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佐久の花

お酒特に日本酒のラベルがすばらしいと常々関心をもっている。
収集したいほどだが、大酒のみではない

「佐久の花」というお酒をご存知ですか?あまり見かけないと思います
わが家族に1名いる酒豪が言うには、とにかく旨い。
松本では多分ここだけじゃないかという山屋酒店へ行く。
 JR大糸線 島高松 松本駅から3つ目です

松本市島内高松2359-7  TEL:0263-47-3314
道順は説明できません。常念岳が見える田んぼの中の酒屋さんです

これが目印
写真左:道路わきののぼり  写真右:樽の上の空き瓶

佐久の花酒造で聞きました
なぜ販売している店が少ないのですか?
創業明治25年から変わらず、機械を使わない製法で造っている。つまり大量生産出来ないので、長いお付き合いの小売店さんに品切れの迷惑をかけぬよう、販売店を増やしていない。いや増やせない!
ときっぱり

佐久の花酒造株式会社正面玄関 訪ねて行きたい社屋です
ところで味はどうだって?冷酒で飲みました。辛口だけどほんのり甘くて・・・

間隔が短いひとつ松本駅寄りの島内駅には松本市音楽文化ホールがあります。
ここはサイトウキネンフェスティバルの会場にもなり、立派なパイプオルガンがドーンと座っている。
沿線沿いに白壁の大きい建物でチラッと「吹きガラス」の看板が見えました。何だろう、一度下車して探検にゆこう

余談ですが、JR大糸線は北アルプス線ともいいます

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LOHASな私?

最近よく聞く言葉に「ロハス」があります
Lifestyles of 「Health and Sustainabilityの頭文字をとったものです。
意味としては”健康や環境に配慮し、持続可能な社会を志向するライフスタイル”のことです」と紹介されている。

「エコ」も似ていますが、エコよりもっと視点を広げ、自分自身が積極的に関わってゆく・・・と私は解釈しました。
エコは企業や商品やスーパーマーケットなどが私達に『さぁどうだ!エコだろう!』と呼びかけているような印象をもっています。
「ロハス」は自らが積極的に関心をもち、出来うるコト・モノを実践してゆく姿勢(ライフスタイル)とでも言おうか。

おっとそうでした。もっと分かりやすい表現が下記にあります
LOHASという言葉を、2002年に日本ではじめて発表した人のブログです
LOHASのすすめ

安曇野に住んでみて、自然と環境は勿論住居・食事(農産物などの素材)・地域の人々の生き方など学ぶことはいっぱいあります。
ひと言にまとめると「もったいない」に繋がるのではないか?モノも時間も考え方も・・・・。知恵を出し合って生きる!

関心をもって、しかしマスコミや売り込みの挑発に踊らされず今後の動向を見守ろう思う。

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冬を愉しむ

やっと朝6時の気温がゆるんできて、-1℃に
全国を襲った寒気団も少しゆるんできた

鳥におせっかいする
写真左:殻つきピーナッツの両端をカットしてワイヤで繋ぐ
写真右:牛乳パックに2ケ所の入口を作り割り箸を刺してバーを用意したが、ちょっと不安定だ

いずれも赤松の木の地上3メートルに架けたが、ドジな鳥はいないような気がする

写真左:ハナミズキの実  寒さにめげずガンバル
写真右:ソヨゴの赤い実  常緑樹なので葉っぱも緑々とガンバル

長野善光寺門前通りに最近できた「パテオ大門」を覗く
祭日でクリスマスということで、どこかの団体の少女たちが踊っていた。
残念ながら午前中だったせいか盛り上がりに欠け、観客は保護者ばかりだった

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バヌアツを思い出す

バヌアツのお土産に頂いた現地の生地で、車内用の座布団を2枚作りました

手にした時は「このイラストの派手さはなんじゃ!」と思いましたが、こうして出来て見ると
なかなかのデザインである。
35年愛用の夫の冬用ウールガウンを引退させて、夏冬リバーシブルバージョンに

野良猫なのだが、誰かが餌を与えるらしくて、この寒さでもまるまると太って元気です
     まさに座布団1枚!
 

別の場所で撮影したが、これは猫の足跡? 犬の足跡?

思い出すのは、気温30℃以上が続くバヌアツの空よ海よ
しかし私達が帰ったあとすぐ、雨季の雨が続いたそうな

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富士と名前のつく山は?

20日午前6時の外気温 -10℃。積雪は昨日と変わらず。
安曇野での12月のこの気温・積雪は、近所の移住先輩者も驚いていた。
因みに積雪10センチを越えたら、道路の雪かきか除雪を市に依頼するそうです。

いつか調べる日が来るだろうなと思っていた予想を、本日決行する。
「安曇富士と呼ばれる有明山の麓に移住しました」と年賀状に記した瞬間、
”富士”と名前のつく山は、全国にいったいいくつあるだろう?
銀座と名のつく町・・・よりはまだ大義名分があるかと、ネット検索に走る。
ありました!322山(平成17年1月更新の記事)

「ふるさとの富士山大集合」これは本家富士山麓の自治体、富士市のホームページ。
「1988年8月8日8時8分8秒を期して、各地の「ふるさとの富士」 のある自治体から、
その山の石を持って富士山頂に集合し、ケルンを積むイベントを行いました」
(ホームページから転載)がきっかけの記録ですが、
なんとも愉しいイベントではないか。

長野県には信濃富士(北信)はじめ13山です。
ところが有明山は「安曇富士」「信濃富士1」と二つの名前を持つ
全国でただひとつの山(自慢するほどのことではないが・・・)。
信濃富士2は黒姫山です
ここに記載以外の富士と名前のつく山をご存知の方は、上記ページに情報提供してください。
ふるさとの富士と名のつく山の「大図鑑」作成の写真・コメントを募集中!です

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幸福度は○%ですか?

19日 午前6時の外気温は0℃と昨日よりは少し高いですが、雪がちらついています。
スキーヤーが喜ぶパウダースノウです。しかし今年は暖冬かも?と、長期予報でスキー場を
嘆かせた報道とは裏腹に、新潟をはじめ大雪です。適当な量の降雪が望ましい。
スキー客減少で経営難に嘆くスキー場に活気がでればいいのですが・・・・

あなたの幸福度は何%だと思いますか?
「モナリザの謎の微笑を解析すると幸福度は83%」
英科学誌ニューサイエンティスト最新号(17日付)は、オランダの研究者がコンピューターで、
レオナルド・ダビンチ作の、モナリザの表情を分析した結果として伝えたと、徳島新聞17日付
Webニュースに掲載されていた
謎の微笑に込められた感情は「幸福感が83%、嫌悪9%、恐怖6%、怒り2%」という結果だという。

毎日のように暗いニュースが続きます
この時期になると、『今年の十大ニュース』が発表されますが、「あぁ、あれもこれも」と
上位を賑わすだろう事件が思い起こされます。嫌悪、恐怖、怒りの合計が83%になりそう

さて、わが安曇野は
めっきり遠出が減ってしまって、近場情報ですが
写真左:鳥のえさ台を作ったが、私が鳥なら行かないぞ
写真右:散歩道の午前10時「なごみ空間 カフェ・ガルニ」はランプを灯して暖かい歓迎が嬉しい

えさ台のしくみ
土台   コンクリートブロックの穴を利用して、中央に薪を差し込む(柱)
屋根   カーブのある木の皮を利用して柱に釘を打つ
えさ置き 木板の上に昨日はパン粉を、今日はみかんを置いてみた
      (えさの種類は工夫が必要のようだ)
別の穴  松かさを埋め、杉の小枝を挿す(理由はないがインテリアといったところか)

午後3時になって美しい青空をみせてくれた
夕焼けのおまけがつくかも????

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エコツア 後日談

「美しい自然はまさに神さまが制作中のアートだと思います」  兼高かおる
30年間続いたテレビ旅番組(TBS系)を懐かしく思い出します

17日 松林の間に真っ赤な朝日だったが、まもなく曇天で風が強い一日だった

朝日放送「旅サラダ」で、マーシャル諸島共和国探訪の番組を放映していた
その中でエコツアと聞こえたので見ていたら、豪華なロッジだった。
バヌアツ経験とは相当違う豪華さだが、そこは旅サラダのこと、致し方なしだが、
その精神は同じだった。雨水利用、太陽光パネル、持込食材で自炊。
景色もそれなりに似ている
(写真はバヌアツ・ングナ島の海岸)
余談だが、この浜から3メートル泳ぐと、足が立つところにもう珊瑚礁があり、
小さい(青、黄色、白、グレーなどの)熱帯魚を見ることが出来る。
もう少し沖方向へ進むと、ど~んとすり鉢状の深さ2メートル以上になり、
紫や黄色の珊瑚礁に出会える(シュノーケルで充分!)

マーシャルでもバヌアツでも、映画「ニモ」のモデルの熱帯魚を見ることが出来る
(私達は会えなかった)いくつかの種類があり、バヌアツでは「アネモネ フィッシュ」だそうです

マーシャル諸島では産物のココナッツでオイルを抽出し、石鹸に、ディーゼル燃料にと
利用されており、その生産工場がある。
国が小さいので自国内の消費が精一杯で輸出までは出来ない。
これといった産業のないバヌアツで、応用できればいいのだが。

魚は必要な分だけ獲って、野菜や果物はマーケットに出すだけを収穫して・・・。
これがホントの自給自足のエコかもしれない。
地方にある「道の駅」も観光客相手の土産物屋さんといえども、自給自足・地産地消の役目を
果たしているのだろう。

穂高の家を建てる構想の中に
①太陽光発電を検討する  → 南面の松林で集電能力不足
②雨水貯水タンクを設置する→ 松葉詰り予防のため、樋を設置しない
あえなく実施不可となった経緯があり、残るは生ゴミコンポストである。

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折込広告のパチンコ屋さん

久しぶりに朝から快晴
5時半まだ暗い中、静かに車でやってくる新聞配達員さん。ご苦労さまです

8~9月中旬までは4時半頃でした。
大阪時代と同じ5大紙の一つだが、朝刊のみで、夕刊は希望しても配達がありません。
住宅密集地ならともかく、山側はちらほらの軒数だから・・・・
ただし地方紙「信濃毎日新聞」はここへも朝夕刊の配達があるそうです。
因みに毎日新聞社とは別会社です

新聞の折込広告の多さに大阪時代は挿入を拒否していました。
今は地域情報仕入れのため折込広告を入れてもらっているが、やはり多いです。
住宅関連 スーパー 通販 ホームセンター 車販売などなど
ところが今日は違う!

たった4枚の折込紙、しかもそのうちパチンコ店のが3枚。笑っちゃいました。


以前から主要幹線道路(国道・県道・広域農道)で看板をよく見かけるし、
その駐車場の広さにも驚いていました。
たしかに都会に比べて遊びスポットは少ない。
エネルギーをもてあます若者達は何をして夜を過ごしているんだろう?
やはりパチンコにカラオケに居酒屋さん?
しかし見渡したところカラオケボックスはあまり見かけません。
ゲートボールのようなマレットゴルフ場は結構あります

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あぶない聴講生

10月4日
「豊科近代美術館」で「片岡鶴太郎展」が10月16日まで開催されている

ずっと以前に観光で来た時、穂高駅隣のギャラリーで数点鑑賞して以来である。
その頃は、よくある有名人か芸能人の絵かと思っていたが、なかなか私好みで
あったのを記憶しています。
今回は桜が主テーマのようだが、私には予想どおり気に入らなかった。
彼の真髄は魚と野菜と果物に尽きる!
ルオーや佐伯祐三の画風に似ているのが好きな理由です。

常設展示のなかで、高田広博厚の彫刻はほとんどの作品がここにあるという。
荻原碌山のように、ここ安曇野にゆかりがある作家ではない。
作家の全体像を提示する目的と作家夫人の好意による賜物だと思うが、
導入時の住民の熱意はどこまでだったのだろうと少し気になった。

同じロダンの影響を受けながら、碌山のゴツゴツとした逞しさと激しさに比べ、
高田博厚の作品群は柔らかく気高さを感じた。
世代の違いや過ごした青春、短く生きた碌山とその3倍近くを生きた高田博厚・・・

2階の企画展へ
「階段は静かに」より嬉しい

美術館は天井が高いから。勿論近くにエレベーターがあります
最近の公共トイレに「綺麗に使ってくれてありがとう」と同じ逆説的手法ですな
美術館さんへ。美術作品は撮影しておりません。ご安心ください

10月6日午前中ときどき
「安曇の歴史」講座を聴講

美術館となりに南安曇教育会館があり、講師は「中島博昭氏」(市民タイムスから)。
つい最近図書館から借りた伝説本の作家の名前だったので、講座の主旨など
理解しないまま参加した
会議室には約30名ほど。講師の「どちらから参加ですか?」の質問に
茨城 埼玉 奈良 四国からも・・・・。ずいぶん遠くから来てるんだなあ、
そういえば部屋の隅にバゲッジがいくつかあったのに、それでもまだ気づかない
いつものアワテモノ。
私に質問がきたら「大阪から8月に穂高へ転宅して来ました」と答えようなどとのんきに考えていた

後でわかったのだが、豊科近代美術館と京都造形芸術大学共催の
通信教育部・スクーリング授業だった。どおりで遠くから・・・・
5年目だそうで勿論、地元や県外の当講座のみ参加もOKです。
今年度は3日間6講座とおして受講料500円 1講座ごとの聴講も可 500円/講座
(講座内容はホームページ参照)

講義内容(抜粋)
安曇は高峻なアルプスから東山へむかってのびる複合扇状地であり、
荒い石や土による地下浸透のため、古来不毛の地であった
 (管理人感想:下って江戸後期、この地の農民たちの汗と努力による
治水事業=拾ケ堰がつくられ、今は安曇野米、豊かな農産物の生産地となっている)
写真:偶然にも美術館からの帰りに撮ったもの(三郷にて)

○古代
漁業・船舶運輸にたけた北九州の安曇氏がはるばるこの地方へやってきて、
干拓事業、国をつくりをし、朝鮮国との交易から先進的文化・芸術の素を持ち込んだ
(管理人感想:ひょっとして「穂高神社」の「御船まつり」はその由来か?)
穂高神社は父・綿津見命と子・穂高見命を祀る
○中世
仁科氏が大町東部に拓いた領主時代に京文化が導入された
 (管理人感想:鉾が7基、各地区を練り歩き八幡神社に集結する隣の池田町
   の祭ー写真下2枚ーが京都の祇園祭の縮小版に見えたのは、あたらずとも遠からずか?)

○近代
臼井吉見の長編小説「安曇野」により安曇野に集う人々の「自前の自由と平和」精神が広く披露された
さらに新宿中村屋の創業者 相馬愛蔵(穂高出身)・黒光の日本初と言われる「中村屋サロン」
「男女平等」「自由と平和」に目覚める芸術家その他の人々が集まり、彼らを援助した
○もっとさらに「きけわだつみのこえ」(特攻隊員の遺書・所感)の上原良司が穂高出身で、残した所感は
「全体主義はいかん」「人間は自由であるべき」だった
「あゝ祖国よ恋人よ」2005.5 信濃毎日新聞社刊で中島博昭氏も執筆参加しておられます。

こうして安曇野には古代から脈々と豪快 自由闊達 自立の精神と反骨精神が培われているようです
ちなみに、東京大空襲を危うく逃れた私が生まれた日から1ヶ月半後に、
上原良司は22歳で日本を憂いながら、沖縄の海に没したことになる