きに行く約束をしています。
乞うご期待 続編掲載

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景観保存は難しい

2月1日雪道がベチャベチャになったが、家屋には救いの雨である

最近では環境に配慮した条例は各自治体にあるのだろうが、旧穂高町にも
「穂高町町づくり条例」があります。
安曇野市の~~~ではない。ハードル(線引き)は各町村によって違うので、
あくまでも現在は旧穂高町地区を対象にしているのだという。
市町村合併はただ「利害関係が一致したから一緒になりましょう」だけでは
なかなか済まないようで、多分これから新しい条例を作って行くのでしょう。

安曇野には水田とこんもり繁る背の高い樹木が混在している風景があります。
屋敷林です。
美しく残すためには木の手入れも必要ですし、その維持費も大変です。補助金を捻出してでも
残そうという取り組みがあります。
しかしその一方で新しい住宅地の開発が盛んなのも事実。最近見かけた開発地は、
勿論更地で100坪以下の敷地11区画に、カナダからの輸入材木で建てるというもの
写真左:田んぼのなかの分譲地現場
写真右:パンフレットから拝借。『自由設計のカナダからの家』で
     『雄大な自然にとけこむ家から町並みにフィットする都会的な家まで』
     

完成後常念岳をバックに眺めれば、確かに雄大な自然の中の家に・・・・
山麓沿いの林の中の方が美しい建物でないか・・・と余計な事を考える
屋敷林があったであろう水田の真ん中にあり、土地所有者の代が親から子へ変わってゆくと
その維持は困難になる。建築現場の方に聞くと10棟は売約済み。庭に木を植える約束は出来て
いるが、各施主に任されているという。

穂高の万水川近辺を歩いていたらこんな看板がありました。
写真:「景観形成住民協定区域」と書いてあります


遠く東山方向に大きな煙突があり、私達のごみの焼却場。
「年末と木曜日以外の毎日煙を出しています」とは近所の人の話
複雑な心境です・・・

建物の向こう側は明科の白鳥遊水池で、アルプスをバックに飛んでる白鳥を撮影すると
必ず煙突と煙が写ってしまうロケーションです。
看板近辺の指定する区域では屋外広告やネオンサイン・看板の色などを、住民と
土地所有者と建設事業者が協力し景観を守りましょうという主旨だそうです。

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早春賦歌碑と凍ったトイレ

風は冷たいが、ピーンと晴天続きです
あづみ野コンサートホールへチケットを受取りに行ってきました
さすが関西人。フレンドリーなオーナーご夫婦でした。
裏から見た建物も美しい


すぐ裏にはわさび畑が広がり穂高川が流れています。
土手の散歩道を歩くこと3分、早春賦歌碑がある。安曇野には「早春賦倶楽部」があり、
春には音楽祭も開催されている
歌碑の裏に寄付者の名がずら~りと明記してあり、安曇野市長の名も。
中に吉丸○○とあったのは、作詞者のお孫さんか縁者の方ではないかな。
おそらくオルゴールの鳴る歌碑は全国でもここだけではないかと思う

早春賦の歌碑は全国に4つあるそうです。作詞者は大分県出身ですが、
大正時代の初めに何度か穂高を訪れ、その風景に感動してこの歌を作った
と伝えられている、とこのサイトに書かれていました(Topページは愉快すぎる!)
ここへジャンプすると「早春賦」の♪が流れてきます。
あぁこれかと納得しますよ、是非。曲を聴きながら記事を書いています

土手をしばらく散歩すると「公衆トイレ(多目的用)」の看板が見えたのでこれ幸いと向かう
写真左:案内標識
写真右:白壁の立派なトイレ(一昨年完成だそうな)
     しかし凍結のため使用を禁ずの張り紙が

トイレの目的はひとつだと思うのだが・・・・・
穂高支所産業観光課に聞くと
「観光客も地元の人も使ってください。女子用トイレは車椅子も対応しています」
という多目的トイレだそうです。「今年は凍(し)みて使えない」凍みるは信州の方言で、
北海道ならしばれる。凍みるからトイレに行きたくなるのに困ったもんだ。
結局ホールへ戻りコーヒー&トイレタイムで30分を過ごして帰りました。