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美しいきのこ

林の散歩道で珍しいきのこ発見!図鑑で調べると
「タマシロオニタケ」テングダケ科 有毒きのこでした
しかし珍しいものでないそうだ。

傘の直径は5センチくらいで、ひだも傘の縁の切れ込みも美しい

離れたところに小さいものがあった。
ダルマのように2段重ねで、まずここから成長するようだ。 高さ5センチくらいかな。

ひょろひょろと伸びているものもあり、柄の途中にネックレス(つば)を持つ

傘の内側をみようと、かがんで膝まづき携帯カメラを構えていたら、後ろから自転車の親子つれの男の子が
「何かいるみたいだよ」と話す声が聞こえたが、父親は無視

興味を持つことは大切だ

指で軽く押すとベロッと折れた。柄の中心はベージュ色

翌日見にゆくと、どろりと融けていた

大きな特徴は根元が球根状であること。
有毒かぁ~、しかし美しい白色だ。

雨が続いた夏の贈り物

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木実の名は

昨日の中房川の濁流画像。
耳を澄ませば水音が我が家まで聞こえてくる

しかし今日は水量こそ同じだが、もうすっかり美しい水流だった

徒歩で畑と温泉へ通うようになって、派手な植物2種に遭遇。
花に詳しい知人から教えていただいた

ウノハナ
「卯の花の匂う垣根に、ホトトギス、早も来鳴きて、忍音もらす 夏は来ぬ・・・・」 の「卯の花」とはウツギの花のこと。垣根でなく、道路脇の電信柱に絡まっていました。

これはハコネウツギだそうです。

先日のはてな?の木はジューンベリー。ジャムに使われるようで、
最近園芸店で人気だそうだ

納得しました

身近には他にあれこれ実になるものがある

ナツハゼの花、いずれジャム用に頂く

庭のフサスグリの実。赤くなるのを待っている。完熟すれば食べます

こんな実になるウグイスカグラ(鶯神楽)も庭にあります。
グミのような形で、食べられますと書いてあるが心配です

隣の空き地境界に2メートルに伸びたヤマゴボウ
ひそやかに花序が。花は美しいが、実はちょっとグロテスク

暑い夏がやってきますが、過ぎれば楽しみが待っている

今年のピカイチはブラックベリー。しょぼいですが花が咲いてきましたよー

土が馴染んできたのだろう

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湯宿どんぐり 追記

女将さんの手があいたので、ちょっと情報入手しました。

3個のカランについて

窓際の三角口から温泉は出ています。

亀と鳥のカランで各自で温度調整が出来ます。
亀からは60度の天然温泉
鳥からは水を出せます。
豚でなく熊(中央)は60度くらいの熱いお湯を出せる
(このお湯は浴槽の清掃時に利用しているそうです)

お好みに合わせてどうぞ・・・

そして女将さんのこだわりでは
「ご入浴希望時間」を予約してください
5~6人は十分入れるが、できる限り貸し切り仕様にしています。
宿泊時でも家族単位や単独希望に配慮しています

とのこと
女将さん! 入浴前に説明しておくといいですよ~

「後は誰もこなんで、ゆっくり浸かってな」
私のようにリハビリを兼ねている者にとっては、ありがたい。
浴槽内でストレッチしていま~す

今日は40分間も浴室に滞在、その成果あり?
少し楽になってきました・・・

データ追加
素泊まり、1泊朝食あり、1泊2食も連泊も当然可です

昨夜からの雨で、ブラックべリーの蕾が膨らみました

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森の隠れ宿どんぐり

我が家から徒歩20分くらいの林の中に、ひっそりと民宿「どんぐり」がある。

3人以上の来客にここでお世話になったことがある。
朝ごはんがとても美味しかったと口を揃える。

女将さんは、お話好きの愛すべきおばちゃんだ。
地元だから私が泊まることはないが、坐骨神経痛のリハビリがてら、初湯とあいなった。

玄関。入ってすぐにいろんな植物や花が並んでいる

お風呂
今朝電話して9時半の予約だから、おっと朝風呂です・・・勿論貸し切り
中房温泉から引湯の天然温泉かけ流しです。

5~6人用ですね

いわゆる内風呂ですが、ほとんど露天仕様

豪華ではないが、丁寧に清掃されている

真鍮製のカランは、亀 豚 鳥

本日は男女数名の日帰りプラン(温泉プラス昼食)のお客さんがあるとかで、
女将さんは早々に調理室へ。

自慢の楽しいお話はなし!
明日も予約してきた

データ
休み:不定休
住所:曇野市穂高有明古厩7396-18
電話:0263-83-6883
日帰り入浴:400円
地図

道順は有明山通り、「ギャラリー留歩」すぐを北西へ道なりに西側。 留歩さんから車で3分くらい

帰り道、ショートカットで畑にも寄ってみた
成長したキュウリの葉に

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TBSドラマ「塀の中の中学校」

「塀の中の中学校」は平成22年度文化庁芸術祭参加作品として、10月11日夜放映された。

松本市立旭中学校桐分校が舞台でした。

このブログでも放送の紹介をしましたが、

今朝のニュースで
第51回「モンテカルロ・テレビ祭」のテレビ・フィルム部門(単発ドラマ)において、最優秀作品賞を獲得!!加えて、最優秀男優賞が同ドラマ出演の渡辺謙さんに、さらにモナコ赤十字賞の3つの賞をあわせて受賞した。
と伝えていた。
3つの賞を同時に受賞するのは極めて異例なことだそうだ

またこのような学校の存在は世界でも珍しいということでした。
この話は松本市の公式ホームページでも紹介されてる。

税金で受刑者の学校教育をするとは何事と、反対する向きもあるだろう。
さまざまな環境から犯した罪を悔い、社会復帰した後に再犯なしの実績を、
暖かく見守る法務省や松本市に感謝です。

受賞を知らせる場面は撮影できませんでしたが、関連画像を

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麺ちょびほた丸

カウンター12席の小さなラーメン屋さん。2009年8月開店だそうな

大型農道沿いに、粋な文字が躍る面白い看板がある店だ。

思いきって入ってみた。
ラーメン屋さんに行くという習慣があまりない上に、カウンターというのは
如何にも若い兄さんたちが、丼飯にラーメンかき込むという先入観というか偏見があった。
そして脂っこいというのも苦手のひとつ。

先日ほんのわずかテレビで「さんまのだしのラーメン」とか聞こえた。
それがここの「三四六そば」だった

チャーシュー、ネギ、みつば、のり、メンマ

さんま節としろい醤油で透明なスープのラーメン。
でもって”さんしろう”そば
長野に住み、長野朝日放送で活躍しているタレントの三四六さんが気に入って命名したそうな
さんまラーメンでは生臭そうに聞こえるから・・・が理由とか

いいねいいね
まず店主の彼は「イエ~イ、らっしゃい」と言わんばかりの茶パツ兄さん。
(う~んサッカーの本田選手を3倍くらい膨らませた風貌かな?)
でも違うの・・・・
まずにかっ!と笑顔で迎える

そして話し方も所作もおっとりしており、混んできてもせかせかしそうにない。
一度混みあう時間帯に遭遇し検証してみたい。

長野県の食育推進をはかる施策として『3つの星レストラン』奨励制度がある
登録制だが、結構厳しい審査と検査があり3ケ月ほどかかってめでたく合格したそうな。
現在30店舗で、そのうちラーメン部門では麺ちょびほた丸さん1店のみ

審査対象になったメニューは↓

お客の注文は醤油ラーメンが多いとか。
わがままを言って三四六そばに”おろししょうが”を少し落として頂いたら、
あっさりした透明のスープに深みが加わりました。
塩分控えめの私が、スープを殆ど残さず麺140gを完食!

ところで店名の意味は?
ちいさな(ちょび)麺屋がでっかくなるのを夢みる穂高の丸山くん

お店データ
定休:水曜日と第3木曜日
営業:11時30分~15時 18時~23時   
地図:大型農道/穂高南大橋を南(松本方面)へ東側、ENEOSスタンドの前
難点:店舗がやや奥で、見落とす。駐車場は6台なので混みあいそうな時間はずらしたほうがベター
困難:Webには電話番号が掲載されている記事があるが、現在繋がらない。理由は店長一人だから。

おまけ

窓際にポリ袋をかぶった大きな・・・君は何号かね?

余談
もう1店
青木湖畔にある「ゼーブリック」は、ロケーション風味つき。ネギの美味しさで勝負できる店。

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安曇野ブーム?

5月29日(日)午後2時~3時25分 <長野朝日放送開局20周年記念番組>
TV朝日系列のライブ番組「安曇野わんぱく日和」が中継されます。
田園列車の旅~湧水に遊ぶ~槍ケ岳に挑むなど

アンノン族が闊歩した頃、安曇野は若い観光客でにぎわったという。

私の数年後世代のブームだろうか?
その頃は安曇野なんぞ全く知らなくて、旧国鉄の周遊券を使いローカル線や弟三セクターで、
四国中国北関東などをブラブラ旅行をしていた。

そして再び安曇野ブーム?
震災後の自粛ムードから解き放たれ、大人の休日倶楽部・吉永小百合さんや、NHKテレビ小説「おひさま」とも連動して・・・

田園列車からの景色は、こんなイメージ(過去の掲載画像ですが)

地井武男さんの番組「ちい散歩」から連想するに楽しみではある。

安曇野へ遊びに来てくれたみんな!
思い出し番組だよ~~~

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もうひとつの「千の風」

先月22日の碌山忌
コンサート会場で聞いた三浦久さんの「千の風」

新井満氏の曲を多くの歌手が歌っている。
そして世に広く紹介された
聴きなれた「千の風になって」より納得のゆく響きだった。
東日本大震災、亡くなられた方や今なお行方不明の方々の「鎮魂歌」としてご紹介します

原詩者不詳
訳詩&補作詞・曲:三浦久

私の墓の前に立ち
涙流さないで
私はその石の下に
眠ってはいません
私は風、千の風
大空を吹き渡る
まえがどこにいようとも
おまえのそばにいるよ

春は名のみの風の中に
夏の緑の木漏れ日に
金色に揺れる稲穂の波の中に
きらめき踊る風花にも
私は風、千の風
大空を吹き渡る
おまえがどこにいようとも
おまえのそばにいるよ

私の墓の前に立ち
涙流さないで
私はその石の下に
眠ってはいません
私は光、千の光
いつもお前のそばにいるよ
どんなに暗い道を行こうと
おまえを照らしているよ

私の墓の前に立ち
涙流さないで
私はその石の下に
眠ってはいません
私は鳥、千の鳥
いつもおまえのそばにいるよ
耳を澄ませば聞こえるでしょう
おまえを呼ぶ声が

だから、私の墓の前に立ち
涙流さないで
私はその石の下に
眠ってはいません

「千の風」ノートから転載

「あの鳥が来なくなったわね」と妻が言った。母が亡くなってから数日が経っていた。母が亡くなる一週間ほど前、朝飯を食べていると、見たことのないきれいな鳥がサンデッキの塀にとまった。そして、こちらに顔を向け、家の中をのぞきこむような仕草をした。その鳥はそれから毎朝ほぼ同じ時間にきて、同じ場所にとまり、同じ仕草をした。妻のいうとおりだった。いつの間にか来なくなっていた。火葬の日に庭の柿の木にとまっているのを見たのが最後だった。

人の魂は鳥になって天に向かうという。母は痴呆で入院していた。今思えば、あのとき母は最後の別れを告げるためにやってきたのだろうか。食卓にすわり、あの鳥を見たときの穏やかな気持ちを思い出す。2003年11月12日、母は92年の生涯を終えた。波乱に満ちた一生だったが、母の最期の寝顔は穏やかで美しかった。

「千の風」は明らかに母が書かせてくれた歌である。その数年前から作者不詳の A Thousand Winds というイギリスの詩をもとにことばを書き、曲をつけようとしたが、上手くいかなかった。何とか2番までは書けたが、あとが続かない。母の死後、3番の歌詞が自然と出てきた。1番は風、2番は光。3番は、鳥以外には考えられなかった。

三浦さんの活動拠点、長野県辰野町オーリアッド
このサイトから「千の風」が視聴できます。

「碌山」「次郎」とともに↓このCDに収録されています(全4曲1000円)

CDのお求めはオーリアッド 電話:0266-41-3611 
安曇野市内なら碌山美術館のショップ 電話:0263-82-2094
穂高駅前ひつじ屋さん 電話:0263-82-3888

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そばの五色

山麓線”そば街道”にある「ふじもりさん」
最近はめっきり「おうちごはん」で、ひさしぶりに伺った。

新メニュー『そばの実入り焼味噌』
香ばしくそばの実の感触がのこる食感

『滋賀県の無添加白味噌に、鰹節、くるみ、ネギを混ぜ、乾煎りしたそばの実を加え
しゃもじに付けて焦がしてある』

玄そば
『カラのついたままの蕎麦の実を石臼で粗く挽いた十割そば』

変わらぬ美味しさに舌鼓

拝借したトイレの張り紙

『ひと枝の中に五色を備える植物は珍しく、そばは昔から縁起の良いものでした』
(そばの本から転載とのことでした)

私たちの人生と健康を守る、まるでトイレの神様のようなコメントです

店内はメニューも張り紙ほかもみんな、若い女将さんの手書きです。

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CD「碌山」

穂高/碌山美術館の桜

荻原碌山の没後101回目の「碌山忌」が4月22日開催された。
今回初めて碌山忌」のコンサートに出向き、そこで知ったのが三浦久さん演奏の「碌山」と「次郎」。

”う~ん、うたれた”
メロディーは決して斬新とか、歌詞が飛んでるというのではないが、うたれてしまった。
全く知らないフォーク歌手でしたが、現在は出身地の長野県辰野町でライブハウス&カフェを経営しながら、
音楽活動を続けておられます。

会場で求めたCD(2005年)

「次郎」を紹介しなければ。作品は2004年です
歌詞
元の詩は、穂高の若者教育に心血を注いだ明治の井口喜源冶。碌山美術館と井口記念館の茶けた紙に掲示されている。
歌声とギターとハーモニカを繰り返し聴いていると、万水川を小舟に揺られ静かな波音を血流に注がれているような感覚になった。

ちょっと聞いてみたい方、パソコンにiTunesアプリケーションの搭載があれば
聴いてみる
↑をクリックし→ダイアログの[開く]→[許可する]をクリックすると音楽が流れます
(操作に疑問のある方は無理しないでください)
なぜ題名が「次郎」?
繰り返し聴いていると「次郎」は万水川を指すのではないかと思った。
だとすれば、なぜ太郎でなく次郎だったのだろう?

三浦さんによると、何人かの関係者に聞いたがわからなったそうです。
『利根川のことを坂東太郎、筑後川のことを筑紫次郎と言うらしいので、的外れとはいえないかも・・・』
そして太郎でなく次郎なのは?
『長男は家督を継ぎ、次男は家を離れ異郷に暮らすのが当時の慣わしであったと考えると、詩の内容から、太郎と次郎を比較して「次郎」という名がついたという説にも一理あるように思います』