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碌山美術館のポプラ

ポプラの木が好きだ
碌山美術館の老木三兄弟も好きだ
 昨年9月の撮影画像

2010年8月11日の画像には右のおじいさんがいません。
切られたようです。ストーブの薪になったのでしょうか?

薪といえば「碌山美術館のストーブに使ってもらえるなら」と薪の提供が多いそうです。

住民からも観光客からも愛される、小さな人気の美術館です
碌山美術館

4 thoughts on “碌山美術館のポプラ

  1. 碌山美術館
    蔵くらさんのお陰で、友の会に入会!
    今や顔パスで、参上しております。
    先日、初めて巡視なるものにも参加し、美術館独り占めの栄誉も受けることが出来ました。
    碌山生家の方ともお話しするチャンスがありました。
    ひとえに蔵くらさんのお陰と厚く感謝申し上げます。

    巡視はあと2日残っています。
    蔵くらさんはもう予定終了?
    一緒に慣れるといいけどなぁ。

  2. 巡視ボラ
    いえいえ熱度はroseさんにはとうていかないませぬ。
    生家の方とご縁が出来るなんぞ、大した強運でござる。どんな展開になるのか楽しみですね。

    私は3回すべて終了いたしました。
    巡視ボランティア実施は2回目だそうですが、大きな企画展も再三あるはずもなく、この美味しいボランティアは元気なうちにまたチャンスがめぐってくるかどうか?

    移住後まもなく私も碌山の生家やお墓参り、常念岳を毎日仰ぎ見たであろう土蔵のある畑など、散策しましたね。あちこち探していたらご親戚のお宅で話し込んだり、黒光さんゆかりの道や小川や、若夫婦がしばらく暮らした洋館(外から見るだけ)なども巡ることができました。

    夭折の碌山や中村彝がもし高村光太郎のように長く生きたなら、「碌山美術館」がこのような形で存在したでしょうかね?

  3. はたして?
    碌山の寿命がもっと長かったら、碌山美術館は穂高ではなく新宿のままだった。
    それにつねさんは俊子さんと結婚し、したがって中村屋名物カレーは存在しなかった。
    ってことは、新宿が若者の街ではなく、上野にとってかわって芸術の街になっていたかもしれないってことでしょうか?

  4. もし・・・だったら
    歴史にはタブーですが、ちょっといじりたくなりますよね。
    彝さんには傷心の旅、外国を放浪して頂きましょう。中村屋のカレーがないのは困ります。
    そしてrose.cottageさんは、碌山を追いかけて安曇野に住んだり、こんないっぱいの活躍はしていないかもしれませんね。
    やれやれやはり歴史のままでよかった

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